ao-ex | ナノ
 
ありがとう、
 




志摩の機嫌はここ最近下降の一途を辿るばかりであった。 

最近といっても今日で一週間にもなるだろうか、燐と勝呂の仲がやけに良いのだ。実際には子猫丸ともよく一緒にいるが、志摩の気に触るのは主に勝呂との方。 
今まではなかったのに急に二人で話すことも増え、耳打ちなんかざらにあって仲のいいカップルみたいに肩を叩きあって笑いあって一体何の嫌がらせだというほど二人の仲は睦まじい。率直に言えば、密着しすぎなのである。子猫丸と燐のツーショットに関してはただただ微笑ましいなあと思うだけなのに相手が勝呂や雪男だとそうもいかない男の心理。 

だいたいどうして志摩の誘いは断るくせに、帰りには勝呂と共に教室を出ていくのだ。理解できない、というよりはただ苛々するのみ。 

遊びに誘っても部屋に誘っても、今日は無理、といって取り付く島もなく断った数分後に二人で出ていくその理由は。そういう時には決まって子猫丸が志摩の元へと走り寄ってきて邪魔はさせないとでもいいたげに志摩を二人から引き離す理由は。 
恋人の誘いを断ってまでの用事がそう毎日あるものか。 

嗚呼―――…苛々する。 

(坊も坊や、俺と奥村くんがつきおうとんの知っとるくせによおやる) 

どうにも自分は燐に対してあまり怒りを抱けない。 
付き合いなら勝呂との方が長いはずなのに。 
「あ、の…志摩さん…?」 

知らず知らずしかめっ面をしていたのだろう、横を歩く子猫丸が恐る恐る、といった様子で声をかけてきた。 
なんとも愛すべき小動物だ。 

(いや奥村くんのがかわええけどね) 

今は勝呂と共に居るのだろう恋人に律儀にも弁明をしている自分が情けなくも思える。燐はきっと今志摩のことなんか考えてもいないのだろうに、と。 
彼は多分志摩がこんなにも気にしていることも、自分がどれだけ残酷なことをしているのかも、自分の行為がほとんど浮気と同義であることにも気付いていない。しかも恋人の目の前で、恋人には目もくれず他の男と背を向けるその無情とも思える無邪気さ。 

(怖いな、奥村くんは) 

俺の中をどんどん黒く染めていく。醜い感情の渦で黒く染められた心にはもう奥村くんの存在しかない。 

(こわ…) 

「志摩さん?着きはりましたよ、ここです」 

志摩の内心とはまるで正反対の、わくわくした顔で目の前の扉を開けるように促す子猫丸。一体いつの間にこんな所に来ていたのか、所々電球の切れた見覚えのある廊下、ここは確か旧学生寮すなわち燐と雪男だけが住んでいるはずの場所だ。 
何故こんな所に連れて来たのか、と疑問に思いながらも先程までの煩悶も忘れて扉を開けた、 

先には。 

『HAPPY BIRTHDAY!!』 

ぱんっぱんっ、ぱんっ 

複数の声で告げられたHAPPY BIRTHDAY、という言葉を理解するより先に耳をつんざくクラッカーの音が志摩の頭の中を真っ白にした。 

「は…?」 

ぱんっ! 

『!!?!?』 

時間差で鳴った最後のクラッカーにどうやら知らされていなかったらしいその場にいた全員が盛大に身体をびくつかせて当の燐を勢いよく振り返る。 

「必殺時間差クラッカー!」 

皆の視線を浴びながらへへ、と呑気に笑う燐を見て、やっと志摩は我に返った。 

「皆、何してはんの…」 

「何って…、志摩のサプライズ誕生会!」 

「見たらわかるやろ、いつまでボケッとしとんねん」 

「志摩くん誕生日おめでとう!」 

「おめでとうございます」 

「何で私がこんな奴のために…」 

「誕生日くらいデレてやれって」 

「!誰がよ!」 

口々に告げられる祝い言なのか何なのかいまいちよくわからない言葉の数々に呆然と立ち尽くすしかできないでいると、気付いたらしい燐が勝呂とその横に並ぶ雪男をかき分け志摩の近くまで寄ってくるとぐいっと腕を引っ張られた。 

「!」 

「主役は真ん中!」 

言いながら背中を力強く押されてつんのめるように中心へ出る。 

すると、 

「誕生日おめでとう志摩!」 

そう、輝くような笑顔で言われて。 
それぞれの顔は微笑みだったり、苦笑混じりだったり、照れだとわかる仏頂面だったりはしたけれど、皆一様に心からの言葉をくれた。 

「―――っ、……おおきに、ありがとう」 

「泣くなや、アホ」 

そう言いながら勝呂に着ていたパーカーのフードをかぶせられる。 

(なんで、俺、坊のこと恨めしいなんて思っとったんや…、ほんまアホやわ…) 

全ては志摩のためだったというのに。 

情けないにもほどがある。 

「志摩泣いてんの?」 

「!あかんて、なっさけない。見んといてや」 

「泣くほど嬉しい?」 

「当たり前やん…なんてことしてくれるん皆」 

「…あのね、誕生会やろうって言ったの燐なの」 

柔らかいしえみの声が、見ないでと言った志摩の言葉を尊重してくれたのか背後から聞こえて、更にその内容にまた涙腺が緩んだ。 

(あかん、俺こない涙もろかったか?) 

堪えるのにも限界、もういっそ声を上げて泣いて、皆にありがとうと伝えようか。 

そんなことを思った瞬間、 

「じゃ、後は任せたで」 

あっさりと部屋を出て行こうとする勝呂の言葉が口火となったようにしえみも出雲も雪男も子猫丸も、勝呂の後に続いて出て行ってしまった。 
どういうこと?と唯一残った燐に事情も聞こうとするも燐にも予想外の出来事だったらしい、静かに閉じた扉の音に我に返り、素早く再度扉を開けて叫ぶ。 

「ちょ、っ待てよ!誕生会は!?」 

「後は二人で勝手にせえ。その方が志摩も喜ぶやろ」 

「はあ!?てめっ、騙したな!」 

「人聞き悪いこと言うなや。とりあえずそういうことやから、後は任せたで」 

燐の猛攻も無視して勝呂はさっさと旧学生寮を後にした。 




「……え、と」 

「…ま、いっか。二人でやろうぜ。そうだケーキもあんだ!取ってくる!」 

さっきまでの剣幕はどこへやら、志摩が言葉を発する隙もなくせわしなく奥へ引っ込んだ燐は特大サイズのショートケーキを手にすぐさま戻ってきた。 
いかにも軽そうに持っているが、多分志摩には無理だ。 

――それにしても、 

「でかない…?」 

「……だってこれ7人で食う気で作ったんだもんよ…。」 

「!手作り?奥村くんの?」 

ぽろりと落ちてきたとんでもない事実にまじまじと眺めてみれば、確かにケーキこそ完璧に美しくお店に並べても遜色ない出来ではあるもののホワイトチョコレートのプレートにある「志摩誕生日おめでとう」の文字は彼の特徴的な悪筆で書かれていた。 

けれど、字がうまいか下手かなんてことは塵ほどの問題にもならない。 

「…そうだよ、悪いかよ。そこまで酷い出来じゃねえと思うし…、食う、よな…?」 

「…………」 

不安げに見上げてくる燐には、馬鹿にするなと言いたい。 

「…志摩?なあ…」 

「……なに、なんで、俺が奥村くんの作ったもん食わへんなんて言うと思うん?」 

「!」 

「ありがとう、めっちゃ嬉しい…今まで生きてきた中でいっとう嬉しい。」 

まだ不安の残る瞳で見上げてくる燐を反射的につい抱きしめると、髪からは仄かに甘い匂いが漂ってくる。 

(奥村くんのがおいしそうな匂いする…て、言っても怒られへんかな…) 

いつもなら十中八九怒られるだろう、誕生日、というのがどれほどの魔力を持っているのかは知らないが、なぜか変な確信じみたものがあったのだ。 

この一週間、触れられなくて、できるだけの関わりを避けてきて淋しかったのは互いに同じだったのではないかと。 

「なあ…奥村くんのが、おいしそうな匂いすんねんな…」 

「…っ、食いたいなら…食わせてやらんことも、ない…」 

ぎゅうっときつく背中を抱き締められるのと同時に小さく小さく呟かれたまるで誘い文句のような台詞に、きゅっと噛み締めた桜色の唇を食むように口づけた。 
噛み締められたまま解けない唇を舌でなぞれば花が開くように綻びた唇にやわらかく受け入れられて、愛しさが込み上げる。 

「っふ…、ん」 

「ケーキ、折角作ってくれはったんにすまんなあ…後で、ちゃんとあっちも食べるさかいに、許してや…」 

「…し、ま」 

「ん?」 


「誕生日、おめでとう。 

そんで、生まれてきてくれて、ありがとう…」 

「!…っ、…」 

美しいというのはきっとこういう子の事を言うのだろう、と思った。見目がよくたって、ただ性格がよくたってそれだけなら誰にでも作れてしまう。 
心から「生まれてきてくれてありがとう」なんて言えるのは本当に、何もかもが美しい人だけだ、こんなふうに綺麗に笑うのも、呼吸するのも忘れさせるほど人を魅了してしまうのも。笑顔ひとつで人をこんなに幸せにできるのも。 

「…っずるいわ、奥村くん…ほんまにずるい、どこまで好きにさせるん…」 

「俺もすき、すきだ、志摩…」 

誕生日ありがとう、と首に回した手に少しだけ力を込めて肩に顔を埋めたまま再びそう口にする燐に、12月27日には精一杯のお祝いをしよう、と心に固く誓った。 


――魔神に感謝する日がくるなんて思わなかった。もしかしたら、青い夜に犠牲となった長兄には恨まれてしまうかもしれない。 

それでも、そうだとしても。 
きっともう、俺が彼を手放せる日は来ない。 


HAPPY BIRTHDAY,




Fin 





――――― 
志摩くん誕生日おめでとうありがとう!!だいすきちゅっちゅ! 
それにしてもくさい!恥ずかしい!