僕らの夏戦争 「あーっ、紫原っちそれ俺の!」 「えー?知んない。お菓子は俺の」 「何スかそのジャイアニズム!」 「お前らうるさいのだよ、少しくらい大人しくできないのか」 黄瀬のものらしいポッキーを我が物顔で頬張る紫原とそれに文句を垂れる黄瀬に向かって緑間が冷たい一瞥と共に一喝を寄越す。 しかし相も変わらずテーピングが施された彼の手にある、おそらく今日のラッキーアイテムだと思しきマシュマロを青峰がひょいと奪ったことで窘めていたはずの緑間までもが騒がしさの一因となった。 「青峰!」 「んだよケチーな、一個くらいいいだろ」 「それは今日のラッキーアイテムなのだよ、食べるな、こら!」 わいわいがやがや、海へと向かう騒がしいバス内を最後列の座席から眺めていた黒子はひとりため息をついた。 「はあ…」 「どうしたんだいテツヤ、まだ海に入ってもいないのにやけに疲れた顔をして」 てっきり寝ているとばかり思っていた赤司が瞼を上げないままに口を開く。黒子の疲れた顔が見えているのかと問いたいところだが対赤司に関して言えばそれもあり得るかもしれないと突っ込まないことにした。 「僕がどうこうというよりもあの人たちはまだ海に着いてもいないのに何故あんなに元気なんですか…」 黒子にしてみれば合宿終わりによくあんな元気があるものだととことん体力馬鹿の彼らには驚きを通り越して呆れるしかない。 合宿最終日に顧問の口から告げられた「ご褒美」という名目の海水浴は皆のやる気を奮起させるには十分な効果を持っていたようだが黒子にとってそれは死刑宣告に近かった。そんな場所で、黒子が無駄に元気の有り余った彼らに絡まれないわけがないのだから。 おそらく発案者であろう赤司をじとりと見やれば、彼はタイミングを測ったように薄っすらと瞼を上げる。 「もうすぐ着くからこそ楽しいんじゃないのか。何事も待っている時が一番楽しいものだよ」 彼とて自分たちと同じ御年14歳のはずなのだが、騒がしいチームメイトたちを達観した様子で眺める赤司はさながら父親のようだ。もちろん、実際にはそんな甘いものではないのだけれど。 「赤司くんもですか?」 「ああ、楽しみだよ」 なんという嘘臭さ。 ここに至るまでの間ずっと人の肩に頭を預けて寝入っていたくせに(どうやら狸寝入りだったらしいが)よくもそんな白々しいことが言えたものだと疲れ切って若干荒んだ心で黒子は思う。 「…何事もなく終わればいいですけどね」 「不吉なことを言うもんじゃないよ」 くっ、と喉の奥で笑みを漏らす赤司の表情はしかしこの上なく楽しそうだった。 * 「黒子っち見て見て!くらげ!」 「刺されますよ」 「大丈夫っスよー、うわキモ」 海に潜ってなにやら採ってきてはパラソルの下でひとり荷物番に尽くす黒子の元へやってくる黄瀬をまるで飼い主の元へ走ってくる犬みたいだとぼんやり思いながらも楽しそうな彼の様子には毒気を抜かれてしまって、つい笑みが零れる。時折触れる彼の肌やキラキラと輝く金髪から滴る水滴は火照った肌には気持ちよかった。 だからといって泳ぎたいとは微塵も思わないのだけれど。 「テツも泳ごうぜ」 「!ひゃっ」 黄瀬が置いて行った拳大のくらげをぶにぶにと突ついていたら突然濡れた身体に背中を覆われてその冷たさにびくりと肩が跳ねる。声と行動で誰かなんて顔を見ずともすぐにわかった。 「っ、青峰くん、やめてください」 「パーカーとか着て暑くねえの?水着着てんだから泳げよ」 背中に覆い被さる格好の青峰の身体が羽織ったパーカーをじわじわと濡らしていく。抗議の意味を籠めて肩からだらりと垂れる彼の腕をぺちりと叩くが、愉快がった青峰はあろうことか腕を首に巻きつけてきた。 「ちょっと青峰くん、濡れるじゃないですか」 「海来て濡れんのが嫌っておまえどんだけだよ」 密着した箇所から青峰が身体を震わせて笑っているのが伝わってくる。苦笑混じりの言葉から言うほど不満気な色は見えず、再び硬い腕を小さく叩いた。 「パーカーが濡れます」 「脱ぎゃいいじゃねえか」 「いやですよ」 「なんで」 「…君たちみたいな筋肉の塊と比べられたらたまったもんじゃありません」 今更な話かと思われるかもしれないが、上半身裸となるとまた別なのだ。同じ部活で同じ練習量をこなしているはずなのに、元々の体格の差を差し引いても黒子の身体はあまりに貧弱で頼りない。それなりに筋肉はついているとはいえ比較対象が悪すぎた。 自分の身体に回された腕や背中に感じる布越しにもわかる筋肉の弾力が羨ましくて、つい頬を膨らませると肩口に額を押し付けた青峰が盛大に噴き出した。 「ぶはっ、なんだよテツ気にしてんのか?」 「うるさいですね、とにかく僕は断固泳ぎません」 「んだよつまんね」 「黄瀬くんたちと遊んできたらいいじゃないですか」 黒子が指差す先では緑間の眼鏡を奪ったらしい黄瀬が彼に放り投げられ、紫原に沈められている。実に楽しそうだ、見ている分には。 「テツがいなきゃ意味ねえだろー」 場所を首から腰に移動させ、ぎゅうぎゅうと抱きしめる力を強めながらさらりと言われた台詞に不覚にもどきりとしてしまった。 このジゴロめ、と日焼けとは無縁の白い頬を微かに赤らめて睨んでみるが黒子の性などわかりきっている青峰には望むような効果は得られない。 「顔あけえぞ」 「日焼けです」 「んな生っ白い肌でなに言ってんだか」 「放っといてください。ほらもう行ったらどうですか」 「へーへー、倒れる前に言えよ」 「こっちの台詞です」 青峰を海に追いやってから、火照った頬を冷ますべく黄瀬が用意してくれたペットボトルを手に取る。 「っ、!」 しかし、それを押し当てる前にまたもや背後から強襲を受けて人肌とは比べ物にならない冷たさに縮み上がった。こんなことをするのも今しがた海へ向かった青峰を除けば一人だけである。 「ごめんごめん、驚いた?」 「…心臓が止まるかと思いました」 「それは悪かったね」 全く悪びれる様子のない赤司にどうやら黒子の首筋を襲った正体であるらしい青色のかき氷を差し出されて、渋々ながらも受け取る。 「…ありがとうございます」 「僕の独断と偏見によりテツヤはブルーハワイだ」 「奢ってもらっておいて文句なんか言いませんよ」 対して赤司の手にあるそれは合成着色料甚だしい紅色だった。自分が食べるものでさえカラーリングによる選択をするあたりその徹底ぶりには変な感心を覚える。 「涼太はレモンだろ、真太郎は抹茶、敦はグレープ、だけど困ったことに大輝の色がない」 「コーラでいいんじゃないですか」 「あ、なるほど」 あとで買ってきてあげよう、と嬉々として言う赤司の目的が嫌がらせであることなど明白で。 青峰には悪いことをしてしまったかもしれない。けれど珍しくもひどく楽しそうな赤司を見ていたら何も言えず、青峰には心の中だけで謝罪してすでに溶けはじめたかき氷を口に運んだ。 「赤司くんは海入らなくていいんですか?」 「うん?」 「楽しみだって言ってたじゃないですか、さっき」 「ああ、もうすぐだよ。もうすぐ」 「は?」 もうすぐ、それはつまり赤司の楽しみとやらはこれからやって来るという意味だろうか。 ひやり、背筋を冷やすのはかき氷だと信じたい。しかし嫌な予感ほど的中するものはないわけで。 「そろそろ始まるかな?」 「なにが、です」 「ん?楽しい楽しいビーチバレー大会」 血肉沸き躍るの間違いでは、と口にする勇気は、黒子にはなかった。 * 「黄瀬くん頑張ってーっ!」 浜辺の少女たちから一身に黄色い歓声を浴びる黄瀬が、相手チームのブロックを躱してスパイクを叩き込んだ。経験者ではないはずだが、190近い長身に加え垂直跳び80cmのバネによる高い打点から繰り出されるスパイクはコートの外から見ていても迫力がある。しかしそんな黄瀬の活躍により少女たちの姦しい声援が大きくなるにつれ、見るからに青峰、緑間、紫原の機嫌が降下していくのがわかった。 「うっせえ!おい黄瀬、ちょっと黙らせろ!」 「無茶言わないでくださいっス!」 「お前が無様に顔面ブロックでもすれば静かになるだろう、はやくやれ」 「ヒドッ!モデルに顔面ブロックさせるとか鬼っスかあんたら!」 「もー黄瀬ちんうるさいーブロックとか俺一人で十分だし」 「そう言われりゃそうだな、つかあれじゃね黄瀬いらなくね」 「ちょ、青峰っち今の見てた!?スパイク決めたじゃないスか!」 「あんなん誰でもできらあ!」 言いながら、紫原が上げたトスを渾身の力で撃ち出した青峰のスパイクはブロックを弾き飛ばしてコートに突き刺さった。 一歩も動けずに立ち尽くす相手チームを尻目に紫原が峰ちんさっすがあ、と小さく口笛を鳴らす。 「黄瀬如きに負けてたまるか!」 「何で?!」 「次はお前のサービスなのだよ、早く打て」 「な、なんかすげえ理不尽…。え、仲間っスよね?俺ら同じチームっスよね?」 「うん仲間仲間、だから早くして」 「もうヤダ!」 黄瀬が涙目になりながらどうにでもなれ!と打ち出したサーブを受けてトスが上がる。 すでに1セット取られた上での18対5という圧倒的点差にも拘らずまだ諦めていないのは評価できるが、紫原の絶対防御の前には精神論ではどうにもならない。 打ち出したスパイクは軽々と弾き返され、勢いをそのままに虚しくも自陣コートへと落ちた。 「…まったく、どいつもこいつも勝負にならないんだから」 青峰たち四人を勝手にエントリーした張本人である赤司が苦々しく呟く。相手が彼らではその言い種はあまりに可哀想だ。 「仕方ないですよ、あの人たちはもう一種反則です」 「でもこれじゃあ賭けにならないじゃないか」 つまらない、根っからの愉快主義者はそう言って形のいい眉を顰めた。しかし本当に文句を言いたいのは黒子の方である。 「…というか本気ですか?僕の意思は?」 「あいつらが負けるといいね?」 「ありえないでしょう…」 ちらりと視線をコートに移せば、丁度緑間がサービスエースを獲ったところだった。 準決勝でこれでは決勝もたかがしれている。鼻先に人参をぶら下げられた彼らが万一にも負けるとは思えない。 「どうするかな、僕としてもテツヤを安々と渡すつもりはなかったんだよ?ただ予想外に骨のない奴らばっかりだから」 「どっちにしろ優勝させる気だったくせになにを今更…」 「まあね、目的は賞品なわけだし」 赤司の目的はビーチバレー大会で優勝することではもちろんない、優勝することが目的のための手段であるというだけだ。 優勝賞金20万円+2泊3日軽井沢の旅。 「賞品に興味はなくてもテツヤをご褒美にすれば頑張ると思ったんだけど」 「だから僕の意思は…」 「そんなえげつないことしないさ、誰も」 赤司が提示したご褒美。 それは「優勝できたらテツヤを一日好きにしていいよ」という黒子の人権をまるっきり無視したもので。寝耳に水だった黒子は異議を唱える隙さえ与えてはもらえなかった。 「…結果如何によっては恨みますからね…」 隣に立つ赤司を睨むように見上げるが、彼はコートを見つめたまま小さく肩を竦めるだけだった。 そして案の定、彼らは圧倒的な実力差で優勝を掻っ攫った。 「はっ、当然!」 「全っ然勝った気がしないんスけど…?」 「大丈夫ですか?」 黄瀬ひとりが何故か疲労困憊している様子を見兼ねて冷やしたタオルを差し出すと、彼はわずかに瞼を持ち上げた後、疲れを忘れたみたいに蕩けるような笑みを浮かべた。 「ありがと黒子っち。元気出た!」 「!…それは、よかったです」 そんなわけはないと知りつつ、あんまり嬉しそうな黄瀬の笑顔を見るとそれ以外に言葉が見つからない。 「黒ちんひいきー。俺も頑張ったよ?」 「え、ああ、はい、よく頑張りました」 撫でて、とでも言いたげにこうべを垂れる紫原の柔らかい髪を、踵を浮かせて梳くように撫でると今度はふにゃりと相好を崩した彼に両手でぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜられた。 「一番点獲ったの俺だろ!」 「お前は終始ブロックしていただけだったな」 「えーなにそれ、いいじゃん全部止めたじゃん」 「よくやったよ、敦」 「でしょー?」 黒子と赤司、両名に労いの言葉を貰って大層ご満悦の様子である紫原が、更にかき氷を差し出されてぱっと表情を明るくする。 「わーい赤ちんありがとー」 「はい、大輝も涼太も真太郎も、お疲れ様」 にっこり。色とりどりのかき氷を差し出すが、怪訝を通り越して気味の悪いものを見るような目をした青峰黄瀬緑間の三名は受け取ろうとはしなかった。 「気味が悪いのだよ、何を企んでいる赤司」 「失礼だな、頑張った仲間を激励しようと思っただけじゃないか」 「そもそもお前が勝手にエントリーしたんだろうが」 「しかもホントは五人で一チームなのに…」 どうやったのか知らないが、本来五人でしか受け付けられないところを何故か四人でエントリーされていたのである。こちらの人数を揃えるのではなくルールの方を捻じ曲げてみせるこの唯我独尊っぷり。 「いいじゃないか、優勝できたんだから」 そういう問題じゃない。 皆の心がひとつになった瞬間だったが、それを口にする愚か者はいなかった。 「というわけで、ご褒美の件なんだけど。」 「テツを一日好きにしていいって?」 「うん、それね 今日一日に限るから。」 「………って、あとどんだけだと思ってんだよ!!」 現在の時刻、六時十八分。 うっすらと茜色に染まりはじめた美しい夕暮れの空にこだまする青峰の怒号が潮風に流されていくのを待って、赤司が静かに口を開く。 「そろそろ帰ろうか?」 にっこり。本日何度目かの絶対的勝者の笑顔は、いつになく輝いていた。 おわり ______ 「あ、ちなみに軽井沢はペアチケットだったからテツヤと僕で行ってくるよ」 「「俺らのメリットは!!?」」 「こんなことだと思ったのだよ…」 「いいなあ俺も行きたい」 「ああ、敦はいいよ」 「わーい赤ちん大好きー」 ______ アンケートで頂いたキセキの夏休みというコメントを参考にさせて頂きましたー。 安直ですみません、夏休みといえば海かお祭り、しか浮かばなくて…´ ` |