▽ 1-1
それは新居への引越しを目前に控えたある日のことだった。
何かと仕事が忙しい俺に代わって、なまえは泊まりに来る度に俺の部屋の荷物をまとめてくれていて正直助かっていた。
この日も同じで、仕事から帰ると随分と増えた段ボールの間から「おかえり!」と声が聞こえてくる。
鞄を置いた俺に駆け寄ってきたなまえは、手に持っていた漫画を床に置きぱたぱたと駆け寄ってきた。そしてその勢いのまま飛び付いてくる。
「まぁまぁ片付いたでしょ?えらい?」
「ん、サンキュ。助かる」
素直に礼を言えば、嬉しそうに目を細めて笑うなまえ。籍を入れてからも、なまえの俺への愛情表現は変わらなくて。むしろ前より激しくなった気すらする。
それでもお互いの左手の薬指で光る指輪を見れば、自然と目尻が下がるのは俺も同じで。
ぽんっと頭を撫でると、スーツのジャケットを脱ぎ段ボールに詰める途中だった漫画に手を伸ばす。
「これ全部持ってくの?」
「いや、あっちの棚のやつは売るか実家に持ってくつもり」
「じゃあ私向こうのやつ詰めてくるよ」
隣に腰を下ろしたなまえは、部屋の隅の最近あまり触れることのなかった棚へと手を伸ばす。ガムテープをちぎり、新しい段ボールを組み立てると棚に入ってる漫画や雑誌を詰め始めた。
そんな作業を始めてから30分ぐらいが過ぎた頃。背後でバキ!っと何かが割れるような音がして慌てて振り返る。
背中を向けたままのなまえ。でも纏うオーラはさっきまでとは違って間違いなく不機嫌で。
「・・・・・・・陣平・・・、」
地を這うような低い声。いつもの語尾にハートがついているテンションの高いものとは正反対で、思わず手が止まる。
「何これ!!!!最低!!!!有り得ない!!」
振り返ったなまえは手に持っていた何かを勢いよく俺に投げつける。腕に勢いよく当たったそれは、コン!と床に落ちた。
それを見た瞬間、なまえの怒りの理由を悟り頭を抱えたくなった。
「陣平の浮気者!!!!!こんな女のどこがいいわけ?!!」
怒りで目を真っ赤にして叫ぶなまえ。距離を詰めてきたかと思うと、そのまま俺の胸を突き飛ばす。
床に転がっているのは、存在すら忘れていたAVで。生々しい煽り文句とやたら肌色の多いパッケージ。思わずため息がこぼれた。
「誤解だから。言い訳させてくンね?」
「はぁ?何が誤解・・・っ、」
「これ高校の頃に萩がふざけて誕プレって渡してきたやつ。普通に存在すら忘れてた」
別にこれは嘘じゃねェ。ホントのことだ。
18歳になった誕生日に、「陣平ちゃんにあげる♪」なんて笑いながら萩が渡してきたものだ。
最近読むことのなかった漫画や雑誌に紛れたそれは、俺だって今の今まで存在を忘れていたもの。
「・・・・・・、」
「大体今どきわざわざAVなんか買わねェだろ。ネットにいくらでも動画転がってるし」
半信半疑。疑いの目を向けてくるなまえにそう言ったのが間違いだった。
あ、しまった。
そう思った時にはもう遅かった。
わなわなと震え始める唇。ぎゅっと握った拳、手の甲には血管が浮き上がる。キッと俺を睨んだなまえは、目の端に怒りで涙を浮かべながら叫ぶように口を開いた。
「陣平の変態!!!!!最低!!!!!!」
横に転がったままになっていたAVをなまえがパッケージの上から勢いよく殴ると、部屋に無惨な音が響く。
すっと立ち上がったなまえは、引き止める間もなく寝室のドアを開き中に入ると勢いよくドアを閉めた。
しん、と静まり返ったリビング。無惨な姿になったAVのパッケージの女と目が合い「はぁ、」と深いため息がこぼれた。
高校生じゃあるまいし、AVひとつでここまで大騒ぎするか?正直そう思うけど、まぁなまえだしなと思えばこうなるのも当然なんだろう。
男からすりゃ自分で性欲処理すんのと、好きな女とヤるのは全くの別物で。それを理解しろって言ったところでなまえには無理だろう。
てか、だいたいもう何年もそんなの見てねェっての。
重い腰を上げ、寝室のドアを叩く。
「なまえ」
名前を呼んでももちろん返事はない。軽くドアを押してみると、サイドボードで重しをしているのかギギっと鈍い音がした。
僅かに空いた隙間から寝室を覗くと、不自然に盛り上がったベッド。拗ねたガキのテンプレみたいなその反応がなまえらしいと思った。
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