スワロウテイルは靡かない 『大我は預かった。返してほしくば代々木第二体育館まで来い』 送信者もあらわなそんなふざけたメールに騙されたわけではもちろんないけれど、黒子はいま件の代々木競技場第二体育館の前に立っていた。 メールの送信者は氷室辰也。 どう裏を読んだところで彼の悪ふざけ以外の何物でもないだろう。大多数の人間に与えるであろう彼の外見印象を裏切って、黒子は彼ほどの愉快主義者を見たことがなかった。 キョロキョロとあたりを見回すとすぐに目に入る、夕闇に光る赤い髪と紺碧。 「…こんばんは」 「やあ、来てくれたんだね」 「そりゃあうちのエースを誘拐されたままでは困るので」 「なんだ、大我のため?」 「そう仕向けたのはあなたです」 彼とて火神がいるからと黒子が来るとは思っていないだろうし、逆に火神がいないのを理由に来ないとも思っていないだろう。 身も蓋もない言い方をしてしまえば火神の存在は黒子が氷室の誘いを受ける理由にも断る理由にもならないということだ。 交換条件のように火神を引き摺り出してきたからこちらもそれに乗っただけであって。 「よかったね大我、大我のために来てくれたみたいだよ」 「は?辰也おまえ何てメールしたんだよ…」 「『大我は預かった。返してほしくば代々木第二体育館まで来い』?」 「なんだそりゃ?!黒子おまえそんなのに騙されたのかよ!」 さもバカじゃねえの、とでも言いたげな表情に心外だと眉を顰める。 「失礼ですね、そんなのに騙されたりしません」 誰かさんじゃあるまいしとため息を落とす黒子をにこにこと見遣る氷室の、黄瀬にも負けず劣らず端正な顔も今ばかりは非常に不愉快である。 「そんなのそんなのって、二人とも酷いな。俺なりのユーモアだったんだけど?」 「そうだとしたら壊滅的にセンスがありませんね」 「手厳しいお言葉をどうもありがとう」 「…つーかまず辰也はなんで黒子を呼び出したんだよ」 進まないやりとりに早くもしびれを切らした火神が問いかけるのを、しかし黒子は呆れた気分で見やった。黒子よりよっぽど長い付き合いのくせ、どうやら彼はこの氷室辰也という男の性質をまったくもって理解していないらしい。 「ふふ、大我はダメだなあ」 黒子のそんな気持ちを読み取ったかのように氷室はいたずらっぽい笑みを漏らしながら視線を寄越す。 「…ほんとですよ」 「はあ?!」 「そこが可愛いんだけどね」 「氷室さんの美的感覚はなんでもかんでも可愛いで括る女子高生と大差ありませんから」 「そう言わないで」 「おい何の話だよ?」 「…」 「困ったなあ」 さほど困っているようでもない、いっそ楽しげな表情の氷室の視線から逃れて黒子が言外に無関係を示すと彼は 「じゃあ、まあ大我はもう帰っていいよ」 あっさり説明を放棄した。 いくら火神くんが馬鹿だからって、思う心も大概失礼なことだとは黒子自身露ほども思っていない。 「はあ?!なんだそりゃ?!」 「火神くん、また明日」 かつて兄と慕った相手にも今現在相棒と呼べる相手にもめんどくさいという理由だけで放り出された火神は説明を求めたところで無駄だと悟ったのか、釈然としない表情のままに去って行った。 お役御免となった理由、そしてそもそもの役目自体を知らなかったことは幸いだろう。 どうして黒子を呼び出したのか、だって?どうしてもなにもない、黒子を呼び出すことは手段ではなくそれそのものが氷室の目的であって、そしてこの場合手段に成り代わるのが火神であるのだから。 「まったく…なぜ火神くんはああも純粋にあなたを信頼してるんですかね」 あの真っ直ぐさは彼の良いところではあるのだけれど、疑うことを知らないというのも困りものだ。 「心外だな、いい兄貴分だろう?」 整った柳眉をハの字にして困ったような笑みを浮かべ、小さく肩を竦めてみせる氷室は黒子からすれば胡散臭いことこの上ない。芝居じみたその仕種が滑稽にならず、それどころか様になるような美形を黒子は二人しか知らなかった。 「どの口が言うんです、私利私欲のために利用しておいて」 「知らぬが仏、つまり知らせなかった俺は仏にも等しいってことだ」 「詭弁にしても無理がありますよそれ」 「いいんだよ。俺は君の前でまで兄貴分でいるつもりはないもの」 こういうことをさらっと言ってしまえるあたり、帰国子女だからというだけではない気がする。 なにをするにもスマートでそつがない、だからこそ本気が見えない、だから、黒子は氷室の本気を見てみたいような、引き摺り出してやりたいような、そんな気持ちをふいに抱く。本気で求めてくれるなら答えようもあるのに、なんて、血迷ったことを考える。 それが恋だなんて、認めはしないけれど。 「そうですか」 「あれ?今の伝わらない?」 「何がです?」 「だから、安全牌でいるつもりはないよってことなんだけど」 「安全牌?…あなたみたいに危ない人ほかにいませんよ」 「!それは…、…光栄だね」 一瞬の瞠目のあとふわりと笑ったその顔がとても、とても綺麗で。けれど今までのような寸分の歪みもない完璧な笑顔とは違う、ついこぼれ落ちてしまったようなそんな隙があって、目にした瞬間黒子は心臓がどっと早さを増すのを自覚した。 「少しは意識されてるって、自惚れてもいいのかな?」 意識するという意味では火神の特別であった時点でそうだった。 けれど実際会ってみたら火神の言う人物像とは随分違っていて、それに驚きながらも得体のしれないなにかに理性が警鐘を鳴らしていた。それでも今、結局こうしている。 まあたぶん、本能が求めていたのだろう。この、氷室辰也という、身の内に誰よりも深い情と重い愛を飼う男を。自分にひどく似ている彼を。 「…自惚れでないといいですね」 ここまで及んでいる感情を以てして"少し意識している"だけだとは、さすがの黒子でも言えなかった。 「それは君次第じゃない、俺を自惚れさせないでくれる?」 「………、っ…ああもう、火神くんになんて言ったらいいんですか…」 「大我のことはいいよ、今は俺のことだけ考えて」 この男が自惚れることなんて生涯あるのだろうか。今、黒子が考えているのは氷室のことだけだとも思わないなんて。 (少しくらい自惚れてくれれば、もう少しやりようもあるのに) ──── 大分前にアンケで頂いたものを参考にさせて頂きました^^初氷黒です…めちゃくちゃ好きなのに、大好きなのに!!!! 氷室さんは揚羽蝶っぽいなと、思ったんです…けど……。賛同は得られそうもないです…。あと正確にはスワロウテイルバタフライですが何しろ語呂がわるい |