kuroko | ナノ
 
融愛ドルチェ
 



「―――バイト?黄瀬くんが?」 


それは偶然耳に届いた単なる噂話だった。 



今年は既に雪がちらつき始めた12月の末、明日から冬休みに入る終業式の日に部活はない。 
普段だったらそんな日は黒子が荷物を纏めるよりも先に黄瀬がすっ飛んでくるのが当たり前のようになっていたのに、今日に限って何故か黄瀬は現れない。 
訝しく思いながらもどこかで、黄瀬はすぐに「遅くなってごめん!」と言いながら現れるのではないかと少しだけ待ってみるものの、何故来るかどうかもわからない、第一約束もしていない相手を待たなければいけないのかと段々苛ついてくるのと同時にそんな自分が心底気持ち悪くなって直ぐに教室を後にした。 

しかし、門を出ていくらかもしない内に、女の子たちの甲高い声で語られる有り得ない話題が黒子の足を止める。 

「そこの喫茶店でモデルの人がバイトしてるって!行ってみよ!」 

そんな馬鹿みたいな話。 
有り得ないというよりは、有り得てはいけない話。 

黒子の知る限りこの辺りでそんなのはあの黄色い人くらいしか聞いたことはないし、まずモデルなんてそう身近に何人も居るものでもない。 

ならば、やっぱりその話題の誰彼は黄瀬涼太その人ということで――。 

無視したい気持ちでいっぱいだったがしようにもするわけにはいかない状況で、恐る恐る、見るからに人だかりが出来ているその件の喫茶店へ少女たちに着いて足を運んでみる。 
この寒いなか見事に女性ばかりが集まるその光景に圧倒されたがここで帰るわけにはいかない。部活に支障が出る、その観点での使命感のみが黒子の足を動かした。 

女性ばかりの行列に並ぶのはなかなかの勇気がいったが、周囲からの奇異の視線は気にしないことにした。(何故こんなときばかり生来の影の薄さが通用しないのか恨めしくて仕方ない) 
ここでバイトしているという『彼』はほぼ確実に黄瀬だ。中に入ったら黄瀬を引っ張って出て来てしまえばそれでいい。女性たちからの非難の視線など気にしてはいられない。 

華やかなステンドグラスが嵌め込まれたお洒落な扉を、色めき立つ少女たちとは対照的な重苦しい気分で押し開けると頭上からカランカラン、と軽やかなベルの音が響く。 

「いらっしゃいませー!…っ、て、ぇ…っえ、ええぇっ!!??」 

「…やっぱり、君ですか」 

いらっしゃいませ、という言葉とともに向けられた上っ面だけではない笑顔は正真正銘、黒子のよく知る彼のものだった。例えば今だ表に連なる少女たちなら卒倒するほどのそれも黒子には見慣れたもので、そして今に至ってのみ言えば苛々を助長するだけで。 
しかし少女たちの目当てそのものであるだろう完璧な笑顔は黒子の顔を認めた途端、呆けたような間抜け面に変わる。 

「くろこっち!!?何してんスかこんなところで!?」 

「それはこちらの台詞です。何してるんですか?…―――コンナトコロで?」 

「うっ……そ、れは…、えと…ぅ、っ」 

いかにもバツが悪そうに視線を徘徊わせながら言葉を詰まらせる黄瀬にもっとも効果的なのは元教育係たる黒子の追及だと承知のうえで、下手な言い訳なんかで済ますことができないよう尚も無言のプレッシャーを与え続ければ彼は情けなく眉尻を下げる。 

「…っ、あの、くろこっち、ちょっと待ってて!休憩貰ってくるから、か、帰らないでね…!」 

ドアの外に意識を向けた黄瀬はまだバイト中だということを思い出したのか、腰に巻いたエプロンを翻して奥へ引っ込んだ。 
そのエプロンもさることながら黒と赤を基調とした制服が誂えたように似合っているのがまたムカつく。 

そんな黒子の理不尽な怒りなど知る由もない黄瀬は奥から顔を覗かせると小さく手招きした。 

―中へ来いとでも? 
敵のフィールドで話をするのか。 
そんなのどう考えてもこちらが不利だ。 

もう何の事やらよくわからなくなってきているがとにかく話をしないことにはどうにもならないと仕方なく黄瀬が呼ぶ休憩室へ入ると、中央の机に向かい合わせに座らされた。 

「…で?何してるんです?」 

初っ端からストレートにそう切り出せば 

「………バイト、です」 

そんな見ればわかるような当たり前の答えが返ってくる。 

「そんなのは見ればわかります馬鹿にしてるんですか。何故?」 

「……買う、ものが……」 

「黄瀬くん仕事してるでしょう。」 

「それはまた別っていうか…ここ日払いだからいいかなって思って……」 

日払いだからいい、というのは早急に必要だからか。 
だとしてもあれだけ仕事をしていればたとえ給料が家に入っていようと多少のお金くらい工面できるだろうに。 

「何でそんなにお金が必要なんですか?」 

「それは………、っ……」 

「……言えないようなことですか。 




…………幻滅しましたよ、黄瀬くんには」 

くだらない。眩暈がする。 

ガタン、と必要以上に大きな音を立てて立ち上がり、部屋から早々に辞そうとすれば背後でも同じく立ち上がる気配がしたけれど構わず足を進める。 

「っ、待って黒子っち!」 

しかし、取っ手に手を掛けた黒子に黄瀬の焦ったような縋るような声がかかる。そして、 

「……っ、た…誕生日!!」 

そんな主語も述語もないただの単語を発した。 
意味がわからない。 

「?…は?」 

「黒子っちの、誕生日だから…っ」 

今日は12月21日。 

黒子の誕生日は―――1月31日である。

「…あの、僕の誕生日は12月31日じゃありませんよ?」 

まだ一ヶ月以上も先だ。 

「わかってるっスよ!黒子っちの誕生日忘れるわけないじゃないスか!」 

なら、何故。そんな黒子の内心の疑問が顔に出ていたのか 

「だって早く準備したいし…黒子っちの欲しいものとか色々、考えなきゃって……」 

と言い訳じみたことをしどろもどろに並べた。 

「……じゃあ尚更、日払いとか何とか…関係ないじゃないですか。」 

「それは…だって、黒子っちが、一生懸命働いたお金を僕の為に無駄遣いするなって、言ったから…」 

「!」 

そういえば、そんなことを言ったような気がしないでもない。 


だって、黄瀬のプレゼントは余りにも大袈裟だったから。 

あれは確か、昨年のバレンタイン。黒子には関係のない行事だったし、それ以前に黒子はただバレンタインを「聖バレンタインの誕生日」という認識でいたのだ。好きな人にチョコレートを上げる日、ではなく。 

それなのに黄瀬はその日自宅まで来て、二人ではどう考えても食べ切れないだろうドでかいホールケーキと何故かプレゼントには洋服一式。高いものではないと言ったがそれはあくまで黄瀬にとって、という意味で、服なんか着れれば何でもという思考の黒子にはどこか有名なブランドであろう服の値段なんて想像もつかなかった。 
黄瀬はそれをただ黒子に着てほしいだけで自己満足の域だとそう言って笑っていたが黒子にはそんな風に割り切って考えることなんてできなくて。 
その際に、そんなようなことを口にした気がする。 

けれどだからといってバイトなら良いというわけでもない。働いたお金であることに変わりはないのだ。 

「…ああ、黄瀬くんの言う日払いだったらいいというのは…」 

「三日だけの臨時バイトなんス。だから、それなら黒子っちも受け取ってくれると思って…」 

三日働いただけだから、黒子は受け取るとそう思ったのか。だとしたら根本的に間違っているのだ、彼の考え方は。 

正直呆れは隠せない、けれど、目の前で可哀相なくらい見事に萎れている彼を見たらそれも言えなくなってしまって。 
ようはこれは全て黒子の為なのだと知ってしまった今、そんな黄瀬に何を言えるというのか。 

「…もうわかりました」 

できるだけ穏やかにそう言って、垂れ下がったままの色素の薄い髪を撫でる。少しも傷んでいない髪の毛のそのさらさらした感触は手に気持ちがよかった。 

「っ…くろこっち……?」 

「黄瀬くんの気持ちはちゃんと伝わりましたから、もういいです」 

「じゃあ…受け取ってくれる?」 

「はい、だからもうバイトなんてしないこと」 

顔を上げてもまだ不安そうな視線を向けてくる黄瀬の頭を撫でながらそう告げれば、 

「!うんっ」 

そんないい返事と共に、黒子の好きな最も黄瀬らしい子供っぽい笑みをくれた。 





「すみませんっ」 

「おいおい…そんな急に…」 

「黒子っちがやめろって言うから、やめさせてもらいます」 

「あのなあ…」 

まず黒子っちって誰だよ、といいたい所であろう。案外若かった店長らしき人物は深く頭を下げる気まぐれな若者に困り果てていた。いい客寄せパンダがいなくなるのも惜しいのだろうとは思うけれど。 

「今日の分の時給はいらないんで、ほんとすみません」 

「ったく……社会見学ってか?ま、二日間で大分売上に貢献してくれたことだしな、仕方ねえから許してやるよ」 

「!ありがとうございますっ」 

「で、いくらだったっけか。今日の給料」 

「え、いいっスよ!迷惑かけましたし…」 

「いいから大人しく受け取っとけよ、青少年」 

ニッと含みのある笑みを浮かべて封筒を黄瀬に押し付けるように渡し、背後の黒子に小さくウィンクしてきた彼はどこまで事情を把握しているのか、黒子にとっては結構にゆゆしき問題だったのだが黄瀬はそれには気付かずただ恐縮していた。 





「悪いことしたっスよねー…」 

「そうですね、よかったじゃないですか店長さんがいい人で」 

食えない印象ではあったけれど。 

「!だめっスからね?!!店長に惚れたら絶対ダメっスよ!!??」 

「…何言ってるんですか」 

帰路を歩きながら雑談に講じていると黄瀬は本当にただの学生で。いつ何時だろうと黒子に好きだなんだと告げてくる彼はただの男で。 

誰より黒子を苛立たせ、そして何より黒子を幸せにする。 


「…ありがとう、ございます」 

「え?何?」 

「…いえ、何でも」 

「?そう?」 

屈託のない笑顔はいつも黒子に多少の気後れと、大きな安心感をくれる。 
再び前に向き直って楽しそうに歩きだす彼の横顔を盗み見てから、体の横で無防備に揺れていた大きな手をこっそりと掴んだ。 

「!!?…ぅえっ!!?くろこっちっ?!」 

身体も繋いだ関係だというのに、手を握っただけで顔を真っ赤にする恋人が無性に愛しい。 

「…嫌、ですか」 

意図的に上目遣いで黄瀬を見上げれば、耳まで赤く染まった。 

「いいいい、嫌!!??嫌なわけないっスよっ??!ただその、えっ!??あれ!??くろこっちなんで??!!」 

「何言ってるのかわかりませんよ」 

「だ、だだだって、…っくろこっちがっ!!くろこっちが!!」 

「…可愛いですね」 

「ふえっ!!???!!?」 

おそらく今は何を言っても言葉らしい言葉なんて返ってこないだろう。 
頬から耳から首からとにかく体中を真っ赤に染めて、それでも手だけはしっかり握っているのだから何と言うか、もう可愛いとしかいいようがない。 

「黄瀬くんの家ってどこでしたっけ…」 

「へっ?!!あっ、そこを右に左折…って、え!??あれっ?!左を右に曲が…っ?!!」 

どこかで聞いたような迷言を口にして、先の交差点を指差す。いつもは別れる場所だ。 

「…お邪魔しても、いいですか」 

「!?い、いいのっ!!???」 

「いえ僕が聞いてるんですけど…」 

「そん…、だっ、大歓迎っスよ!!」 

繋いだ手をぶんぶんと振り回して、照れたように笑う彼といつもとは違うように見える道を歩く。普段は少しだけ恨めしい交差点が待ち遠しい。 

見上げた彼の顔は、いつもここで見る表情とは違って。 
寂しそうな色がないのを嬉しく思った。 

「?どうしたんスか?」 

「いえ、何でも」 

営業スマイルしか必要なくたって、彼は心から笑うだろう。 
けれど気取ったその顔よりも、黒子を見るときのだらしなく人懐っこい笑顔のほうが黒子はよっぽど好きだ。愛しさに溢れるその顔は、何よりも雄弁に黒子への愛を語るから。 

「くろこっちー」 

「?はい」 

「今日えっちしていいの?」 

「……………………」 

「った!!いたっ、っ…ちょ、くろこっちひどいっスよ!!」 

馬鹿な恋人も今日だけは肘鉄ひとつで許してあげよう。 

笑い合いながら、二人で角を曲がった。



Fin 



―――――― 
小悪魔黒子っち 
黄瀬のウェイター姿ひとつから派生したものでした^^^おそろしい 

"12.2.27加筆修正