捧げ物 | ナノ
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▽ 1-1



僕には恋人がいる。


みょうじ なまえ。
それが安室透の恋人の名前だ。





ポアロの常連客だった彼女。

仕事帰りによく店に寄る彼女と、何度か顔を合わせるうちによく話すようになった。


いつもニコニコと笑っていて、聞き上手な彼女。

他の女性客のように騒ぎ立てることもなければ、プライベートを詮索することもないなまえさんとの時間はとても穏やかなものだった。

嫌な印象はなかったが、恋愛感情があるかと聞かれると頷くことは出来ない。


「ずっと好きだったんです。付き合ってください」


彼女からそう告げられたときも、気持ちに応じたのは、好意からではなく彼女でも作れば他の女性客も落ち着くのではないか・・・・・・、そんな打算的な考えが大きかったと思う。





そんな気持ちとは裏腹に、なまえさんと過ごす時間が多くなるにつれて彼女に惹かれる自分がいた。


こんなはずじゃなかった・・・・・・。

このままではいけない・・・・・・。


隣で眠る彼女の髪に触れながらそんな思いが胸を占める。


なまえさんと付き合い始めて、当初の目論見通り女性客に騒がれる頻度は減った。

おかげで無駄な厄介事に巻き込まれることはなくなったが、まさか自分がこんな気持ちを抱えることになるとは思いもしなかった。


会えば会うほど、

笑顔を見れば見るほど、

触れれば触れるほど、



彼女を手離したくないと思ってしまう。


彼女と過ごす時間があまりにも温かくて穏やかで・・・・・・、

その時間だけは、自分の置かれている状況を忘れそうになる。



そんな自分に気付いてしまった。

今再びなまえさんに対して好意があるかと問われれば、きっと素直に頷くことが出来るだろう。


僕は確かに彼女に恋をしていた。


好きだと口にすれば嬉しそうに笑う彼女。

その笑顔を見ると、今この瞬間がとてもかけがえのないものに思えた。


けれど、


その笑顔の為に全てを犠牲に出来るかどうか。

・・・・・・・・・

・・・・・・・・・


・・・・・・・・・


その答えは否だ。


何よりも大切で優先すべきものは彼女ではない。



なまえさんのことが好きだった。


・・・・・・・ただ愛することが出来なかっただけで。





まるで今にも割れそうな薄い氷の上を歩いているような・・・・・・、そんな恋愛だったと思う。


彼女が愛したのは、僕であって俺でない。


安室透という虚像だ。


なまえさんならそれも全て受け入れてくれるのかもしれない。


そんな考えがちらりと頭をよぎる。


「・・・・・・ははっ、そんなの夢物語だな」

乾いた笑いが静かな部屋に響く。


自分の気持ちに気付いてしまった以上、今までのように隣にはいられない。


僕は彼女を好きになりすぎてしまった。


愛してやれないなら、最初からこんな関係になるべきじゃなかった・・・・・・。





「なにかあったんですか?・・・あ!もしかして体調悪いんですか?」

家まで送る途中の車内で、いつもより口数の少ない僕に彼女は不思議そうな表情で尋ねた。


ああ、これで終わりか・・・・・・。


疑うことを知らない真っ直ぐな彼女の瞳が、今は何よりも辛かった。


今から僕は貴女を傷つけるというのに・・・・・・。


「話があるんです」
「話・・・・・・?」
「ええ。僕と別れてください」


唐突に告げた言葉に、見開かれた彼女の瞳が僅かに揺れる。


「・・・・・・冗談・・・ですよね?」
「冗談じゃないです。ごめんなさい」
「・・・っ、私何かしましたか?」
「いえ、僕の気持ちの問題なんです」


上手い言葉なんて思いつくわけがない。

それにどんな言葉で伝えたとしても、なまえさんを傷つけてしまうことに変わりはないだろう。


「・・・・・・嫌、です・・・っ」

彼女の瞳に涙がたまっていくのを、まるで何かフィルター越しに見ているかのような気持ちに陥る。


手を伸ばせば触れられる距離にいるのに、僕と彼女の距離はあまりに遠い。

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