kuroko | ナノ
 
恋愛依存症の彼
 


※二人とも病んでます 



「DVぃー?」 

ないない、あいつに限って。 

大方予想はしていたが、そう言って笑い飛ばす日向たちに苛立ちが募る。確かに、火神だって信じ難いし信じたくはない。 

それでも、状況としてそれしかありえなかった。 


黒子が、見る度に生傷を増やしている、その理由。 



「真剣に聞けよ…っじゃない、聞いてくれ…ださい…っ?」 

「って言ったってなあ、何だって火神はそんな突拍子もないこと思ったんだ?」

思ったより険しい表情で声を荒げた火神に流石に日向たちも茶化すべきではないと思ったのか、困惑したように眉根を寄せて顔を見合わせる。 

「…っ見りゃわかんだよ!」 

付け焼き刃にもほどがある敬語も忘れて、疑う日向たちに向かって怒鳴った。 
もどかしくて仕方がない。 
普段なら許されない火神の無礼にも今だけは何も言わず、考え込んで口を噤んだ日向。 

そんな風に考えるまでもない。 
だって、黒子を見れば明らかなのだから。 

黒子は頑として殴られてはいないと主張するけれど、それならあの躯中にある痣は何だと言うのだ。半袖を着ていても覗かない、ギリギリの部位に浮かぶ無数の鬱血の跡は黒子の生白い肌と相俟ってあまりにも痛々しかった。 

日向も頭から否定することはできなくなったらしく、見るまではわからないと強引にその話題を終わらせて練習に戻った。 





日直で遅れました、と言って平然と体育館へ現れた黒子に誰もが目を疑ったに違いない。 

「黒子……!!?」 

言葉を失った部員たちの中、真っ先に声を発したのは日向。 
それすら意味を成す言葉ではなかったのだけれど。 

「…はい、何か…」 

「何かじゃねえって…!何だよそれ……っ!!?」 

「…大したことじゃ、ありません…気にしないでください」 

「んなこと言ったって…」 

大したことじゃありません、だと? 
大きな瞳はその片方を眼帯で隠され、細い首には包帯まで巻いて、手の甲には血の滲む大きな絆創膏。 
何をしてそんなことが言えるのか、何も語らない黒子に、非はないとわかっていても腹が立つ。 

パートナーじゃなかったのか。 
オレはお前の光じゃなかったのか。 
なのに何故そのオレにさえ、何も言ってくれないんだと。 

「黒子…、何でだよ、殴られてんだろ?何で言わねえんだよ」 

「!…っ殴られてなんて…」 

「じゃあ何だよそれ、何したらそんな風になんだよ。」 

心が凪いだように静かで、ただ黒子に一言でいい、事実を告げてほしかった。それなのに。 

「違います黄瀬くんはそんなことしない…っ!!」 

何故庇う。何故、自分を傷付けるばかりの相手をまだ、好きでいる。それともお前は、黄瀬の暴力は愛だと、そう思っているのか。 








狂ってる。 

それを愛だという黄瀬も、その愛を信じきっている黒子も。 

「じゃあ何だってんだよ!??」 

「っそれは、…」 

言い訳も思い付かないのか、ぐっと言葉を詰まらせて黒子は唇を噛み締める。 

それが何よりの答えだと言うのに。 

「答えろよっ!おい黒子っ」 

「…火神くんには、関係ありません…っ」 

結局はそれか。 
結局、黒子は何も言わない。 
心配をかけまいとしているのか何なのかなんてどうでもいい。 

ただ、誰の手も振り払って黄瀬にしがみつくその理由が知りたかった。何故黄瀬なのか。 

「…なんで……っ!!」 

「もういいだろ、火神…黒子がいいって言ってんだ。」 

「いいわけねえだろ!!」 

黒子に詰め寄った火神を引き離そうと腕に掛けられた日向の手に黒子への苛立ちをぶつけるように振り払う。 

「わかってるよっ!!いいわけねえって、んなこと皆わかってんだ!!」 

しかし、その日向の思わぬ怒号に一瞬動きが止まった。 

本人が言っているからいいなんて、そんな馬鹿なことはない。そんな馬鹿はいない。けれど、だからといってどうなるわけでもなければ何ができるわけでもない。今の黒子に何を言おうが無駄だと、そんなことは火神とて承知の上で。 

それでも、何ができるわけでもなかろうと、これを許したら黒子が傷ついていくだけ、狂っていくだけなのだ。 

それを黙って見ていることなど火神にはできやしない。したくもない。でも、どうすればいいのかもわからない。 

「っ…」 


「なあんか、修羅場ってるっスねえ。」 

「!黄、瀬…っ」 

「久しぶりっスね、火神っちは」 

「てめぇ何しにきやがった…!!!」 

至ってにこやかな黄瀬は、今の情況をわかっていてその上でそんな長閑な笑みを浮かべていられるのだとすぐにわかった。黒子の表情は驚きに満ちていたけれど、そこには同様に安堵さえも含まれていたように思う。 

何故、と。疑問も、苛立ちも、やるせなさも、情けなさも、何もかもがないまぜになって押し寄せた。 
黒子への苛立ちは結局己の不甲斐なさに繋がるだけで、それこそが火神をどん底に突き落とす。 

「ひどいっスねえ、久しぶりだってのに。…ま、すぐ帰るっスよ。ね?くろこっち」 

体育館の扉に寄り掛かって入口を塞ぐ長身の影がしなやかな動きで身を起こし、一歩足を踏み出す。たったそれだけの動作にさえ目を奪われ、その間に黄瀬は黒子の前にたどり着いていた。ふたりの身長差は21cmもあって、黒子は目の前に立った黄瀬を見上げる格好のまま微かに身を寄せる。 
自分に寄り掛かってきたその華奢な身体を黄瀬は甘んじて受け止め、引き寄せると周囲の目も気にせず黒子の眼帯に口づけた。 

「ごめんね、痛かったっスよね?…だから迎えにきたんス、もう今日は帰ろ?」 

自らがつけたのだろう傷痕を愛おしそうになぞり、しかし本心から悪いとは思っているのかその視線は労るそれだ。 
黒子は、これがあるから赦してしまうのか。それともただ、盲目的に黄瀬のことを好きでいるのか。 
真意などわからない。 

「大丈夫です、黄瀬くんに悪気があったことなんてないですから…」 

「…ごめんね」 

「謝らないで。いいんです、傷つけられても、それが黄瀬くんなりの不器用な想いの伝え方だってわかってます」 

どこか夢心地のような、そんな不安定さを湛えて黒子は黄瀬に慈悲深い瞳を向ける。それを受け止める黄瀬の方も、もう周囲なんて見えてはいない。泣きそうにも見える情けない表情で、黄瀬の全てを受け容れてしまいそうな黒子を縋り付くように抱いた。 

「ごめんね、もう殴らないから…なんて、説得力ないっスよね……でも、どうすればいいんかな?もうくろこっちを離してあげられない。」 

「離れませんよ。それに、ボクは黄瀬くんの言葉を信じなかったことなんてありません。」 

信じて、その度に裏切られるんだろう?なのにどうしてその偽りだらけの道化の言葉をそうも純粋に、一切の曇りもなく信じることができるのだ。 

そんな火神の想いを知る由もなく、自分よりも遥かに大きな身体をその細い身体で支え微かに震える背中を絆創膏に覆われた痛々しい手が行き来する。 

その光景だけ見ていれば、黄瀬が黒子を殴るなんて想像するのも馬鹿馬鹿しいくらいだというのに、事実黒子の身体には不似合いな生傷がいくつもあって。 

どうすればいい? 

このまま、黒子を黄瀬の元に置いて傷ついていくのをただ見ている?本人の意志だから? 

「……っバカじゃねえのか」 

「…火神くんには関係ないでしょう?ボクには、黄瀬くんしかいない。黄瀬くんにはボクしかいないんです…。」 

そんなわけない。 

「おまえには俺らがいんだろ!黄瀬にだってチームメイトが…っ」 

「そうじゃない。そうじゃないんですよ…だから、ボクは一人だって言うんです。」 

だから、ボクには黄瀬くんしかいない。 

疎むような視線に、まるでお前はもう必要ないと言われたような気がした。足元から何か得体の知れないものが這いあがってくる感覚。それに浸蝕されたら終わりだと頭の中で警鐘が鳴っているのに、それに引きずられてでもいるかのように足先から膝上、腰にまでそれは触手を伸ばし、胸元にまで迫ってきた時耐え難い気持ち悪さに襲われた。息が詰まる。けれど喉を競り上がってくるものの正体を知りたくはなかった。 
「…すみません、今日は帰らせてもらいます」 

「あ、ああ…」 

その場に立ち尽くした火神を放って黒子は帰ろうと自分に覆いかぶさる黄瀬の背中をゆるく叩く。黄瀬がこの状態ではもう部活に参加などできないのだろう。いつも、怪我が増える度黄瀬は甲斐甲斐しく迎えにきては、その日、黒子は練習には参加せずに帰るのだ。 

「黄瀬くん離して。早く、帰りましょう」 

「うん」 

大人しく黒子から離れる黄瀬の様子はまるで忠犬。しかしそんなのは一時のことで、多分きっと、家に帰れば黒子はまた…。 

「…っ」 

「…火神くん、ボクのことはもういいんです。」 

心配してくれてありがとう、さやかな声でそう火神にだけ囁いて、黒子は背を向けた。 
気持ち悪さは消えない。 

けれど、その言葉を口にした黒子の表情があまりにもやわらかで、穏やかで、心からこのままでいいんだと思っていることに微かな畏怖さえ覚えた。 

互いに依存し合う関係を、享受しているふたり。周囲から見ればそれは異常にも見える関係だけれど、お互いからすればそれはこれ以上ない唯一の居場所なのだろう。たとえそれが己の身を滅ぼしているのだとしても、彼らにはきっと些細なことでしかなく。 


それは本当に"幸せ"なんだろうかと、ショックに揺らぐ頭で考えてみても無駄なこと。 
こればかりは当事者にしかわからないことであり、その当事者たちはきっと何があっても手に入れた番の存在が居る限りは幸せなんだと、実際にはそうでなくとも、思ってしまうのだろうから。 

けれど 

(オレは、黒子がすきだった…) 

盲目的に――…。 

(…っ、どうでもいい気持ち悪いもういいもうやめる…) 

鼻の奥がツンと痛む。 
込み上げる吐き気に鬱々として、考えることをやめた。 



Fin



"12.2.16加筆修正