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アンヴィバレンス
 

※陸風



「あ、あの…」 

「はい、何かお探しですか?」 

「っ……、ひ、火群さんの名前教えてもらえませんかっ?」 

「………は?」 





気分が悪い。 
いつもと何ら変わりない日だったはずなのに、可愛らしい少女の一言にこうまで気分を害されることになるとは。 

陸王の名だって? 
いや陸王が名前なのだけど。 
だいたいそんなものすぐそこに陸王は居るのだから本人に直接聞いたらいい、どうしてわざわざ風疾に聞いてきたりするのだろう。 
風疾にしてみればまずあの仏頂面がこうもモテること自体釈然としない。 
たった今風呂から上がってタオルで頭を乱暴に拭う陸王に非難を込めた視線をじっと送っていると、見つめていた横顔がふいにこちらを向いた。 

「…何だ」 

「火群さんの名前教えてもらえませんか〜だってよ」 

「今更何言ってる?ついに頭沸いたか」 

「ついにってなんだよ!!沸いてねえ!!」 

「なら何だよ、名前?知ってんだろうが」 

ああ知ってるさ。知らなくても何の不都合もない情報だって知ってしまっている。 
整えてもいないくせに流麗な線を描く形の良い眉を顰め、冷蔵庫から水を取り出して豪快に煽る姿は確かに羨ましいくらいには様になっているけれど、それも含めてやっぱり気に食わない。 

「…で、結局教えたのか」 

「は?そりゃ隠す理由もねえだろ」 

「…あっそ」 

そっけないのはいつものことだが、半音下がった声のトーンが不機嫌を伝えてくる。 

「なに、教えたらまずかった?」 

「別に」 

「何だよ、何かあるなら言えよ」 

この男は放っておく方が怖いのだ。基本的に無表情が常の陸王は溜め込んだものをいつ爆発させるかわからない。そしてそうなったとき自分が目の前のこの男にどんな目に遭わされるのかもわからないから恐ろしい。 

「…」 

「っ、」 

陸王に鋭い視線を向けられると、ついたじろいでしまう。しかしそれでも目を逸らさずにいれば陸王はひとつ溜息をついて部屋に向けた足を戻して風疾がクッションを抱えて座るソファに近付いてきた。 

「!なっ、なんだよ…」 

「じゃあ言わせてもらう」 

「っい…言えばいいだろ」 

「…何も思わねえのかおまえは」 

「はぇ?」 

「何で簡単に教えられんだ」 

「なに言ってんの?」 

「だからその女だか男だか知らねえがそいつが俺を好きかもしれなくて何も思わねえのか」 

つまり嫉妬、を、しないのかと。 
陸王のことを明らかに好いている女の子を前に風疾が何も思わないことが気に入らないらしい。我が儘め。 

「…しねえよ」 

「…そいつ」 

「あ?」 

「俺の名前聞いてきた奴、ほんとはおまえに気があんじゃねえのか」 

「はあっ!?ば、馬鹿じゃねえの…!」 

まさか奴がここまで嫉妬深いと誰が思う。 
普段あからさまな秋波を飛ばしてくる女の子たちへの対応を見ていると色恋には淡泊なのだと思っていたのに、この豹変ぶりは何だろう。 
喜ぶところなのかもしれないが、しかし相手があの陸王だと思うとそれだけ愛されているのだと自惚れていいのかも自信はなく戸惑うばかりだった。 

「んなもんわかんねえだろ、おまえは鈍いんだよ」 

「誰が鈍いんだよ誰が!」 

「おまえだ、鈍感」 

「うるせ…って、わ、ちょ…っ」 

背をかがめて顔を近付けてくる陸王から逃れようと限界まで後ずさるが、上背のある陸王がソファの背に手をついて覆いかぶさってくると狭いソファの上ではどうにもならない。申し訳程度にクッションを挟んでみたがいとも簡単に放られてしまった。近くで見れば見るほど陸王の顔は男前で悔しくなるのと同時にその顔に迫られては逆らうこともできないのが現実だ。 
近すぎる距離にその端整な顔がぼやけた瞬間、唇にやわらかな感触を受けた。 
初めてのときには堅物でも唇はやわらかいのかと当たり前のことに驚いた覚えのあるそれに食まれるように口づけられる。 

「っ…」 

「口開けろ」 

「命令すん、な…!っん、ぁ」 

口づけの合間に囁かれた陸王らしいといえばらしい命令形の言葉に反発を覚えながら言い返せば、その隙に陸王の濡れた舌が忍び込んでくる。 
ついさっきまで冷水を飲んでいた男の口内はひやりと冷たくて身体が震えた。

「っふ、…ん」 

「…店であんまヘラヘラすんな」 

「んなわけ、いかねえだろ…客商売なんだから…っ」 

もうひとつ意外だったのは、キスが情熱的であることだろうか。 
涼しい顔をしておきながら仕掛けてくる口づけはあまりに濃い。それが夜だろうと朝だろうとお構いなしに。 

「いいから言う通りにしろ」 

「っあ、…やめ、」 

散々絡めた舌が首筋を這う濡れた感触に肌が粟立つ。反射的に抵抗する仕種を見せた両手を陸王の片手に纏められ勢いのままソファに引き倒された。 

「おかげでこっちは仕事中おまえから目が離せねえんだ」 

「うそ…っつけ…、いつも知らん顔、で…っぁ!ん…っ」 

風疾がいつ見ても彼の視線が自分のそれと交わることはない。 
それが少しだけ淋しいだなんて言ってやらないけれど。 

「なんだ、淋しいのか?」 

まるで心を見透かされたような羞恥と笑い混じりの吐息が肌を擽る感覚にカッと頬が熱くなる。 

「っちが…!」 

「そんな真っ赤な顔で言われても説得力ねえな」 

「!っあ、…っりく、…」 

服の裾から入り込んできた温度の高い手が脇腹あたりの敏感な肌を撫で上げ、迷いなく胸の飾りへと行き着く。普段意識の端にもかけないそこが陸王の手に執拗に捏られてじんじんと疼いた。 

「っあ…!…ん…っ」 

「口塞ぐな」 

自分の女の子みたいな嬌声を聞きたくなくて口を塞いでも、見咎めた陸王の手によって簡単に剥がされてしまいあられもない声が迸った。 

「やっ、…っひあ、…っん」 

「…そうやって素直に喘いでりゃいいんだよおまえは」 

自分をこんなにしておいてひとり涼しい声の男が憎らしい。 
涙目になった自覚のある瞳でキッと覆いかぶさった男を睨みつけると、予想外に切羽詰まった表情の男と目が合った。
その表情に風疾が目を見開いた後、罰悪そうに眉間にシワを寄せた陸王がどういう心境か妙に可愛く思えて、伸び上がって唇を相手のそれに押し付ける。 
ちゅ、とほんの小さなリップ音が立つだけの軽い口づけに返されたのはやっぱり口腔をなめ回すみたいなディープキスで、ざらりとした感触を感じる度に頭の芯が痺れた。 

「っ、ふ…ぁ」 

「煽った責任は取れよ…っ」 

「!っ、あ…煽って、ね…っ、やっ」 

服を上下とも一気に剥ぎ取られ、胸への愛撫で既に反応し始めていた下肢を手の中に収められる。 
しかしこのまま流されてしまおうか、と身体から力を抜いたそのさなか、部屋の扉が無遠慮に開かれた。 

「風疾、陸王、今から夕飯食いに…」 

彼の立つ位置から直線上にある、自分たちが倒れ込むソファは扉を開けて真っ先に目に入ったことだろう、突然の闖入者は顔を笑みに形作ったまま動きを止めた。今だ見たことのないサングラスの奥の瞳さえ今ばかりは想像に難くない。

「!!…っ、…っ―――!!?」 

「ノックもなしに入ってくんじゃねえよ」 

「ん?悪い悪い、お楽しみ中だったのか」 

陸王のあまりに堂々とした態度とあまりに平然と笑い出す斎賀の姿に頭がぐらぐらする。 
自分たちは今情事の最中とはいかないまでもそれに近い状況を見られたはずだと思うのになぜ見られた陸王も見た斎賀もそう悠々と会話できるのか風疾には理解できない。感覚がおかしいのは明らかに向こう二人のはずだ。 

「っ…!な、ち…っ」 

「恥ずかしがることじゃねえだろう」 

恥ずかしがる方がおかしいのか? 
風疾が呆然としている間にも陸王は勝手に話を進めていく。人の腹の上でよくも。 

「わかったら出てけよ」 

「おっかねえなあ。…ま、邪魔して悪かったなごゆっくり」 

ばたん 
ひらひらと手を振って踵を返した斎賀の姿が扉の向こうに消えると、まるで何事もなかったかのように行為を再開する陸王になんで俺はこんな奴のことを好きなんだと冷めた頭で思いながらのしかかる男の身体を渾身の力で突き飛ばした。 

デリカシーなんて求めてない。 
気遣いなんかも求めてない。 
謙虚から最も程遠いところに居る男だとわかった上だ。 
それでもいざという時には守ってくれたりもして、嫉妬深いのは困りものではあるけれど愛を感じるといえばそれも間違っちゃいなくて。 

だから、人としてのモラルはある奴だと思っていたのに買い被りだったみたいだ。 

「…っざけんなこの無神経男っ!!てめえなんか大っ嫌いだ!!」 

「大嫌いってお前な…小学生じゃねえんだから」 

語彙不足を見透かされた恥ずかしさからか怒りからか顔がカッと熱くなる。 

「っるさいな!どけよ!!重い!」 

「は?」 

「最っ悪だ…!」 

「おい?」 

こんな男を好きになったのがまず間違いだ、一生の過ちだ。わかっているのに嫌いになれないなんて俺の人生終わってる。 

―――人生捧げる覚悟なんてまだしちゃいないのに。 



(一生養ってやるっつってんだ、何が不満だよ) 
(はああ!?不満しかねえよ!) 


おわり 




――――― 
合法ドラッグご存知の方いるんでしょうか不安です! 
それでも陸風を一回書いてみたくて…。あとできれば翠稜編を書いてみたいなあという希望あくまで希望