kuroko | ナノ
 
きよらに惑ふ
 



快適の限りだった新幹線から降り立った瞬間、襲われた熱気にじわりと汗が滲む。
陽炎のように歪む視界の中、まるで別次元に存在しているかのように一人涼しい顔をして優雅に手を振る異端を見つけて黒子は辟易しきった表情のチームメイトたちに見つからないようひっそりと笑みを返した。





発端は黒子とも赤司とも言える。

「はあ?!」

「本当にすみません…」

「いや、ちょっと待て、…どうしても、か…?」

「はあ…」

「断れない、のか…?」

「まあ…」

曖昧に頷くばかりの黒子を囲む二年生陣は一拍をおいてから諦めとも嘆きともつかないため息をついた。願わくは黒子が断ってはくれないだろうかと切に思っているのは想像に難くないけれど、黒子からは一向にその兆しが見えない。
もとより、赤司からの誘いを断るなどという選択肢は与えられてはいないのだ。

赤司から夏休みを京都で過ごさないかとの誘いもとい確認を受けたのは夏休みに入る間際のことだった。誰もが無意識に浮き足立った気配を見せるなか、如何な赤司といえど例外ではなかったのかもしれない。
現在は寮生活である赤司だが夏休み中の宿泊先なら用意できると言うし、その間は赤司も同じホテルに泊まるという。京都という未知の土地で心許なさを拭えない面もあったけれど、赤司がいるなら安心かと突然の電話に驚いていたのもあってか二つ返事で諾と言ってしまったのである。じゃあね、と言って切られた電話を片手にすっかり赤司のペースに呑まれてしまったと気付くも存外アバウトな性格からそれも早々に納得して、決定事項となった京都行きを伝えたところカントクを含む二年生陣には盛大に難色を示されたのだった。

「黒子くんがいなきゃチームの練習にならないじゃない、どうすんのよ…」

「それに関しては本当に申し訳ないです」

ぺこりと頭を下げたところでカントクや日向の眉間の皺は解れない。しかしそこで朗らかに爆弾を投下したのは全く以って予想を裏切らない、木吉鉄平その人だった。

「なんだ、じゃあ俺らも行けばいいじゃないか、京都」

誰もが知る某旅行会社のキャッチコピーが今この場にいる全員の頭を過ぎったに違いない、どこまでも自由奔放な誠凛高校バスケ部創立者はそれはもう大層爽やかな笑顔を湛えて言い放った。





「よく来たね」

「お久しぶりです、赤司くん」

ふわりと美しい笑みを浮かべた赤司はさりげなく黒子の荷物を自分の肩へ移しながら少しだけ低い位置にある黒子の頭を撫でた。心から歓迎していると全身で現すような仕草と表情に自然、場所も忘れて頬が緩む。

けれど、赤司の視線がゆっくりと背後へ移り、表情からすっと笑みが抜け落ちたのを見て瞬間的に我に返った黒子はすぐさま赤司の視線を遮るように両者の間に立つ。すると途端に視線から鋭さを削いだ赤司はそれでもやはり彼らを容認してはくれないようだ。

「…テツヤ、そちらは?」

「ごめんなさい、練習を疎かにもできないので今回は京都遠征という名目なんです」

取り繕うように口にした黒子を苦笑と共に一瞥し、笑みの種類を嘲笑へと変えて赤司は再び背後の彼らへ視線を移した。

「へえ…、ああそうか、テツヤ一人に頼り切ったチームではそれも仕方ないのかな」

「!っ、てめ…」

「火神くん!」

わかりやすい挑発の言葉に真っ先に反応したのは火神だった。
けれど、赤司が纏う絶対不可侵のオーラを前に足を竦ませていた男性陣のうち唯一噛み付いたそんな火神をカントクは一言で制して前へ出る。

「そうね、だから黒子くんが居ないと困るのよ」

毅然とした態度の中にもやはり畏怖の念を隠しきれてはいなかったのだけど。

「…そう、まあ好きにしたらいい、歓迎はしないけれどね。行こうか、テツヤ」

自分に噛み付いてくる火神に対してはにわかに興味を覚えたようだったが、それが赤司にとって見慣れた畏怖に代わった瞬間興醒めした、と雄弁に語る瞳を眇め踵を返した。

「あ、…赤司く…っ」

荷物は赤司が持って行ってしまった手前着いていくしかない。未だ動けないでいるチームメイトたちにすみません、とだけ言い残して、赤司を追った。





「赤司くん、なんですか今の」

「今のって?」

空とぼけたところで、何も言わずに部員一同を連れて来たことが癪に触ったのだとしても理性的な彼には明らかに過ぎた反応だった。それに彼は興味がなければ存在の有無からしてどうでもいい、という人間だ。

「あんな…挑発するような真似をして、らしくありませんよ」

「…テツヤが悪い」

「はい?」

一瞬の間を挟んで告げられた突然の責任転嫁に着いて行けない黒子の戸惑いを無視して赤司が続ける。

「どうして連れてきたの。僕はテツヤしか呼んでないよ」

斜め後ろを歩く黒子をちらりとも見ようとしない、その拗ねたような仕草とまるで子供のような言い分に呆れてしまう。けれど呆れるより先、ふとした瞬間のそんな一面を愛おしく思ってしまうあたり自分も大概だと苦笑した。

「……まったく、変なところで子供っぽいんですから…」

「悪かったね、僕は人見知りなんだ」

「はいはい、すみませんでした」

おざなりな返事をしつつ足を早めて隣に並ぶと、赤司の涼やかな口元がわずか弧を描いたような気がした。





「テツヤはどこへ行きたい?」

既にチェックインを済ませてあったらしい部屋(二人部屋ダブルベッドだったことには今更何も言うまい)に荷物を運び、折角京都まで来たのだからと赤司の案内で観光することになった。赤司とてまだ京都に来て数ヶ月のはずなのだけれど、当人に言わせると数ヶ月もあれば京都の大体を把握するには十分らしい。
けれどそもそも京都に来たことのない黒子には行きたいところ、と漠然としたものさえない。それをそうと伝えれば、赤司は少しの逡巡の後にゆっくりと口を開いた。

「じゃあ…」





「───…どうだった?」

「すごかったです、…初めて見ました…」

「だろうね」

赤司に連れて行かれたのは、いわゆる花街。芸のなんたるかも知らない黒子にはどうにも敷居が高いように思われて居心地が悪かったけれど、始まればすぐにそんなことはどうでもよくなっていた。見蕩れていたらあっという間に終わっていて、周りの盛大な拍手でやっと我に返った黒子は遅ればせながら自らも精一杯に拍手を送った。

何度か足を運んでいるという赤司は淡々と、それでも熱心に鑑賞していたようだったが黒子は横にいる赤司のこともあの時ばかりはすっかり忘れていた。

「テツヤが楽しめたならよかったよ」

「はい、とっても。ありがとうございました」

未だにふわふわと覚束ない頭ではそれ以上の感想も出てこない。
なにより溢れてくる鮮やかな感情は言葉にすれば途端に陳腐になってしまいそうで、それも嫌だった。感動は伝えたいけれど言葉にできない、したくない。
今の黒子のそれを初見には果たして赤司も感じたのだろうか、彼にはとても珍しい困ったような笑みを浮かべて言葉なく、火照る黒子の手を取った。重ねられた彼の手は、黒子の温度を奪わない。

(赤司くんの手が、熱い)

その事実に何故だかひどく嬉しくなって、握られた手にきゅっと力を込めた。





「今日はそろそろホテルに戻ろうか」

「もういいんですか?」

なにをするにも不要な時間の浪費を嫌う赤司のことだから、まだ早いこの時間この後にもどこかへ行くものだろうと思っていた黒子は拍子抜けしてしまった。
それが伝わったのか赤司は一度目を瞬かせた後、ふっと目元を緩めてから悪戯っぽく微笑って首をわずか傾ける。

「急ぐことないよ、夏休みはまだまだ長いんだから」

「!…、…そうですね、そうでした…」

今日一日じゃない、期限付きとはいえまだまだ先は長いのだから、急いで思い出を作る必要はないのだ。明日も明後日も、自分は赤司の隣にいる。黒子が練習に向かえば存外わかりやすく拗ねたりもするだろうし、困る我儘を言うこともあるだろうけれど。

なんだかんだと言いながら最後には必ず黒子は赤司の元へ戻ることを知っている彼はやっぱり、すべてをわかったように笑うのだ。
黒子には言葉にできない美しさで以って。



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京都遠征(観光?)一日目でした。
でも二日目以降があるわけではありませんよ高校生が花街…?なんて言うのは野暮ですよ!

ツッコミどころが多すぎていけない