人の気も知らないで 『すきなの』 『――ありがとう』 志摩の低い声で紡がれる、独特のイントネーションの優しい言葉がなぜかひどく気持ち悪くて。 明るい笑顔を見せる少女と、それに微笑み返す志摩の姿がざらざらとした心の表面を逆なでするように不快で、燐はその場から逃げるように踵を返した。 * 「…なあ、志摩は、女の子が好きだよな?」 疑問形にも関わらず、すでに決定事項として燐の中ではあるのだろう。 「…せやね」 真意を計りかねて志摩は仕方なく彼自身が望んでいる答えを与えた。 すると、自身が望んだ答えを得たのだろうに燐はちらりと傷ついたような顔を見せる。 「…俺も。」 「………あ、そう。それで、奥村くんは俺に何て言ってほしいん?」 「…俺の、こと、」 「あかんよ。別れようなんて言ったらん。別れたいんやったら奥村くんが俺に言いな。」 承諾するかどうかはまた別の話やけど、と嘯けば 「!…っ、なん…で、女の子の方が好きなんだろ?だったらいいじゃんっ…」 なんて、馬鹿なことを言う恋人が志摩には愛しくて堪らなかった。好きなくせに自分のことを諦めようと頑張る彼がいじらしくて、憎い。 「誰がそんなこと言うたん」 「今おまえが言ったんだろ!」 「言ってへん。」 「!おま、」 「俺は女の子が好き言うただけや。当たり前やん、ゲイっちゅうわけでもないし男なんやから女の子好きなんは当たり前とちがう?」 月並みなことを言うならば男は好きじゃない、ただ好きになったのが男だっただけ。 好きになった燐が男だった、というだけの。 「!…それ、は」 「なんや難しく考えすぎちゃう?俺は奥村くんが好きやし奥村くんが俺のこと好きなら別れるとかわけわからんやん、それとも何か、奥村くん俺のこと嫌いになった?」 志摩のことを考えて別れようとまで言い出す彼に限ってそんなわけないとは知りつつ、先程の言葉を否定してほしくて卑怯な言葉を使う。 「!…ちがう、きらいじゃない」 「うん」 「志摩がすき、すきだから、」 「うん」 ただただ燐の言葉を待つ。 やわらかい相槌を打って、優しく見守るだけの志摩に何を思ったのか、今となってはそんなことどうでもよかった。 「わかれたく、なんか、…ぁ…うー…っ」 とうとう子供のように泣き出してしまった燐を抱き寄せて震える背中をゆっくりと撫でると、腹のあたりに体当たりの勢いで抱き着かれた。 「ほんまアホやな、奥村くん。泣くほどなんやったら何であんなこと言い出したん。」 「うるせ…」 「…こっちが泣きそうやったわ」 「泣くな馬鹿。だからカッコわりいんだよ志摩は」 「それやったら奥村くんも一緒やろ。そのカッコ悪い男の胸で泣いとんのは誰ですかー?」 「うっさい!」 どんっ、と叩かれた胸の痛みも身体が傾ぐほどの衝撃も、シャツの腹部分に染み込む温かい雫には敵わないのだ。 * 「ああ、あれ見とったん。」 「…志摩が、あの子のこと好きなんだと思って…」 「何でそないなことなんねん。突飛やなあ、ほんま…」 「!おまえが悪いんだろ!……お似合い、だったから…」 「あの子が好きなんは奥村くんや。」 「……………は!?いや、っちょ、じゃあ何でありがとうとか…っ」 「俺の恋人のことそないなふうに言ってくれてありがとなーって?あんなん延々と厭味の応酬やったわ、あの女見えへんとこでずっと俺の手つねってきよってほんま根性悪いやっちゃで」 「…………なんだそれ……」 じゃあ、泣く思いで告げたあの俺の決心には何の意味もなかったと。 とんだ茶番だ。 「ほんにね」 燐がひとりがっくりとうなだれると、志摩は軽く肩を竦めて情けなくも泣きそうな顔で苦笑をもらした。 おわり ――――― わりと短めに終われた…はず… |