わるい男 ※柔→燐 玉砂利が敷かれた旅館の庭にどんと構えるひとつ岩の上、見覚えのある尻尾がゆらゆらと視界の端に映る。こちらを向いた背中が各部屋から洩れた橙色の光りに照らされているのを見て志摩柔造は自分の部屋に繋がる廊下を降りた。 「おーい…――、燐くん、やったっけ」 「あ、志摩の兄貴」 「志摩柔造や、よろしくな。「柔兄」呼んでくれてええで」 すっとさりげなく手を差し出すと、何の疑いもなく俺の手を握ってきはった。なんちゅうか、廉造がずっと張り付いとったんはこういう理由かと納得できる無防備さで、それこそ男を煽るんやとはわかっとらんのやろな、と苦笑いが零れる。 誰に対しても同じやのに、自分だけが特別だと思わせるこの感じ。 (なんちゅう魔性の男の子や) 女の子はすきや。やらかいしええにおいするし、俺はどっちか言えばモテる方やとも自覚しとるけど、そんなん何の得にもならへん。 規格外の恋愛にセオリーなんか通じひんのや。 「燐くん、廉造の奴燐くん置いてどこ行ったん?」 「志摩なら風呂…です」 とって付けたような敬語までもがかいらしい。俺もなかなか末期やな、まだ廉造ほど知り合うてもおらんのに。 「無理せんでええよ、慣れとらんのやろ敬語」 「!や…まあ、」 実際にはただ他人行儀なんが嫌やっただけなんやけど、そんな本音は大人の余裕の裏に隠してしまえばまだまだお子様の燐くんにはわからんやろ。そんなお子様に恋情なんか抱いとる大人は誰やっちゅう話でもあるんやけど。 「えらいすまんなあ、廉造の奴友達放って一人で風呂なんか行きよって」 よしよし、と主に下心から撫でてみた髪は乾いたままで、風呂に入った後っちゅう感じはせん。まさかこの子が風邪っ引きを気にしてそない丁寧に髪を乾かすとも思えへんし。 「俺が断っただけだよ。志摩は誘ってくれたけど」 あいつスケベ心見え見えやな。 特に嫌がる仕種も見せないのを良いことに見た目よりやらかい髪の感触を楽しんどる俺が人のこと言えへんけどあまりにもな末っ子に呆れは隠せんかった。 「そうなん、もしかしてあれか?他人と一緒に風呂とかは入りたくないん?俺んときもおったなあ、そういう子」 ただ失礼かもしれんけど、燐くんはそういうタイプには全く見えへん。 どっちか言うたら正反対のタイプやと。 「別にそういうんじゃねえよ。でも大浴場には入んなって言われてっから」 「何やそれひどいなあ。いくら任務やいうても風呂ぐらい自由にしてくれてもええのに」 まあでもだいたい予想はつく。史上最年少だかなんだか知らんけど、あのいけ好かないメガネはこの燐くんの弟兼教師らしい。どうせあいつやろな、と勝手に決め付けては勝手に眉間にシワが寄った。 「仕方ねえよ、」 「そうなあ…」 言いたくなさそうなことを詮索するほど野暮やないよ、俺は。 人には人の事情があんのはそれこそ仕方ない。 「…!あ、じゃあ俺の部屋の風呂入ったら?」 候補生にはまだ風呂付きの個室は宛がわれてへん。そんな子に大浴場も使うなっちゅうんはどういうことやと抗議のひとつもしてやりたいが今だけは感謝した。 「!は?なん…」 「そうと決まったら来いや。遠慮せんでええ、どうせ俺しか使わんからな」 予想外の展開に目を白黒させとる間にほっそい腕を引っ張ってさっき降りた廊下を進む。 「え!?ちょっ、柔兄…っ」 「!!」 ――あかん、鼻血出そうや。 「柔兄」やと?いやそう呼べ言うたんは俺やけどまさかこないに破壊力あると思わへんやん廉造やって金造やっておんなじように呼んどるのに何でこうも違うんや。 ああ、あかんわ…風呂?風呂やって?あかんよ襲う自信しかない。 「おい聞いてんのかよ!っ…ちょ、痛…」 「!すまん、大丈夫か?」 トリップしとった俺の耳にも届いた小さな悲鳴を聞いて反射的に掴んでいた手を離せば、戸惑いが混ざった蒼い目が俺を見る。 警戒心、も、混ざっとるか。 ほんに猫みたいやな。 「どうしたん?」 「いいよ別に、風呂なんて…」 「遠慮しとんのか?」 「そんな義理じゃねえし…」 「…なんや難しいこと考えよって、俺がええ言うてんやから来はったらええねん」 義理て何や。弟の友達いうだけで十分、と俺なら思うんやけど、どうも燐くんは違うらしい。まあ実際んとこそんな理由ばっかりでもないけどそれも含まれるんやから嘘にはならんやろ。 「…ほんとに?」 「ほんとに」 ああもうその上目遣いやめや。なに?一緒に風呂入りたいん?ええで燐くんなら身体の隅々まで俺が洗ったるさかい遠慮せんと… 「…じゃあ」 それでもまだ釈然としない風な燐くんやったけども、そこは口八丁手八丁で丸め込んでまえばよく言えば純粋、悪く言えば単純な燐くんが俺に敵うはずもなく。 部屋に来はってすぐに風呂を勧めれば、警戒を解いてくれたらしい燐くんは素直に備え付けの露天風呂に入る。 烏の行水の勢いで出て来てしもたんだけが残念、覗く楽しみもあらへんかった。潔い脱ぎっぷりだけは存分に眺めさしてもろたけど。 「すっげーな!露天風呂!」 興奮気味にそう言わはる燐くんの頬は上気して、湯気が立ち上る身体からはなんや知らんええ匂いまでしよる。こないええ匂いやったか、ここの石鹸。 「せやろせやろ、どうや?来てよかったか」 「うんっ」 やっぱり乾かしとらん、どころかタオルで拭いたんかどうかも怪しいほど水が滴る髪をぐしゃぐしゃと掻き回すと手の下にある頭が勢い良く縦に首肯した。 今時の高校生やのに全く素直な子やな。 「ありがとなっ柔兄」 「…………ええよ、お礼なら勝手にもらうさかい」 身体で。 何言うとんのや俺は。こんな付け込むみたいな真似するつもりなんかあらへんのに、そんな俺の意思も無視して口だけは動いてしまう。 ああ、ほらその上何もわかっとらんから、 「?いいよ、俺にできることなら」 なんて、俺が必死に自制しとるいうのにそれを引き千切るみたいな真似を平気ですんねん。 * カスみたいな自制心はとっくに吹き飛んで、今だに何をされているのかようわかっとらんような燐くんの火照った身体をまさぐる。 「なに…っ?」 「気持ち良くするだけやから大人しいしときや、心配せんでも痛いことはせんから」 初めての子にいきなり突っ込むような、そんな最低の男やない。 狐に摘まれたような顔の燐くんにセクハラじみた行為をしかけてんのも十分最低やと自覚はしとるけど、 と自嘲ぎみな笑みを漏らしながらも手を動かすのはやめない。 風呂上がりで湿り気を帯びた身体は手に吸い付くみたいで堪らんかった。 「っ、…ん、ぁ…!」 自分の鼻にかかったような甘い声が信じられんかったのかはしっと自分の両手で口を塞ぐけれど、我慢しとるんもそそられるっちゅうのによくもまあ無意識で誘うような真似ばっかできるもんやと一種の感心すら覚える。 腹のあたりを撫でとった手を徐々に上げていって、胸元の小さな飾りを指でやわらかく押し潰してやると反射的にひくん、と身体が跳ねた。 「あっ…、く…」 「かわええなあ…ここ、気持ちええんか?」 左右共の突起を手の平でなでさすりながら耳元で問えば、ふるふると力無く首を横に振るが硬くしこった乳首の感触は直接俺の手の平に伝わってくる。 「嘘なんかつくもんやないで、勃ってはんのに」 「!さわっ、な…!」 燐くんの言葉なんかまるっと無視してTシャツの裾を鎖骨あたりまで捲りあげる。すれば緩い刺激でぷっくりと朱く腫れたようになったそこがあらわになって、自分でやっとることも忘れて男をとことん煽るばかりの彼の身体に欲情するんと同時、僅かな苛立ちまでもが湧いた。 いやらしい身体。 誰に触られてもこない感じはるんか。 「感じやすいんやな、いやらしい子」 貶めるつもりなんかあらへんのに、するすると意地の悪い言葉ばかりが口をつく。 「!ちが…っ」 けれどすぐに傷付いたような顔の燐くんを認めてどっと後悔が押し寄せた。 「こんな、ん、したこと、な…っ」 真っ赤な眦を濡らす涙がぽろりとひとつ玉になって目尻から滑り落ちる。 なぜかそれがひどく琴線に触れ、どうしようもない罪悪感が手を止めた。 ―俺は何しとんのや 生理的なもんやない、こんな風に彼を泣かせて抱いたところで自分の中に何が残ることもあらんのに。 「っ…ごめんな、燐くん。泣かんといてえな、ほら、もう触らへん」 「っひ、…く」 しゃくりあげた燐くんの目は焦点が合っとらんで、俺が離れたことにも気付いとらんようやった。 「…ごめんな。燐くんこの部屋使いや、俺は出てくさかいに」 このまま同じ部屋にいたら何するかわからん。罪悪感に鎮められたのもつかの間、次に暴走してしもたらもう抑えはきかんと思う。 (泣かした知れたら廉造に何言われるかもわからんしな) 正直そんなんはどうでもよくて、むしろ燐くんを大事にしとるらしい末の弟に怒られるくらいが丁度ええのかもしらん。 「っ待…柔、に…」 「!…どないした?」 障子に手を掛けたところで自分を呼び止める小さな声が耳を掠めて、驚きつつも振り返る。 「なんで、あんなことすんの…?」 「…そら、まあ、燐くんがかわいらしいて」 「…かわい、…って、かわいかったら、誰にでもあんな…っ」 ぼろっ、と俺を見つめる大きな瞳からまるでドラマか映画みたいな風な涙がこぼれ落ちて、俺はぎょっと目を見開く。 今までこんな風に泣かれたことはない。 目の前ではらはらと涙を流す燐くんを見て呆然としながら、睫毛が長いんかな、なんて場違いなことを思う。 「…っ、て、ちゃうで?なんか誤解しとらんか燐くん」 「…?」 「かわええ思うんはな、せやから、…あんな、」 なんと言ったらええのか、今このタイミングで好きやなんて言うもんやないと思う。 せやけどなんや誤解しとるような燐くんにそれ以外どうやって納得してもらえるんかもわからんと一人言葉を探していると スパンッ 小気味良い音を立てて開かれた障子の向こうには、ピンクの髪から水を滴らせた弟の姿。 「?!!…廉ぞ、」 「柔兄………何してはんねや、奥村くん部屋に連れ込みよって―――!!」 「!ちょっ、すまんて、別にやましいことはなんも…」 ない、とも言い切れず。 その言葉尻を察しよったのか廉造の額にはぴしっと青筋が走り、奥に居る燐くんを見て更に顔を引き攣らせる。 「…柔兄、覚悟しとき」 言いながら薄ら笑いを浮かべる廉造に、普段やったら弟のくせに生意気な、とでも言ってやるとこやけど如何せんこちらに非があんのは明らかで、俺は。 「………は、」 燐くんの手を厭に優しく引いていく廉造の後ろ姿と、廉造には大人しく従って歩いていく燐くんの後ろ姿と、それから歩く振動で時折揺れる尻尾を見つめて自嘲的な笑いを浮かべることしかできひんかった。 当たり前のように手を引いていける廉造が、羨ましいてかなわん。 (好きやって、言ってしもたらよかった) ――したら、泣かせんで済んだかもしれんのに。 おわり ――――― いったい何が書きたかったのか… 燐が乙女ですいません |