▽ 1-1
「寝不足なの?顔色悪いわよ」
セーフハウスへと帰ってきた俺の顔を見るなり、ナマエが首をかしげだ。
「そんなことはありませんよ。ちゃんと眠っています」
「・・・・・ならいいわ」
納得はいっていないような表情だが、それ以上の追求はしてこない彼女。ナマエは再び手に持ってきた本を読み始める。
そう・・・、これが俺たちの距離感だ。
お互いに必要以上に踏み込まない、それが暗黙の了解になっていた。
それにしてもナマエに気付かれるとは思っていなかった。
確かに彼女の言うとおりここ数日はろくに眠る事が出来ていなかった。
*
「バーボン、貴方がこの前接触した男のことを覚えているかしら?」
「ええ、もちろん」
「無事に始末が完了したそうよ。さっきウォッカから連絡がきたわ」
「そうですか。やはり裏切り者だったんですね」
「そうだっみたいね。貴方の情報が決定打になったみたいよ、さすがね」
「ありがとうございます」数日前に交わしたベルモットとの会話が頭によぎる。
組織の裏切り者の可能性がある男との接触し情報を得ることを命じられた俺は、言われた通りに任務を遂行した・・・・・・そしてその結果その男は組織に消された。
別に今回が初めてじゃない。
直接手を下さなくても、俺が関わることで死んでいった人間はいったい何人いるんだろうか。
組織で信頼を得るために必要なこと、そう割り切ってはいてもやはり慣れるものではない。
目を瞑るとその男との会話を思い出してしまう。妻も子供もあったその男は、たった一度の過ちで二度と愛する家族に会えなくなったんだ。
────・・・彼と家族を引き裂く手伝いをしたのは間違いなく俺だ。
*
「・・・ン?バーボン?」
眠らないの?そう言いながら俺の目の前で手をひらひらと振るナマエ。
「・・・・・・っ、もうそんな時間ですか。僕もそろそろ眠りますね」
「・・・・・・」
「どうかしましたか?ナマエさんもそろそろ休んでください」
「やっぱり貴方最近眠ってないでしょう?様子が変よ、ぼーっとしてるわ」
ナマエはぐっと俺の腕を引き顔を近づける。
「ほら、近くで見ると隈があるわ」
「・・・平気ですよ、少し仕事が忙しいだけです」
「仕事・・・ね。たまにはベッドでゆっくり休んでちょうだい?いつも私がベッドを占領していて申し訳ないわ」
このセーフハウスには寝室はひとつしかない。もちろんベッドもひとつしかなく、一緒に暮らすようになってからそこはナマエの場所になっていた。
彼女は交代で使おうと言っていたが、さすがに女性をソファで寝かすわけにはいかないと押し問答の末、彼女が折れたのだ。
「本当に大丈夫です。僕はソファを使うのでナマエさんはベッドを使ってください」
「駄目よ。そんな顔で平気なんて言っても説得力ないわ」
困った。どうにも彼女はやや頑固なところがあるらしく、なかなかベッドに向かおうとしない。
なら仕方ないか・・・。
俺は腕を掴んでいたナマエの腕を引き体を引き寄せると、そのままソファに押し倒した。
「そんなに心配だとおっしゃるなら、一緒に寝てくれますか?」
顔を近づけながら囁く。
これできっとナマエも引き下がるだろう・・・、しかし彼女の行動は予想外のものだった。
「いいわよ。一緒に寝るならベッド使ってくれるのね?」
真っ直ぐに俺の目を見つめながらそう言った彼女。
「・・・・・・冗談で「あら、貴方って自分の言葉に責任を持てない人間だったの?」
冗談だと言おうとした俺の言葉を、悪戯な笑みを浮かべたナマエが遮る。
「・・・っ、まさか。ナマエさんがそこまでおっしゃるなら構いませんよ」
ジンには言わないでくださいね、そう付け加えながら俺は体を起こし寝室へと向かった。
*
売り言葉に買い言葉とはまさにこの事だろう。
初めて入ったこの家の寝室。
少し広めのベッドとはいえ、二人並ぶとその間はとても近いものだった。
「なんだか新鮮ね、この部屋で誰かと一緒に眠るのって」
「ジンが来ることだってあるんでしょう?」
「・・・そうね、でもこうやって誰かと並んで眠るのは初めてよ」
そう言った彼女の瞳はどこか悲しげに揺れていた。
「もう遅いので寝ましょう、このまま喋っていては本末転倒です」
そんなナマエの顔を見ていたくなくて話を強引に終わらせる。
「・・・ふふ、やっぱり貴方は優しいわね」
「どういう意味ですか?」
「なんでもないわ、おやすみなさい」
そう言うと彼女は瞳を閉じる。
やっぱり人形みたいだな・・・。
喋ることやめ、瞳を閉じた彼女の姿はまるで作り物のような美しさをはなっていた。
*
普段誰かの隣で眠ることなどない俺は、なかなか眠りにつくことができずにいた。
しばらくすると隣から規則正しい寝息が聞こえてくる。
寝た・・・のか。
すーすーと寝息をたてて眠るナマエは起きている時の凛とした姿とは違い、どこか幼さの残る表情で思わず笑みがこぼれる。
「黙っていればただの女の子なのに・・・」
そんな表情とは裏腹に、布団の隙間から見える腕には無数の傷跡。
いったいナマエは何者なのか・・・。
「・・・っんん・・・」
そんな俺の言葉に反応をするようにナマエが身をよじる。
肌蹴た布団をかけ直してやると、さらに温もりを求めるかのように彼女が擦り寄ってくる。
触れた温もりに満足したのか、気持ちよさそうに眠るナマエ。
そっとその髪に触れる。
「・・・・寝れ・・・ないの・・・?」
「っ!起こしてしまいましたか?すいません」
少し掠れた声が彼女の口からこぼれる。
せっかく眠っていたのに悪いことをしてしまった。
「ん、大丈夫だよ」
ナマエはゆったりと微笑むと、もぞもぞと布団から右手を出し俺の方へとのばす。
「・・・・・・っ」
「よしよし、一人じゃないからね」
そのままそっと俺の頭を撫でる彼女。
寝惚けているんだろうか・・・、夢と現の間にいるかのようにとろんとした瞳の彼女と目が合う。
「大丈夫だよ」
そう言い残すとその瞳は再び閉じられ、また一定のリズムで寝息が聞こえてくる。
「・・・・・・っくそ、なんだよそれ」
誰かに頭を撫でられるなんて何年ぶりだろう。
久しぶりに感じた優しい温もりに思わずそんな言葉がこぼれる。
「いったい何なんだ・・・貴女は・・・」
掴みどころのないナマエの行動に心がざわつく。
そんな俺の気持ちなんて知らないナマエは腕の中で眠ったままだ。
あまりに無防備なその姿。
「誰にでもこうなのか・・・?」
ジンの前でも・・・?
俺は返ってくることのない質問を投げかけながら、いつの間にか押し寄せてきた睡魔に身を任せた。
────────────────
「誰にでもこんなことするわけないでしょ」
小さな声でそう言いながら隣で眠る彼の髪に触れる。
夢の中の貴方が少しでも笑っていられますように・・・。
Fin
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