▽ 1-1
「・・・・吐きそう」
「ははっ、緊張しすぎでしょ」
「笑い事じゃねェよ」
見慣れたグレーの屋根の一軒家。庭にはお母さんが趣味で育てている色とりどりの花が鮮やかに咲き誇っている。ゆらゆらと風に揺れる花弁が宙を舞う。
ぴしっとしたスーツに身を包んだ陣平は、珍しく緊張してるみたいでさっきから言葉に覇気がない。
滅多に見ることが出来ないその姿に、くすくすと笑いがこぼれる。
「大丈夫だって♪ うちの親、2人とも優しいから」
「そういう問題じゃねェんだよ」
はぁ、と小さくため息をついた陣平は意を決したようにぱんっと膝を叩き「よし!」と顔を上げる。
ピンポーン、チャイムの音が響く。しばらくするとお母さんの「はーい」という声が返ってくる。
自分の家のチャイムを鳴らすって変な感じだ。
勢いよく開いた玄関の扉。にこにこ笑顔でエプロン姿のお母さんが私達を迎えてくれる。玄関にはパパの靴もある。
「お邪魔します」
「ただいま〜」
脱いだ靴を綺麗に揃えて部屋に上がる。久しぶりの実家。リビングに入ると、ソファに座るパパがこちらを見る。
いつもより少しだけ緊張した顔のパパ。いつもの「なまえ〜」ってデレデレの顔とは大違いだ。
どこか緊張感の漂う空間。
陣平が口を開くより前に、先に喋りだしたのはお母さんだった。
*
結婚の挨拶ってもんがこんなに緊張するとは思っていなかった。
普段緊張なんか滅多にしない俺だけど、この時ばかりは口から心臓が出そうなんて表現が言い得て妙だとすら思った。
これなら複雑な爆弾解体する方が何倍もマシだな、なんてアホみたいなことを考えながらリビングへと入る。
手土産を渡し、簡単な挨拶をするとなまえのお袋さんがニコニコと俺に笑顔を向けてくれる。
「なまえが昔からよく家で陣平君のこと話してたから会ってみたかったの♪ ふふっ、それにしてもカッコいいわねぇ」
「でしょ?!陣平は世界一カッコいいんだから!」
頼むから今だけは乗っからないでくれと思ったけど、なまえに俺のそんな思いが通じるわけもない。
完全にその場はなまえとお袋さんのペースに飲み込まれる。
最初のピリついた雰囲気が嘘みたいに、あれやこれやと馴れ初めを聞かれる。答えてるのはほとんどなまえで、俺は間でそれに相槌を打つ程度。たまに話に加わるなまえの親父さんは、よくドラマとかで見る「娘はやらん!」みたいな感じでは無いらしい。
少し早いけど晩御飯食べていったら?というお袋さんの提案で、一緒に飯を食うことになる。
「なまえ。スーパーでお酒を買ってきてくれないか?」
「お酒?パパ飲むの?」
「あぁ、たまにはな。陣平君は飲めるかい?」
「はい、いただきます」
「じゃあお母さんも晩御飯の材料買い足したいし、一緒に行こっか」
「うん!じゃあ行ってくるね!」
・・・・・・まじか。
喋っていたメインの2人がいなくなり、静かになったリビング。
それが偶然なわけがなくて、きっと俺と2人で話さなきゃならねェことがあるってことだろう。
「陣平君、」
さっきまでより少し低いその声に名前を呼ばれ視線が交わる。ピリついた空気を払拭するみたいに「心配しなくても、2人の付き合いに反対なんてしないよ」と親父さんは優しく笑う。笑った時の目元が、どことなくなまえに似ていて少しだけ緊張がほぐれた。
「本当にあの子でいいのかい?」
「どういう意味ですか?」
質問の意味がわからなくて、思ったことをそのまま尋ねると親父さんは困ったように小さく笑う。
「昔から私達・・・、いや主に私だな。あの子が可愛くて仕方なかったんだ。一人娘ということもあって、随分と甘やかして育ててきたと自分でも思う」
そういえばいつだったかなまえが、「うちのパパは私にベタ甘だから♪」なんて言っていた気がする。
「そのせいであの子は我儘なところがある。周りの人間より、自分の気持ちを優先してしまう。きっと君のこともたくさん困らせただろう?」
バカ正直に、「そうすっね」なんて言えるはずもなく答えに詰まる。
そんな俺の心の内を見透かすみたいに、親父さんは言葉を続けた。
「結婚して、家庭を持つというのは大変な事だ。まだまだあの子は子供だから。だから本当にいいのかい?君にそれを確認したかったんだ。もしあの子が我儘を言って無理にこの話を進めてるなら・・・、「それは、ないです」
話を遮るなんて失礼だとか。そんなこと、頭では分かっていたけど気が付くと口をついて言葉が出ていた。
「俺は、俺の意思でなまえさんと結婚したいと思ってプロポーズしました」
真っ直ぐに、逸らすことなく親父さんの目を見る。
「まだまだ子供なのは、俺も同じです。それでもこれから先の人生、あいつがいないのは考えられなくて。我儘なところも、突っ走っちまうところも、全部含めて俺はなまえのことが好きです。ずっと隣にいて欲しい、傍で笑ってて欲しい。その為なら俺はどんな事でも頑張っていけると思うんです」
取り繕うなんてできない。等身大の俺の言葉。彼女の親に向ける言葉としては間違えているのかもしれない。でもこれが俺の本心だった。
「・・・・・・ははっ、そうか。それを聞いて安心したよ」
そう言って笑う親父さんの目元には、少しだけ涙が滲んでいるような気がして。
「娘をよろしくお願いします。親バカだが、世界一可愛い娘なんだ。大切にしてやってくれ」
深々と俺に頭を下げる親父さん。俺も同じく頭を下げ、「はい」とだけ告げる。それ以上の言葉が思いつかなかった。大切に育てられてきた。その事実に、胸が熱くなる。
自分以外の誰かをこんなに大切に思ったのは、生まれて初めてだった。
必ず幸せにしたい。一緒に幸せになりたい。
そんな思いがより一層強くなった。
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