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水溜りに蜻蛉が一匹溺れ死んでいた。

こちとらいつ雨が降ったかさえ識らぬ。なけなしの記憶幾ら辿れどこの路が雨に濡れていたためしは一度とてない。天泣さえ見舞われたことさえないと思われる――しかし、自分が泣き濡れ眠りに溺れていた間に雲が立ち込め空気を湿らせ、頑迷に地を圧し潰している鼠色のコンクリイトを墨色に染め、綺麗に均し切れなかった歪みに浅い浅い池を張り、蜻蛉を一匹溺れさせたのである。

どの世にもどの生にも、不幸はあるものだ。そしていずれも、円満円滑、納得出来る結果には決して辿り着かぬ。普通を呑み込むか、嘆くか、それだけのこと。

蜻蛉は色から見るに、雌であった。愚女はおそらく、孕んだ無数の生命を生かすが為に水場を求めてこゝを択んで仕舞ったのだ。餌などあるはずもない直ぐに干上がるひとゝきの池、産み落とされた子供達は卵殻を破ることなく死んでいよう。親の不始末によって発生して仕舞った無数の先立つ不孝は、親の死体の周りに漂うているのだろうか。

なぜ死ななければならない。
なぜ生きなければならない。

蜻蛉は不退転、前のみを見て飛ぶという。それでこのざま、前方注意が善などではないのかも解らぬ。

――雨にも気づかず眠り続けていた癖に。

後から聞くに、雨はしょっちゅう降っていたらしい。そんな覚えはない、そんなことは当たり前、口にせず呑み込んだ。無理が祟り、否、無茶を招いて自分は眠ったのだ。普通の人間が言うところの、死、という形の永遠の眠りに。

道理、この路も雨も識らぬはず。誰にも気取られぬよう笑い、哄い、嗤い――すっかり干乾びた蜻蛉を踏み潰そうとして留まり、拾い上げ、御命頂戴、口に投げ入れ噛み砕いた。さながら萎れた葱、執拗に歯に挟まり、しかし結局嚥下された。

なぜ――生まれなければならない。

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