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あなたと息をする方法がわかりません
 

※U-19


山の頂に程近い清んだ空気の中、絶妙のコンディションを保たれた柔らかい芝生に寝転んで雲ひとつない上空を仰げば視界いっぱいに広がる青色に心まで晴れ渡り、前髪を煽るそよ風が気分を浚っていく。 
こんな日には誰よりも先にフィールドに出て、代表の仲間たちがやって来るのを待つ時間が将はとても好きだった。 
三年ぶりに会った彼らは皆年齢を重ねた分当たり前に容姿こそ大人びたそれに変わっていたけれど、将がわずかながらに不安を抱いていたブランクをいとも簡単に飛び越えてまるで元からそこに居た仲間のように受け入れてくれた。たったそれだけのこと、と彼らは言うけれど、それだけのことがどれだけ将にとって救いとなったか彼らは知らない。 

10代半ば、いわゆるゴールデンエイジと呼ばれる最も伸び盛りで共に最も変化を擁する時期の三年間はとてつもなく大きい。そのとてつもなく大きな三年間を共に過ごしてきた彼らの中に入れるだろうか、溶け込むことができるだろうか、自分は、仲間として見てもらえるのだろうか、と日本に帰れるという嬉々とした思いの中それだけが喜び勇む心の端に小さくも執拗に引っ掛かっていた。日本に、ここに帰ってくるまで、彼らに会うまでは。 

「…ただいま」 

そう言った将に揃って笑顔と共におかえり、と返してくれた彼らが将の帰る場所はここだと言ってくれているようで泣きそうになってしまった。合宿が始まって一週間が経った今でもまだ、思い出すだけで目の奥が重く熱くなる。 
皆が来るのだからと潤んだ瞳を隠すように瞼を下ろすと、陽光で赤く透けていた瞼の裏がふと黒く塗り潰された。 

「!」 

「今日も早いな」 

ぱちりと開けた視界に広がるのは先程までの青空ではなくて、違う意味で将にとって眩しい人の笑顔だった。予想以上の至近距離に驚いたけれど、愛おしむ色を隠そうともしない甘やかな表情に将の顔にも自然と笑みが浮かぶ。頬が赤くなってしまっているのはきっと、日焼けばかりのせいではない。 

「おはようございます、渋沢先輩」 

「おはよう」 

「渋沢先輩も早いですね。多分、まだ皆来ませんよ」 

将がここで空を眺めはじめてからまだ数分しか経っていない。この数日間ずっと繰り返してきた行動を思い返すと、皆がここへやって来るのは将がこうし始めて30分もした頃だったように思う。多少遅かったり早かったりはあるものの皆一様に、宿舎から出てきて真っ先にフィールドに寝転ぶ将のところまで走ってきてくれるのは芝生と涼風の心地好さに将がまどろみはじめた頃である。腹に座られたり容赦ないでこぴんが降ってきたりと声の掛け方は様々だけれど、そのどれもに将は喜びを覚えるのだった。 

「当たり前だろう?少しでも長く風祭とふたりでいたいから早めに来たのに」 

「!あ…、えと…」 

あまりに率直な言葉に身体を起こすのも忘れて戸惑いと照れから更に顔を赤くすれば、そんな将を見下ろして渋沢が小さく微笑った。 

「変わらないな」 

相変わらず照れ屋だ、と笑みを深める渋沢のその笑顔も三年前となんら変わりないことに安堵を覚える。 
元々の整った顔立ちは三年で随分と精悍さを増し、中学生時にはひたすら格好良く見えた彼だけれど今では落ち着いた男らしい色気まで纏っている。そして、唯一絶対の守護神としての安心感はあの頃から変わらない。変わらず、将は渋沢克郎という人が好きで好きでたまらない。 

「っ、渋沢先輩こそ…変わってませんよ」 

どうしようもない格差や変化や、蟠りはあると思っていた。そんなこと覚悟の上で帰ってきたし、仕方がないことだと諦めてもいた。それなのに、泣きたくなるくらいに彼は、彼らは将の記憶と寸分違わぬままだった。 

「俺はまだ、風祭が好きだと言ってくれた俺でいられてるか?」 

「あ、当たり前です…!僕は、渋沢先輩ならどんなだっていい…っ」 

一抹の淋しさを含んだテノールに身体を跳ね起こして勢いのまま告げたけれど、目にした渋沢の顔にはその声音には似つかわしくない柔らかな笑みが変わらず浮かんでいた。そして一瞬間に悟る。 

―――騙された。 

人を騙すような人ではなかったのに、ふとした瞬間のこういうところで大人になったのだなあと感じさせられる。自分は相変わらず嘘は下手だし人を騙せるような器用さも狡猾さも残念ながら身についてはいない。 

「…渋沢先輩のいじわる」 

けれどもう子供ではない、わかっている、これくらいはただの処世術なのだということ。そして戯れの中に忍ぶ欠片の本音も。 

「いじわるか、そんな俺は嫌い?」 

髪に絡んだ芝生を丁寧に掃われ、そのままするりと頬を撫でていった節ばった男っぽい手が、前髪をひどく優しい仕種で掻き分ける。眦に小さなキスを落とす唇に密やかにそう囁かれて、嫌いだなんて言えるはずがないのをわかっているのだ彼は。 

「…ずるい、です」 

口づけひとつ、 
仕種ひとつ、 
目線ひとつから流れ込んでくる愛おしいという気持ちにあてられて将の声も甘く掠れた。そしてそんな将の言葉を渋沢はとろけるような表情でひとつひとつ大切に聞き入れる。 

「いじわるになったよ、ずるさも覚えた」 

「?変わった、ってことですか…?」 

「そうだな、変わったかもしれない」 

少しかさついた渋沢の指先がそれを気にしてか決定的には触れないまま将の輪郭を辿る。そのもどかしさに自ら頬をよせれば、一瞬の驚きのあと綻んだ渋沢の表情にほっと息をついた。 

「こんなこと言ったら不安にさせるかもしれないけど、正直に言ってしまえばいつ再会できるかもわからないのに気持ちが変わらないなんて言い切る自信はなかったんだ」 

語尾には必ず逆接がつくとわかっているのに、その言葉に将の心臓はどくんと大きく脈打った。それが表情に出てしまったらしく渋沢の笑みが苦いものに変わる。時には嘘やずるさも必要なのだ、といつまで経っても正直すぎる自分を叱咤して思う。 

「でも変わらなかった…誰に何を言われても、不思議なくらい心を動かされることがない自分に焦ったくらいだったよ」 

将と渋沢の間にある空白の三年間にどれだけの人がこの人に恋をして愛を告げたのだろうと思うと胸の奥に小さな痛みが生まれたけれど、それを凌ぐ告白に言葉を奪われる。 

「っ…」 

「俺にはもう風祭しかいないんだって思い知らされて、嬉しい反面風祭がもし心変わりしてたらと不安で仕方なかった。俺は、風祭を手放せるんだろうかってな」 

思わず口を開いた将の唇に人差し指だけで触れて制し、聞いて、と言うように首を傾げる渋沢に大人しく従って口を噤めば、彼はすぐに続けた。 

「俺はね、風祭…たとえ風祭の心がもう俺の元に無かったとしてもきっと、風祭を手放すことなんてできなかったと思う。いじわるになってずるさも覚えて、なのに諦めるってことができなくなった」 

「!…、ぁ」 

同じだ、と思った。 
将の心が渋沢から離れることなんてありえなかった。渋沢がそんな不安を抱えていたなんて考えもしなかった。そんな気持ちでいたのは将だけだと、そう思い込んでいた。 
そんなはずはないのに、渋沢も同じように将を想ってくれている以上不安にならないはずがないのに、一体自分は彼をどこまで理想化していたのだろう。 

「ああ、今はもう相思相愛だってわかったから大丈夫だよ?」 

よほど悲壮感漂う顔をしていたのか、渋沢は笑みを悪戯っぽいものに変えてゆるゆると撫でているだけだった手で頬を抓る。 

「!……いひゃい、えす…」 

さらりと口にされた相思相愛という言葉に急激に血が上った頬を隠そうにもできなくて目を伏せれば、それを咎めるように瞼にキスを落とされる。じっとりと見上げると、その視線を非難と受け取ったのかぱっと手が離れた。 

「拗ねないでくれ。いつまで経ってもかわいいな、風祭は」 

「かわいくないですよ、いつまでも小さいままじゃないんですから…」 

「かわいいよ」 

「かわいくないです」 

「かわいい」 

「っ…もう!」 

「ほら、やっぱりかわいい」 

言い返しつつもかわいいと言われる度に熱を上げる将を承知しているのだろう、渋沢はいやに楽しそうだ。 

「もうやだ…先輩のばか…」 

「そう言う風祭もかわいい」 

「!…っもういいですってば…!」 

「はは」 

照れる風でもなくかわいいと連発する渋沢に言われる将の方が耐え切れなくなって渋沢の口を両手で塞ぐ。 
しかし何の抵抗もなく後ろへ倒れた渋沢に驚いたのはまたも将の方で、踏ん張りがきかない将はそのままなだれ込むように渋沢の身体の上に倒れ込んだ。 

「!ふわっ、ぷ」 

「ごめんごめん、大丈夫か?」 

「は…はい…、どうかしました?」 

「ん、風祭がいつも見てるのはどんな景色だろうって思ってな」 

「!…へ、」 

下敷きにされているというのにさして苦しそうな様子もなく空を見つめる渋沢の胸に腕を突っ張って上半身だけを起こすと、空を映す穏やかな瞳と目が合った。意味もなく、心臓が跳ねる。 
どちらからともなく唇を寄せ合って、しかしそれは重なることなく恋人同士の時間は終わりを告げた。 




「あーっ風祭がキャプテン押し倒してる!」 

突如として響き渡った藤代の声によって。 

「!」 

弾かれたように視線を向けた先、断片的だった複数の声がだんだんと近付いてきて将の表情が驚きから満面の笑みに変わる。 

「大声でなに言い出すんだあいつは…」 

「行きましょう、先輩!」 

「ああ」 

余韻もなにもあったもんじゃない、と苦笑しつつも喜びに彩られた眩しい笑顔を浮かべる恋人の姿を見るとそれだけで十分、どころか満たされた気分になってしまうあたり俺も随分溺れたもんだな、と思う。 

「風祭ー!」 

「藤代くん!」 

けれどやはり恋人として単なるチームメイトに将の心を持って行かれてはたまらない、と渋沢は6秒フラットの駿足をとばして走ってくる藤代やそれを追うように同じく走ってくる他のチームメイトたちを横目に、それを迎える将の横顔に顔を近付けて耳元に囁き掛けた。 

「……将」 

「!っ…ぇ、えっ!!?」 

目論見通り一瞬にして鮮やかな真赤に染まった肌を満足げに眺め、意識の全てをこちらに注いでくれた恋人に向かってゆるやかに微笑んだ。 









(あなたと息ができれば究極だと思いませんか?) 



Fin 




―――――― 
だらだら長くてごめんなさいオチを見失いましたそして結果意味がわからない。 

藤代のあたりからモノローグが渋沢さん目線になってますわかりにくいですなんかもういろいろごめんなさい