kuroko | ナノ
 
トロンプ・ルイユを壊すとき
 


※死ネタではありませんが黒子が重病です。苦手な方、不謹慎だと感じる方はここでお止めください 






1月も下旬のある雪の日、俺のケータイに珍しい奴から一通のメールが届いた。 
部活終わりに部室で何の気構えもなくそれを開いて、平静を装えただけでも上等だったと思う。 

『陽性でした』 

というたった数文字の簡素な一文は俺の心臓を痛いほどに脈打たせた。 

その翌日の今日、俺は曖昧な理由をつけて部活を休み昨日俺の寿命を縮めるようなメールを送ってきた黒子テツヤと小さな児童公園で対峙している。 

「…ついてきて、くれませんか」 

漫然と地面を蹴って腰掛けたブランコを揺らす俺を見下ろして、黒子が意を決したように口を開く。逆光で表情なんか見えやしないけれど、喉が潰れたみたいな声がすべてを物語る。 

「…俺でいいわけ?」 

キイ、と金属の擦れ合う耳障りな音がした。 

「高尾くんにしか、頼めないんです」 

俯いた青白い頬に空色の髪が落ちて一層ないはずの表情を隠す。今、こいつはきっと無表情なんかじゃないはずだ。 

「なにそれ」 


俺にしか、だって?笑っちまう。 
嘘をついているわけではない、ただ俺にしか頼めないというその理由がその台詞から想像されるほど可愛いもんじゃないことがすぐにわかってしまって、笑えてきただけ。 


「…だって、 

………――君は、たとえ僕がどんな病気でも、哀しんだりしないでしょう?」 

「は……っ、そりゃあ、真ちゃんたちには頼めないわけだ」 

あいつらは、キセキの連中は、黒子の言葉を借りるなら「哀しむ」に違いない。 
それが命に関わるようなものであったらそうでないほうが可笑しいのだけれど、黒子はそれを望まない。 

可哀相だなあ、と思った。彼らがきっと何よりも求める黒子に望まれないキセキたちが。それは黒子が彼らを想う故だとわかってはいるけれど、何も伝えないことは何よりも酷い仕打ち。 

「…っ、彼らはきっと…泣いてくれてしまうから。………僕のために、僕なんかのために、彼らは哀しむんです、傷付くんです泣くんです…っ、だからだめ」 

そんなの見たくない。 

はっ、と荒くなった吐息が白く空気に溶けた。 







「…――辛いことを言うようだが、もうバスケはやめなさい」 

守秘義務とかなんとか言ってたっけ。 
結局あの若い医者の情けか気遣いか、俺が待たされているこの場所と診察が行われている場所との隔たりは薄っぺらいパーティション一枚だけで、くぐもっていながらもはっきりと二人の会話は聞き取れた。聞き取れて、しまった。 

「…―!」 

「…やめ、ません」 

「黒子くん、わかってるのか?バスケを続けるということは自ら命を縮めるのと同じだ」 

「わかってます。でも、バスケを辞めたらその時点でもう僕は死んだも同然なんです」 

はっきりとした声音に迷いや逡巡は感じられなかった。医者の苦々しい嘆息が、その無謀さを伝えてくる。 

「ごめんなさい、僕のために言ってくれているのに…」 

「いや、――…強いんだな、君は」 

「弱いんです。弱いから捨てられない、バスケのなくなった自分が存在していられるのか自信がない」 

バスケの中に存在意義を見出だしたこいつはだから強いのかと変に納得して、そして。 


―泣くな。俺が泣いたらこいつは、今度こそひとりで耐えるだろう。俺のほかに自分を愛していない人間などいないことを知っている。次第に内側から病に冒され朽ちていく身体を抱えてたったひとり生きる辛さや絶望なんて俺には想像すらつかないし、まして理解できるなんて死んでも言えない、許されない、しかしその壮絶なまでの覚悟と強さがこいつにはもう備わってしまっている。きっと患ったそのときに。 

けれど、とうにその俺さえ黒子を愛してしまっていることをこいつは知らないから、だから俺は偽り続ける。お前のことで泣いたり哀しんだりなんかするもんか、というポーズを取り繕ってでも傍にいようと決めたのだ。それしかこいつを独りにしない方法はもう、ない。こいつは、俺が自分のことで少しでも哀しんだりしようものなら一切の感慨も未練もなく切り捨てるだろう。キセキたちのように。 

それが、こいつの強さであり弱さだ 
覚悟であり逃げだ 
勇気であり臆病だ 

「…っ…ふ、っく…、…っぅ」 

今更ながらに病院特有の消毒液の匂いがツンと鼻をついた。 
パーティションの白い布越しに浮かび上がる細い身体のシルエット。その影に聞こえないよう必死で嗚咽を噛み殺しながら、静かに泣いた。 
真っ白い床にぽたりぽたりと不規則に落ちる水滴をスリッパの底で揉み消して。 







「泣いてくれてもいいんですよ?」 

病院からの帰り道、俺の半歩前を歩く黒子がちらりとも振り向かずにいたずらっぽく言った。話を聞いていたことは医者の言がなくともばれている。 

「はあ?誰がお前なんかのために泣くかよ」 

大概ひどいそんな台詞にひどく安心したような顔をするこいつを、守ってやりたいと思った。そのためなら俺は何だってしてやる、何にだってなってやる。 
嘘つきにだって悪役にだって、死神にだって。ただ俺は本当の意味でこいつの神様にはなれない。助けてやれない。 
病魔が俺に移ればいいのにとか、いつの間にかきれいに病がなくなってたりしないかなとか、悪い夢であってくれないかなとか、思ったところで叶わない。 

だって俺は、神様じゃないんだ。 

「…死ぬときは一緒にいてやる」 

「それはまた、……求婚ですか?」 

「ふざけろ」 

「すみません」 

「死ぬときにひとりは嫌だろ。でもあいつらがお前の死に目に耐えられるわけねえもん」 

黄瀬は、青峰は、緑間は、紫原は、赤司は、そして火神は。 
きっと感情のままに阿鼻叫喚を演ずることだろう。そして黒子のためのそれこそが黒子の最も望まない姿。 

「…、」 

「だから俺が看取ってやるっつってんの。…笑っててやるから」 

頼むから、許してくれ。 
哀しむ顔を最後に逝くのが報われないというのなら最期には笑っててやるから、だから。 

「…そうですね」 

じゃあお願いします。 

そのときの顔を見て、俺は唐突に理解した。 

こいつはわかってるんだと。 
俺が哀しまないはずはないと、もうとっくにわかってる。泣かないはずがないとわかってる。ただ同時に、俺ならそれを隠して笑うだろうとも。 



こいつは暗に、俺に耐えろと言っている。 
自分の死に耐えられるのは俺だけだとでも言うのだろうか。本当に? 
本当に、俺が耐えられると思ってるのか? 


「……っ、」 


泣くな。 
泣いたら、ほら、俺が泣いたらこいつがこんな顔をするんだよ。こんな、罪悪感と不安でいっぱいみたいな顔させたくないんだよ。 

「…誤算でした」 

「…っ、泣い、て…ねえからな…っ!」 

「どの口で言うんですか」 

「っるせ…」 

止めたいのに頬を濡らす水は一向に止まらない。 

「その涙が僕のためなら、僕はもう君には何も頼めません」 

これから先、着々と進行していく病状を聞かされるのも、余命を宣告されるのも、すべて一人で受け止める。 

背筋が凍った。 

「!やめろ…!」 

「なぜ?」 

心底不思議そうな表情をする黒子が、俺にはまるで小さな子供のように見える。 
無邪気で無謀で純粋すぎるゆえに残酷な、こども。 

「理由なんかいるか…!お前が一人で死んでくなんて耐えらんねえ、それなら俺は無理矢理にでも笑って傍にいた方が百倍マシだ…!」 

哀しくないふり、泣いていないふりをして。 

「……ごめんなさい、泣かないで」 

「泣いてねえっ…!」 

「…―――僕を、これからどんどん死に近付いていく僕を、見ていてくれますか?高尾くん」 

「!」 

俺を見上げる瞳は多分、潤んでなんかいないだろう。そう見えるのはただ、俺の目が濡れているからだ。 

そう言い聞かせながら輪郭がぼやける黒子の顔を手探りで確かめて、口づけた。 

微かに震える唇も、頬をくすぐる濡れたような睫毛も全部全部ちらつき始めた雪のせいにして。 








Fin 



――――――― 
黒子っちが自分で自分を騙し続けていたのを高尾くんがぶっ壊すというイメージのタイトルですわかりにくい。そしてぶっ壊せてないですまったくもって。 

悲恋が書きたかったんですけど死ネタとかバッドエンドは自分が辛くて嫌なのでこんなことに…この後は皆さんのご想像にお任せします。 
お粗末さまでした