▽ 10-7
Another side
しばらくして落ち着きを取り戻したなまえさんは、昴さんの肩にもたれたままストンと気を失った。
先程よりは穏やかな呼吸。
その姿にほっと一安心する。
「よかったら向こうのスタッフルームにどうぞ。ここだと他のお客さんの目もあるし」
オロオロとしていた梓さんが奥にあるスタッフルームを指さした。
「ありがとうございます」
そう言うと昴さんはなまえさんのことを軽々と抱き上げる。
この二人が親密なことは分かっていた。
それでも赤井さんは、なまえさんと安室さんの関係を尊重していたはずだ。いつもの彼なら、安室さんに彼女を預けただろう。
それになまえさんの様子も気になった。
過呼吸のきっかけとなったのは、恐らく安室さん狙いのあのお客さん。確かに嫉妬を覚えるかもしれないが、今までだってそんな事は何度もあった。
けれど彼女があんな風に発作を起こしたことはなかったはず。
それが今日は、あの女性が安室さんの名前を呼んで彼がそれに答えるだけでなまえさんの顔色は傍から見て分かるくらいに色を失っていた。
「安室さん?」
昴さんについていこうと立ち上がったオレは、安室さんがすぐ傍で動こうとせず立ちつくしていることに気付く。
その表情はいつものポアロでニコニコとしている彼ではない。
ギュッと握られた彼の拳は少しだけ震えていた。
「・・・・・・安室さん、大丈夫?」
そっと彼のエプロンの裾を引くと、ハッとしたように安室さんはオレの方を見る。
「っ、大丈夫だよ。コナン君も一緒に行こうか」
「・・・うん。なまえお姉さんのこと心配だし、ボクも一緒に行くよ」
そのまま奥のスタッフルームに向かうまでの間、安室さんは一言も言葉を発さなかった。
*
気を利かせた梓さんが、店のことはいいからなまえさんについててあげて、と安室さんをスタッフルームに残し店に戻った。
小さな寝息をたてるなまえさんと、すぐ近くでそれを見守る昴さん。そして少し離れた椅子でそれを見ている安室さん。
いつもと逆の立ち位置の彼らに違和感しかなかった。
「この様子だとしばらく起きないだろう。いつまでもここにいるのも店に悪いし、連れて帰るか?」
三人しかいない部屋で、口調を崩した赤井さんが安室さんを見た。
「・・・・・・一体いつからなんだ、なまえが発作を起こすようになったのは」
声を荒らげているわけじゃないのに、そう言った安室さんの声はたしかに怒りを孕んでいた。
「俺も少し前に一度しか見ていない。一人の時は知らないが、その時だけだ」
「・・・・・・何が原因なんだ」
「ふっ、少し考えれば思い当たることがあるんじゃないのか?」
そんな安室さんの問いかけに、一切怯むことなく逆に嘲笑的な笑みを彼に向けた赤井さん。
お互いの腹の中を探り合うようなそんな会話。
先にキレたのは安室さんだった。
ガン!という大きな音をたてて倒れた椅子。その勢いのまま彼は赤井さんの胸ぐらを掴んだ。
「なまえのことを知ったような口をきくな!」
「・・・・・少なくとも今の君よりはこの子の事を理解しているつもりだ」
「・・・っ・・・」
オレが止める間もなく、赤井さんは静かに安室さんを睨み返す。
「・・・・・だったらお前が連れて帰ればいいだろ。なまえだって俺よりお前がついていた方がいいだろうしな・・・・」
発作を起こしていたなまえさんは、安室さんが触れようとしたとき赤井さんに手を伸ばした。
その様子はオレも見ていた。
きっとあの行為は想像以上に安室さんの心を傷付けたんだろう。
胸ぐらを掴む手を緩めながら自嘲的にそう言い放った安室さんに、キレたのは赤井さんだった。
バキ!っという音と共に地面に倒れた安室さん。
赤井さんが彼を殴ったのだと気付くまでに少し時間がかかった。
「・・・っ、安室さん大丈夫?!」
倒れた彼に駆け寄りながら赤井さんを見上げた。
いつも細められているその目は、じっと安室さんを見下ろしていた。その瞳の奥にはたしかに怒りが見える。
「ふざけるのも大概にしろ。なまえが君より俺についててほしいだと?この子が本当にそう言うと思うのか?本気でそう言っているなら、遠慮なくもらっていくぞ」
赤井さんはそう言うとそのまま寝ているなまえさんの体を抱き上げた。
安室さんは何も言い返さず、殴られたせいで切れた口の端の血を拭い立ち上がる。
「俺はなまえが君の隣で笑っていられるなら、何も言うつもりはない。けどこいつが傷付くなら話は別だ。今までのように見守ることはできない」
ピシャリと言い切った赤井さん。それは安室さんに対する宣戦布告ともいえる言葉だった。
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