▽ 10-6
Another side
「なまえ!?」
胸を抑えながらひゅーひゅーとした息をする彼女を見た瞬間、俺は腕に絡みついていた常連客の女性を振り払って彼女の元へと走ろうとした。
けれども俺が彼女の元に行くより先に、その震える肩を抱いたのはすぐ近くにいた赤井だった。
「大丈夫だ。ゆっくり息を吐くんだ。前もできただろ、吐くんだ。何も考えるな」
苦しそうに肩で息をするなまえの背中を奴はゆっくりと摩る。
前も・・・だと?
なまえの症状は、恐らく過呼吸。
心に抱えている不安や恐怖、緊張など精神的なストレスが引き金で発作を起こす。
初めてじゃないのか・・・?
少なくとも俺の前で彼女が過呼吸を起こしたことは今まで一度もなかった。
俺の知らないそれを何故あの男が知っているんだ。一体なぜ、何が彼女の心を傷付けたんだ・・・。
悔しさとも、悲しさとも何とも表現し難いその感情を押し殺してなまえに近付く。
「・・・・・・なまえ、大丈夫か?」
瞳いっぱいに涙を浮かべたなまえと視線が交わる。
呼吸の苦しさからくる涙なのか、それとも他の原因があるのか。それを理解してやれないことが悔しかった。
そっとその肩に触れようとしたその瞬間、彼女の肩がびくりと震えた。そして左手でまるで縋るように赤井の服の胸元を掴んだ。
「・・・なっ・・・・・・」
その行動は俺の心を抉るには充分すぎるものだった。
「・・・・・・なまえ。大丈夫だから。今は何も見なくていい、考えなくていい」
まだ苦しげに息をしている彼女の視界を、赤井は右手で覆った。
そしてまるで彼女に触れるなとでも言いたげな目でこちらを見た。
「・・・・・・っ、・・・水取ってきますね。彼女のことを頼みます」
自分の声が震えているのが分かった。
これ以上、二人の姿を見ていることが出来なかった。
後ろでコナン君に呼ばれた気がしたが、振り返ることが出来なかった。
なまえの様子がここ最近おかしい事には気付いていた。
普段は普通なのに、触れようとすると何故か距離をとる。
眠る時だって、今までは擦り寄ってきていた彼女が今では少しだけ距離を空けて眠るのだ。
気付かないわけがないだろ。
それでもその話題に触れなかったのは、彼女の気持ちを信じたかったから。
あの日、赤井の車の助手席にいたのはなまえじゃないと信じていた。彼女が違うというのだから違うのだろう。友達の所にいたという彼女の言葉を俺は信じたんだ。
精神的に追い詰められた状況で、彼女が頼ったのは俺じゃなく赤井だった。
その事実があの日の光景を確信的なのものにした。
「・・・・・・ははっ、何だよ、それ」
人のいないキッチンで座り込みながら乾いた笑いが零れた。
別に赤井との関係を疑っているわけじゃない。今までだってあの二人の距離は近かった。
それでも許せていたのは、彼女が俺に隠し事などせず全て話してくれていたから。
けど今はどうだろう。
なまえがあそこまで追い詰められる何かをきっとあの男は知っている。
彼女もあいつを頼っている。
その事実がどうしようもなく、胸を締め付けた。
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