気まぐれhoney 「テツ?」 「?…青峰くん、何してるんですか?こんなところで」 じめじめした鬱陶しい体育館裏でうずくまっている奴が何を言うかと思いつつ、そんな場所に足を運んでいるのは自分も同じだと口を噤む。 「や、俺は…」 「?別にいいですけど、部活もう始まってますよ。」 「それはお前もだろ。何してんだ?」 「ああ…僕は、色々と」 弱々しい見た目の割にずけずけとものを言う黒子にしては珍しく言葉尻を濁して、何やら腕の中のものを隠そうとしているようだ。 それが気に入らなくて、近付いて行って腕の中を覗き込むとそこには 「あ?猫?」 せっかくの白い毛並みは美しいとは言い難く、土に汚れて斑模様が出来ている。 「…」 「何だ?野良猫か?」 「そうみたいです…あの、このこと誰にも…」 「?何で。別にいいだろ、猫くらい」 校内に紛れ込んでしまった野良猫を処分するような輩はいないだろう。 「いえ、あの…」 だが何故か黒子はその猫を抱いたまま言いにくそうにしているだけだ。その様子にまさかと思った青峰は、俯いたまま猫をじゃらしている黒子に問い掛ける。 「まさか、飼ってんのか?学校で?」 「…」 小さく頷く。 どうりで、野良にしては黒子に懐いていると思った。 「あのな…」 「青峰くんに言われなくてもわかってます。でも、せめてここに来る間は…」 猫なんて薄情なものだ。 どれだけ可愛がろうと、いつの間にかふらりといなくなって帰ってこないこともままある。野良猫なら尚更、ここよりいい場所、餌を与えてくれる奴が現れたらすっぱりと現れなくなるだろう。 それまでは飼いたい、と言うのか。 「猫なんてほっときゃいいもんを…」 「しょうがないでしょう。餌あげたら懐いちゃったんです。」 ぷいと顔を背ける彼は彼自身猫のようで可愛い。 だが案外情に深く猫好きの彼はきっとこの猫が現れなくなったら目に見えて落ち込むことだろう。 しかし、負けず嫌いで滅多なことではポーカーフェイスを崩さない彼の、こんなしゅんとした姿を見て捨ててこいなどと非情なことは言えなかった。 「…は、好きにしろ」 「!…ありがとうございます」 「ま、俺には関係ねえしな。」 そう嘯きながらも関わらないことなどできないと黒子にはとことん弱い己に内心呆れていた。 「黒子っち!って、あれ?青峰っち、何でこんなとこに居るんスか?」 体育館の陰からひょっこりと満面の笑みでも崩れないその美貌を覗かせたのは、もう練習着に着替え終えた黄瀬だった。青峰の姿を認めると、笑みの形に細められていた本来切れ長の瞳を驚きに丸くする。 「黄瀬?お前こそ何やってんだ。また呼び出されでもしたか」 この体育館裏は屋上と並んでの告白スポットだ。 多分、ここと屋上の利用頻度は全校生徒の中で黄瀬が1番高いと思う。 「違うっスよ。それは青峰っちでしょ?さっき女の子が走ってくの見たっスよ」 余計なことを。 折角黒子にバレずに済んだというのにこの馬鹿は何てことを言ってくれる。 だが当の黒子は黄瀬の発言に特にリアクションをするでもなく猫と遊んでおり、青峰のそんな心配は杞憂に終わった。 「お二人共相変わらずモテますね。」 あまつさえそんなことまで言って退ける。 「でも俺は黒子っち一筋っスからね!!」 黄瀬は自分がモテることを否定もせず黒子に告白めいたことを吐かしているが、黒子もいつものことなので、それはどうもとあからさまに白けた表情で返すだけだ。 黄瀬にそんなことを言われて鬱陶しがる黒子は女子の嫉妬と羨望の的であり、主には嫉妬の的である。 「で、青峰っちは何してんスか?」 「今お前が言ったじゃねえかよ。呼び出されただけだよ」 「?そういうことじゃないんスけど…まあいいや、黒子っち、これ上げる!」 不可解な表情をしていた黄瀬はしかし、青峰がここに居る理由などより黒子の方が重要なのかすぐに黒子に向き直って紙袋を差し出す。 青峰にとっても黄瀬などより黒子のほうが優先順位は遥かに上だがこうもあからさまだとムカつきもする。 「?クッキー、ですか?」 「うん、女の子がくれたんスよ。」 ニッコリと笑う黄瀬に悪気はないのだろうが、黒子相手に悪気がないでは通用しない。 急に目付きを剣呑にして、それでも丁寧に紙袋を突っ返す。 「…人に、それも女の子に貰った物を誰かに上げるなんて最低です。」 「!あ、違っ、これ猫用のお菓子!猫に餌やってる、って言ったらくれたんスよ!」 「……なら、いいですけど…ホストみたいなことしてますね…。」 それなら、と受け取りつつも眉間にシワが寄っている。そんな彼が見えていないのか、ただ単に気にしていないのか、黄瀬は尚も笑顔だ。 しかしその喜色満面の笑みも黒子はあっさりと流して、黄瀬から受け取ったクッキーを膝に載せた猫に与える。 黒子の隣に座り込んで猫を撫でている黄瀬の手に気持ち良さそうに顔を擦りつけている様子を見ると、どうやら黄瀬も長く黒子と一緒にここでこの猫を飼っているようだった。 「黄瀬も飼ってんのかよ…」 「違いますよ。僕が飼ってるだけです」 「ええ!?ひどいっスよ黒子っち!!」 飼っているかどうかはどうでもいいのだが、とにかく気に食わない。 「青峰くん?」「青峰っち?」 不機嫌さを隠しもせず踵を返し、体育館へ足早に向かうと二人の声が追ってきたが無視して体育館の建て付けの悪い扉を乱暴に閉めた。 好きでもない、名前すら知らなかった相手の告白を受けてやろうかと思ったくらいには、ムカついていた。黄瀬にも、そして何故か、黒子にも。 「青峰くん、どうしたんですか?さっき」 部活も終わって片付けをしていると、モップを手に黒子が歩み寄ってくる。 「!…別に、何でもねえよ」 「?そうですか。ならいいんですけど」 歯切れの悪い青峰に、黒子は特に追及しようとはしない。良くも悪くも人に関心が薄いのだ。 「…でも、あんまり黄瀬くんのこと邪険にするのはやめてあげたらどうです?」 「!は…?」 一瞬、頭が真っ白になった。ただ純粋に、黄瀬への苛立ち、憎悪にも似た感情が渦を巻く。 黄瀬のことが嫌いなわけではない。寧ろバスケだけは真摯に取り組み、自分と渡り合える彼を認め、好意すら持っている。 ただそれは、黒子に対する「好意」とは決定的に違うのだけど。 しかしだからといって黒子を譲るつもりなど毛頭無いのも事実で、黒子も黄瀬も好きではあるがその意味の違いは大きいのだ。 「黄瀬くんは青峰くんに憧れてるんですから、あまり邪険にするのは可哀相でしょう」 「――テツが1番邪険にしてんじゃねえかよ。」 だがそんな感情はおくびにも出さず、笑みすら浮かべて冗談混じりにそう返すと黒子からは顔の筋肉をピクリとも動かさずに 「僕はいいんですよ。僕が邪険にした所で別に黄瀬くんが可哀相なことはありませんから」 そんな答えが返ってくる。黄瀬からすれば黒子にそういう扱いをされる方が堪えるとは思うが、まず誰であろうと邪険な態度を取られたら可哀相であるとは黒子は思っていないらしい。 「まあそれはいいけどよ。別に黄瀬は気にしてないからいいんじゃね?俺は誰に対してもこんなもんだろ。」 「そうですか?というか普段は青峰くん、黄瀬くんにも優しいと思いますけどね。」 照れもせず、黙々とモップがけをしながらそんなことを言ってくれる。意外にもこっ恥ずかしい台詞を臆面もなく口にする黒子は平気だろうが、青峰はそんな風にはなれない。絶対に無理だ。 きっと今だって、褐色の肌はわかりにくいが赤くなっている自信がある。 「?青峰くん?」 「何でもねえ見るな!」 「?はあ…じゃあ、僕は片付けてきます」 あまりにも不自然に顔を隠した青峰を特に不審がることもなく黒子は青峰が持っていたモップまでも攫って早々に片付けに行ってしまった。 残された青峰は一人赤面する羽目になる。 「ほんとに日本人かあいつは…」 そう呟いて頭を抱えながらも、顔が緩むのを止められなかった。 それから数日、やっぱり関わってしまった青峰と黒子と黄瀬の三人でかいがいしく猫の世話をした。黄瀬は例に因って例の如く、毎日誰かしらから猫缶やらお菓子やらの貢ぎ物を持ってくるし、黒子は黒子で餌を用意しているので相当な量になってしまい結局黒子は用意しなくなった。 その数日後、恒例となった体育館裏に足を運ぶと、黒子がいつも猫の来る場所にうずくまっていた。 猫の残飯が所々に見つかる掃除すらされないあまり奇麗とはいえない場所に、黒子はただ座り込んでいる。 「テツ?どうした?」 声を掛けると、彼は微かに肩を揺らして振り返る。 そこに見えたのはいつものポーカーフェイスだったけれど、瞳には隠しきれない落胆や悲哀が滲んでいた。 「来ません」 その端的な一言で青峰は、もうあの猫は来ないだろうと一瞬で察した。 最初から猫なんてそんなものだと一種諦めにも似た見切りをつけた上で青峰は飼って、というか、飼うのを止めなかったのだ。それを黒子もわかっていた。それでもやっぱり、あれだけ可愛がっていたのだから仕方ないとは思っても青峰は猫云々よりも黒子のこんな顔を見たくなかった。 「仕方ないですよね、野良猫だったんですから。すみません、青峰くんにまで迷惑掛けて」 笑顔こそ浮かべていないものの、そのポーカーフェイスの裏に感情を押し殺しているのはありありとわかる。 どうして隠す。どうして見せてくれない。 吹っ切った振りをしてその場から去ろうとする黒子に、その痛々しい姿に、愛しさと同時に正体不明の苦いものが込み上げた。たかが猫、なんてことは言えない。誰にとってたかがであっても黒子にとっては違うのだから、言えるはずがない、思えるはずがない。 込み上げる愛しさと情動に突き動かされるまま、横を通り過ぎようとした黒子のか細い腕を引き寄せて小さな身体を腕の中に収め、驚きに見開かれた瞳に涙が浮かんでいないことに心密かに安堵して、 くちづけた。 触れ合わせた唇が、驚きに震える。 その感情が悲しみでなければいいと願った。 「…っ、青峰く…っ?」 「…泣くなよ。」 「泣いてなんか…っ」 「泣くなら俺の胸貸してやるから、一人で泣くな。」 「!…そんな、こと」 できません、と消え入る声で告げる。それはどうしてだと純粋に思った。多分彼は、人に甘えるということをしないから。 「…いつになったら、テツ、おまえは俺に懐くんだ?」 「!っ…」 泣き顔なんて見せられないと思っているのだろう、けれど見せてほしい。彼の弱さを。人には必ずあるはずの隙をひた隠しにしないでほしい。 他の誰でもない、自分にだけでいい。 警戒心の強い猫みたいな彼はきっと、本心から甘えられる人はいないと思うから。 それは自分であって欲しいから。 それは確かに独占欲ではあるけれど――。 「もうそろそろ警戒心解いてくれてもいいんじゃねえの?」 そう言いながら柔らかい猫っ毛を梳くように撫でると 「人を、猫みたいに…」 少々不満そうに言いながらも、腕の力を緩めない青峰のシャツをきゅっと握り締め、額をシャツの胸元に押し付けた。 9月初旬、まだまだ夏の暑さが抜け切らない乾いた空気が肌の上を浚っていく。 微かに鼻腔を擽るのはひと足早い秋の風と、腕の中から薫る石鹸の香。 握り締められた真っ白いシャツに滲むのは、 ――汗と涙。 "12.1.13加筆修正 |