雨と無知 ※同棲設定 雨の日は嫌いだ。 窓を叩く忙しない水滴に責められているような不快感に、激しく降りしきる雨は数メートル先の景色すら霞ませる。雨の日特有の埃っぽい匂いは一層その不快感を煽った。 ガラス一枚隔てた向こう側では傘を差しながら早足で歩く隣を、傘を忘れたらしいサラリーマンが鞄を盾に走り抜け、これも雨のせいか車通りがやけに多く騒音が耳につく。しかし同じ世界に生きながら自分はそんな光景を悠々と眺めていて、まるでこのいかにも脆いガラス一枚を隔てて別の次元に存在しているかのような錯覚を覚えた。 けれど、いざそのガラス一枚を一ミリでもずらしてみれば二次元だった雨は実体を伴って三次元へと干渉してくる。 こんな日には必ず思い出す記憶がある。 オレが、相棒に捨てられた日。 ―――影を、失った日。 雨空の下で、オレたちは確かに決別した。 身を切るような思いというのをあれほど如実に体感したことはかつて無く、オレは暫時廃人のような生活を送った。 すべてに絶望していたように思う。 彼が自分を必要としていたのではない、自分が彼を必要として、手放そうとはしなかったのだと気付いた時にはもう遅すぎた。 あの頃を思うと、あいつが如何に大切な存在であるかを自覚して心臓のあたりが絞られるように痛む。 「…青峰くん?何見てるんですか」 「おぁ?!…っんだ、テツかよ」 柄にもなく感傷に浸っていたのを当の相棒に遮られ、相変わらずの影の薄さに驚くのと同時試合中のように意図して姿を隠していない限りいつでも感じられたその気配を確認できなかったことにちょっとしたショックを受けた。 「?そりゃあ…他に誰もいませんからね」 「いやそうなんだけど…もうちょっとこう、何かあってもよくねえ?」 彼は自分の存在に気付かれないことが当たり前だと思っている節があって、それがどんなに淋しいことなのかわかっていない。それはまるで、黒子が人より多く素通りされてきた末の無意識での自己防衛。 「何言ってるんですか?」 「…わり」 「はあ…?」 「だからっ!…っ、オレだけは、テツに気付かなきゃいけねえんだよ」 「…意味がわかりません」 青峰の必死の告白に真顔でそう告げる黒子は本当に理解していないようだった。傍から見れば青峰の台詞はまったく支離滅裂であることに本人の自覚はない。 「っ、気付かなくて悪かったっつってんだから素直に聞け!」 「言ってませんよそんなこと…」 「うるせ」 せっかくの感傷も台なしだ、と再び窓の外に視線を投げれば、窓硝子に映った黒子と不意に目が合い、その無表情の瞳の中に微かな悲哀を見た。半瞬後、その大きな瞳が優しく橈む。 「気にしませんよ、僕は。君がいらないと判断したならいつでも素通りしてくれて構わない。…僕なら、へいきです」 「っ…!!」 硝子に映る半透明の姿、硝子越しの景色に今にも溶けてしまいそうな錯覚を覚えてすっと背筋が冷える。 「何言ってんだ…!」 「…何って、だから…」 「んなことあるわけねえだろ…!」 こいつは知らない。オレがあの時どれだけ深い傷を負ったのか、どれだけ深い絶望を味わったのか。知る由もないことなどわかっていながら、まだ青峰と離れる未来を捨てていないどころか来て然るべきだと思っている黒子に怒りが湧いた。 悪いのは全て自分だとわかっている。 青峰に傷付く権利などなかった。 突き放したのは、傷付けたのは青峰の方だった。 そんな前科があるのに真っ直ぐに信じてくれと言う方が恥知らずなのかもしれないけれど。 「青峰くん、へいきです。」 「!だから…っ」 「―青峰くんはそんなこと言わないって、わかってますから」 目の前の黒子の姿はもう透けていない。 雨に溶けるはずがない。もうあの血を吐くような日々は終焉を遂げているのだ。 そんなことにも気付かないで、 オレは 「!…」 「ご飯冷めますよ」 シャッと青峰の記憶に蓋をするようにカーテンを引いて、何の感慨もなくパタパタとスリッパを鳴らせて去っていく背中は青峰の元を去るのではないのだとわかっている。だからもう、離れていく背中を見て不安に襲われることはない。 再びカーテンを細く開けて窓の外を眺めると、雲の隙間から陽光が射していた。 Fin "12.2.16加筆修正 |