宝物のキミへ | ナノ
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▽ 鎖を解くと


店を出てからもなまえの機嫌は直らなくて、笑顔が戻ることはなかった。


ふらふらと覚束無い足取り。


「なまえ、歩けるか?」
「・・・・・・平気」

支えようとして差し出した腕は宙を掴む。

いつもはないなまえとの距離にどう接したらいいのか分からなかった。


そんなことを考えていると、陣平ちゃんが先に帰ると言いタクシーの方へと向かう。タクシーに乗り込むと、ひらひらと手を振る陣平ちゃん。そしてその背中を名残惜しそうに見つめるなまえ。


気まずい沈黙が俺達を包む。




「・・・・・・今日は帰るか?」
「・・・・・・」
「なまえ?」

陣平ちゃんがいないのなら、これ以上ここにいる必要もないだろう。

俯くその顔を覗き込みながら尋ねると、返ってきたのは予想外の返事だった。



「・・・・・・研ちゃんの家行ってもいい?」
「っ、それはいいけど」

断る理由はない。
けれど今彼女が俺と一緒にいることを望む理由が分からなくて、一瞬だけ言葉に詰まる。

同じタクシーに乗り込み、向かうのは俺の家。黙ったままのなまえの頭をそっと撫でる。その手が振り払われないことに、少しだけ安心した自分がいた。




家に着いてからもなまえの機嫌が直ることはなくて、じっとソファで膝を抱え座り込む彼女。


「今日はごめんな。せっかく三人で飲んでたのに」
「・・・・・・」
「なまえ。こっち向いて」
「・・・・・・やだ」
「頼むよ。さっきからずっと目合わしてくれねぇじゃん」


隣に座りそう話しかけるけれど、視線が交わることはない。


そのとき、なまえの瞳からぽたりと一粒の涙が流れた。



「・・・・・・泣いてんの?」
「・・・っ、」

自分でも予想していなかった涙だったんだろう。慌ててそれを拭うなまえ。


そしてタガが外れたようになまえの感情が溢れる。





「・・・・・・研ちゃんがっ、」
「俺が何?」
「他の女の人と仲良さそうにしてるところ・・・っ・・・見たくなかった・・・っ」

それは予想していなかった言葉。

驚きから言葉がうまく紡げなかった。



「陣平ちゃんじゃなくて俺?・・・・・・てっきりあの子と陣平ちゃんが話してたからかと思ってた」
「・・・・・・ぐずっ、違うもん・・・。私が隣にいたのに・・・っ、研ちゃん迎えに来てくれないし・・・」
「迎え?あぁ、トイレの時か。陣平ちゃんが行ったから邪魔しない方がいいと思って・・・」
「研ちゃんの馬鹿っ・・・」


ぼろぼろと流れる涙を拭いながら、そう話すなまえ。その姿にダメだとわかっていても頬が緩む。


「擦ったら腫れるから。おいで、なまえ」
「っ、」

目を擦るなまえの手を掴み、そのまま自分の方へと引き寄せる。すっぽりと腕の中に収まるその小さな身体。



「俺さ、今すげぇ嬉しいかも」
「・・・っ・・・」
「ちょっとだけ素直になってもいい?」

ずっと、ずっと、胸の奥に鍵をかけていた気持ち。


「好きだよ。ずっと昔からお前しか好きじゃない」
「・・・・・・っ、怒らないの?」
「なんで怒るの?俺が?」
「・・・・・・私ずっと陣平ちゃんのこと好きって言ってたのに・・・っ・・・。研ちゃんのこともとられたくない。こんなの自分勝手すぎる・・・っ・・・」


自分勝手だと、自分のことをお前はそう言うけれど俺からすればそれは嬉しい以外のなにものでもない。

涙を流しながら、しゃくりあげるようにして話すなまえが愛おしくてたまらなかった。



「松田しか見てなかったお前の中に、少しでも入れたなら俺としては嬉しいしかないよ。怒ることなんてひとつもない」


少しだけでもいい。
お前の中に俺がいるのなら。

そんなの怒るわけないだろう?



「・・・・・研ちゃん・・・っ・・・」
「ゆっくり決めればいい。松田がお前を好きな気持ちも信じてやって欲しい。その上でなまえが答えを出せばいい」

松田がお前を想う気持ちも痛いくらいにわかるから。

だからあいつの気持ちも信じてやって欲しいと思うんだ。



「未来は変わるよ、なまえ。現に俺は生きてる。それが証拠だろ?」
「・・・・・・」
「なまえの知ってる未来では、松田は違う人を好きになったのかもしれない。けど今のあいつはお前が好きなんだ。それは俺も同じ。だからこそあいつの気持ちは誰よりわかるんだ」


お前が救ってくれた命だから。

なまえが笑っていられる未来以外、俺は絶対に認めない。たとえその隣にいるのが自分じゃなくても。

背中に回された腕にぎゅっと力が入るのが分かった。



「なまえがさ、俺にだけ甘えてくれるのってすげぇ嬉しかったんだ」

これから話すのは、俺の弱音。お前に話すべきじゃないのかもしれない。

それでも今日だけは・・・・・・、

少しだけ素直になってもいいだろうか。



「でも同じくらい辛かった」
「っ、」
「男として見られてないって実感させられるから。無防備に隣で眠るお前を見る度にそう思ったよ」

頼られて嬉しいと思う反面、男として意識されている松田が羨ましかった。



「でもそんなお前が他の女と喋ってる俺を見て、とられたくないって思ってくれたんだ。こんなに嬉しいことってないだろ?」


そっとなまえの頬に触れる。少しだけ熱を帯びたその頬も、涙のせいで腫れた瞼も、赤くなった鼻も、その全てが可愛くて仕方ないんだ。



「正直に答えて?俺の事、少しは男として見てくれてる?」


交わった視線。逸らされることのないその視線に、どくんと大きく脈打つ心臓。


「・・・・・・見てなかったら、こんなにどきどきしてないよ・・・っ・・・」

ごにょごにょと小さくなっていく語尾。でもその言葉はしっかりと俺の耳に届いていて。



「・・・・・・ホント可愛い」
「っ、」

俺にとってお前はやっぱり特別だから。

そのままもう一度強く抱きしめる。


「・・・・・・どきどきしてる」

胸に耳を寄せたなまえがそう呟き、俺の胸に手をあてる。



「当たり前でしょ。好きな子抱き締めて緊張しない男はいないの」
「・・・・・・ずっと昔から?」
「言わすな、馬鹿」


ずっと前から。
平然とした態度を装っていても、心臓は正直で。

それがバレたことが少しだけ照れくさい気もするけれど、同じくらい胸の奥が温かい。



「なまえがどういう選択をしても俺はずっと味方だから」


俺を選んでくれたら嬉しい。

けどそうじゃなくても、お前が幸せなら俺はそれでいいんだ。


ずっと、お前が望む限り、
この手で守ってやる。


それはもう随分と昔から、俺の中にある気持ちだった。

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