▽ 1-5
彼が去ったあと、緊張の糸が切れた私は近くにあったベンチに腰掛けた。安室さんもそんな私の隣にそっと座る。
「・・・ありがとうございました。1人じゃきっとこんな風に話せてなかったです」
自分なりに精一杯の笑顔を作り、安室さんに感謝の気持ちを伝える。
「はぁ・・・。無理して笑わなくていいんですよ」
安室さんは小さくため息をつくと、私の頬を軽くひっぱる。
「泣きたいなら泣けばいい。じゃないと本当に笑いたいときに、笑えなくなりますよ」
そう言いながら私を見る安室さんは、先程まで彼と対峙していたときと違ってとても優しい目をしていた。
堪えきれなくなった涙が、ポロポロと両目からこぼれ落ちる。
「・・・っ・・・、これは頬が・・・痛い・・・からですっ」
「はい。そうですね」
「辛いから・・・っ、じゃないですよ・・・」
「知ってます」
彼と別れると自分で決めたくせに、私が泣くのはおかしい。変な意地が邪魔して、素直に泣けない私に安室さんは気付いているのだろう。
頬をつまんでいた手をすっと離すと、そのままその手は私の背中に回される。
「大丈夫ですよ。泣きたいだけ泣いたら、また明日からきっと笑えます」
気が付くと私は安室さんの腕の中にいて、彼の手はとんとんと優しく私の背中をたたいていた。まるで子供をあやす様な彼の行動に、強がることも忘れて思わず寄りかかってしまう。
どれくらいの時間が経ったんだろう。涙をこぼす私を、安室さんは何も言わずずっと抱きしめてくれていた。
*
「落ち着きましたか?」
心のもやもやが涙と一緒に流れたのだろうか。少し落ち着きを取り戻した私は、そっと安室さんから離れる。
「はい。もう大丈夫です」
きっと今度はちゃんと笑えているはず。
「その笑顔の方がなまえさんらしくて素敵です」
キラキラとした笑顔でそう言いながら、私の頭をぽんっと撫でる安室さん。冷静さを取り戻した状況で、そんなことを言われると、思わず顔が赤くなってしまう。
(私の馬鹿!何照れてるの・・・!)
「あれ?顔赤いですよ?」
顔を覗き込んでくる安室さんに、思わず両手で自分の顔を隠しながら慌てて距離をとる。
「そりゃ私だって照れますよ・・・!そうやって優しくしてると、みんな誤解しちゃいますよ」
「誤解・・・・・・ですか。はぁ・・・、なまえさんには全然伝わってないみたいですね」
やれやれとばかりに肩をすくめる安室さん。
「僕は何とも思ってない女性のために、こんなところまで付いてきたりはしませんよ。さっきも言ったでしょう?」
『大切な女性が目の前で傷付けられていたら・・・』彼と話していた時の安室さんの台詞を思い出す。あの時はそれどころじゃなかったせいで、全く気にしていなかった・・・。
「思い出しましたか?僕は誰にでもあんな事を言ったりはしませんよ」
まずい。さっき以上に顔が赤くなっているのが自分でもわかる。
「伝わったみたいでよかったです。すぐにどうこうしようとは思ってませんが、覚悟しておいてくださいね」
─────・・・・・笑顔で私にそう言った彼と、新しい物語が始まるのはもう少し先のお話。
Fin
〜おまけ〜
いつもと変わりない安室透としての日々。
梓さんに買い出しを頼まれてやってきたスーパーは、仕事帰りのサラリーマンや買い物にきた主婦たちで溢れかえっていた。
(相変わらず人が多いな・・・)
手早く買い物を済ませ、持ってきた袋に食品を詰めていると、少し離れたところで老婦が重そうな買い物袋を持ち上げようとしている姿が目に入る。
買い物袋を持ち上げては休み、また持ち上げる。老婦はそんな行動を繰り返している。
俺は自分の買い物を急いで詰めると、彼女に声をかけようと近づく。
「よかったら「おばあちゃん、大丈夫ですか?よかったら持ちますよ」
しかしそんな俺の声は、別の女性の声に遮られていた。
キラキラとした笑顔で老婦に声をかける女性。
「あら、ありがとう。重いのにごめんね」
「大丈夫ですよ!私こう見えても力あるんで!」
老婦から荷物を受け取り、楽しげに話しながら外へと向かっていく姿に思わず目を奪われた。
こんなにも人がいるのに、あの老婦に声をかけたのは彼女だけだった。みんなが自分のことしか見えていない中で、当たり前に人を思いやることのできる姿を、純粋に素敵だと思った。
彼女の眩しい笑顔は、しばらく俺の頭から離れなかった。
(らしくないな・・・)
彼女とまた会えたら・・・、どこかでそんなことを願っていたのかもしれない。
もう1度あの笑顔が見てみたい。
そんな俺の願いはすぐに叶えられた。
ただ再会した彼女からは、あの日のような眩しい笑顔は消えてしまっていた・・・。
*
ある日、ポアロに客としてやってきた彼女は、どこか憂いを帯びた表情で不自然に右手を庇っていた。
彼女の怪我の理由、笑顔が曇ってしまった理由。なぜ彼女を放っておけなかったのか・・・・・・そんな自分の気持ちに気付くのは、もう少し先のことだった。
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