kuroko | ナノ
 
ブカブカの上着は彼そのもの
 



「黒子っちー!!」 

公道から大声で名前を呼ばれて黒子は多少の煩わしさを感じながらも、約束した相手の声に致し方なく道路に面した自室の窓を開けた。 

「…だから黄瀬くん、きみは何でインターフォンを鳴らさないんですか」 

「こっちの方が早いっスよ!」 

そりゃあ黄瀬はいいだろうが、こっちは近所から何を言われるかわかったものではないのだ。何故こんなに便利な文明の利器を使わないのか、こっちの方が早い、という押し問答をもう何度繰り返したか知れないが、結局折れるのはいつも黒子の方。それでも懲りずに黄瀬が黒子の家へ来る度このやりとりを繰り返すのにさしたる理由はない。強いていえばただ本当に近所迷惑なのである。 

そして今日も今日とて、何を言っても豆腐にかすがい、糠に釘の黄瀬を諭すのが面倒になって先に諦めたのはやっぱり黒子の方だった。黒子の文句に何の反省もしていない黄瀬を尻目に窓をしめ、鍵をかけたのを確認して外に出る。 

「おはよう黒子っち、デート日和っスね!」 

「プロテイン買いに行くのに何がデートですか…」 

「プロテイン買いに行くわけじゃないっスよ!?」 

正しくはプロテインも含まれる、というだけだ。それにしてもただの部活の買い出しにデートなどと名目を付けてしまえば黒子が痛いに遭うのは目に見えているのだからやめてほしい。それに黄瀬だって、いくら教育係だからとはいえあまり黒子を連れ回すのはやめろと青峰や赤司に釘を刺されていたはずだろうに。 
今日だって本当は黄瀬ひとりの買い出しの予定だったのを、一緒に行ってと泣き付かれて断れなかっただけの話だ。黄瀬のことだからひとりじゃ寂しいとかそんな理由だろうと思ったから了承したと、ただそれだけ。 
もしこれが青峰だったなら断っただろうと思う。自分の中での黄瀬と青峰の立ち位置の違いはいまいち自分でもよくわかっていないけれど、少なくとも黄瀬は打算で動くような人ではない。 

「…黒子っちそれで寒くない?」 

「大丈夫です、どうせ屋内ですから」 

青峰たちも同様なのだけれど、どうも皆黒子が薄着だと決まってこう言う。11月下旬、確かにそろそろ空気にはこわさが含まれてきた頃だけれど、別に黒子は極端に寒がりなわけでもないし、女の子でもないのだから平気なのに。 

「…そっか、じゃあ行こっ!」 

ここで満面の笑みを浮かべて当たり前のように手を差し出すのはやめてほしい。 

差し出された、バスケをやっているとは思えないほど綺麗な手を軽くはたいて先を歩き出した。 


* 


「いつも飲んでるのってこれ?」 
「君は自分が何飲んでるかもわかってないんですか」 
「だってプロテインのメーカーなんて知らないっスもん」 
「ボクだって知りませんけどね、日常茶飯的に目にしていたら記憶しているものなんですよ」 
「そんな難しいことわかんないっスよー。でもいいじゃないスか、黒子っちがわかってるんだもん。ね!」 
「他力本願にもほどがあります」 


―――これは最初から黄瀬ひとりじゃ無理な買い物だったと気付くのに時間はかからなかった。まず何より黄瀬は買う物自体がわかっていないのにどうやって買い出しをしろと言うのか。どうやら今回は最初から黒子が一緒に行くことを考慮された上でのラインナップらしかった。 

黒子ひとりなら一時間も掛からない買い出しを三時間ほどかけて終え、休憩がてらショッピングモールの屋上に備えられたベンチに並んで座る。 

「つっ…かれたー…」 

「こっちの台詞ですよ」 

「!ごめん、なさいっ」 

「別に…いいですけど…、っ」 

こう素直に謝られてしまっては憎まれ口も出てこない。まだ11月だというのに暖房をフル稼動させていた店内でかいた汗が乾いて冷えたのか、代わりに出てきたのは小さなくしゃみ。 
くしゅっと小さくくしゃみをすれば、それを見た黄瀬は大袈裟に驚いてガタタッとベンチから腰を上げた。 

「!黒子っち?!」 

「!…え?」 

「あわわ…どうしようっ?!黒子っちが風邪引いちゃう…っ!」 

あっ!と思い出したように走りだしたかと思えばモール中に繋がる扉の前で再び急ブレーキをかけて戻ってくると、羽織っていたコートを黒子の肩にここだけは至極丁寧な仕種で掛ける。 

「これ着ててっ」 

そう一言言い残すと、黄瀬は脱兎の如く速さで駆けて行った。 
残された黒子はただ唖然とするしかない。 

けれど、肩に残された黄瀬の体温だけは別だった。訳もわからず託されたそれには確かに黄瀬の体温が残っていて、普段なら身体が触れるくらいの近さに居ないとわからないほど微かな香水の匂いも今は少し強い。いつも隣から香るそれに包まれているような、黄瀬の腕の中に居るような錯覚を覚えて、途端にかあっと頬が朱くなったのが自分でもわかった。 
あの長い腕が黒子の身体を囲い、いつでも羨ましく眺めていたあの細いけれどしっかりとした、中学生にしてすでに男の身体をしている筋肉質な胸板にすっぽりと受け止められる。嫌にリアルな想像が、触れたことのある黄瀬の身体の感触と共に襲ってきた。 

(うそだ…違う、こんな…っ) 

まさか、黄瀬に抱きしめられることを望んでなんて、いない。 
黒子には大きすぎるぶかぶかのコート。 
それは甘美な麻薬にも似た中毒性で以て、黒子の思考をどんどん黄瀬への想いに導かんとする。 

「黒子っち!」 

早くも戻って来た黄瀬の切羽詰まったような声音にはっと顔を上げると、目の前には声音と違わぬ息を弾ませた黄瀬の姿。 

「!」 

「大丈夫!?これ、とりあえず…温かいと思うし、」 

そう言って差し出されたのは、7本のホットドリンク。全て違うものだけれど、なぜふたりで7本もあるのだろうかと首を傾げれば、黄瀬は整わない呼吸のままにすぐさま答えをくれた。 

「あっ、いや、黒子っちが好きな飲み物ってシェイクしか知らないから…とりあえず全部買ってきたんスけど…、もしかして好きなのない?ならまた買って…」 

「!いいです、これで十分です…」 

黄瀬な手の中からホットコーヒーとコーンポタージュの缶を受け取り、残りも全てとりあえずベンチに置く。実際には、黄瀬のコートと己のありえない想像のせいで身体は火照っているほどだけれど、黄瀬な純粋な善意を無下にはしたくない。そのかわりにコートを黒子に貸してしまった黄瀬の方がよっぽど薄着だったので、寒いだろうと急いでコートを返そうとしたら押し返されてしまった。 

「オレは暑いぐらいっスから、黒子っち預かってて。」 

それは走ってきた今だけだろうに、笑顔で言う黄瀬の言葉の中に小さな気遣いを見つけて、その優しさにじわりと心臓のあたりに滲むような熱が点った。 

「…ありがとう、ございます」 

「うんっ!」 

意地を張らずに素直に好意を受け取れば、黄瀬はこんなにも嬉しそうに笑ってくれるのだと今更になって気付く。 
彼はいつでもこんな風に率直な想いを伝えてくれていたことに、黄瀬によって向きあわされた自分の中の黄瀬への気持ちを認めて初めて気付けた。 

それに感謝する気持ちはあるものの、やっぱり素直にはなりきれなくて、 

「黄瀬くん、香水きついですよ」 

こんな小さな嘘をつく。 

「えっ!?ウソ!ごめん、臭い?!」 

黒子のそんな小さな嘘にも彼は全力。 

黄瀬の香水の匂いなんて、申し訳程度のものだ。けれど、だからこそこの香りに気付いた人が少し憎らしい。それはつまり、それだけ彼に近付いた標。 

「うー…黒子っち、香水とか嫌い…?」 

黒子の思いをまだ知る由もない黄瀬は、恐る恐るという体で自らの腕をすんすんと嗅ぎながら上目に見上げてくる。 

「……そうですね…、ナイルの庭、なら、嫌いじゃありません」 

キツすぎない柑橘系の香りがお気に入りなのだといつか彼が語ってくれた銘柄を、香水に露ほどの興味もない黒子が覚えていたのは偶然じゃない。 

「……、ぇ、えっ!??」 

一瞬遅れて理解した黄瀬の顔が朱を掃いたように赤く染まる。 
走ってきたせいではない頬の上気に、自然と頬が緩んだ。 


(香水に気付くのは、この先ボクだけにしてください、ね) 
Fin 


素敵企画「route:711」様に提出 


――――― 
香水銘柄:ナイル/の/庭(エルメス) 
男女共用香水 
有名処ですね^^これに関わらず柑橘系の香水がすきです 

"12.2.16加筆修正