▽ 1-2
すっかり日も落ちて辺りは街灯のぼんやりとしたオレンジに照らされる。
少し前を歩く陣平ちゃんの背中が今日はいつもより大きく見えて、またひとつ心臓が跳ねる音がした。
いつもそう。私が付き纏うとダルそうな顔をするくせに何だかんだで受け入れてくれる優しい人。口は悪いけど、今だって仕事が終わってその制服を脱いだ後なのに、暗くなったからって私のことを駅まで送ってくれて。
こんなの好きになるなって言う方が無理だよ。
「ねぇ、」
「ん?」
「やっぱり気になるから教えてよ。陣平ちゃんって彼女いるの?」
「まーたそれかよ。俺に女がいるかどうかなんてそんなに気になるか?」
「気になるよ!!前から陣平ちゃんのこと好きって言ってるじゃん!」
私からの好き≠ヘ彼からすれば子供の戯言なのかもしれない。それでもこの気持ちは嘘じゃないから。
ふっと小さな笑みをこぼした彼は、私の方を振り返った。
「いるよ」
たった一言。心臓がきゅっと内側から掴まれたみたいな感覚。喉がカラカラに張り付いたように上手く言葉が紡げない。
「・・・・・・お弁当、作ってくれてた人?」
「あぁ」
「その彼女のこと好き・・・?」
「そりゃな。好きじゃなきゃ付き合ってねェよ」
「・・・・・・、」
「お前が俺のこと慕ってくれてんのはスゲェ嬉しいと思うけど、好きって気持ちは返せねェ。ごめんな」
どこまでも真っ直ぐに。
目の前の彼は、私の気持ちを子供の戯言になんてしなかった。
*
やっぱり相手が誰であれ、自分に向けてくれてる好意を断るってのはいい気分じゃない。目の前であからさまに傷付いた顔をする……を見てたらそう思わずにはいられなかった。
高校生ってのはガキでもなければ、大人でもない。年上への憧れみたいなもんだと思って適当に流していたけど、俺の腕を掴んだこいつの顔が真剣だったから。
気が付くともう駅前で、ずっと黙ったままだった……がゆっくりと口を開いた。
「また勉強教えてくれる?」
その表情にさっきまでの陰りはない。ただいつもより下手くそな顔で笑う……がいた。
多分、これ以上ここで俺が何か言うのは違うよな。
「おう。気ぃつけて帰れよ」
「うん!送ってくれてありがとね!」
俺の方を振り返って大きく手を振るあいつが笑ってくれたことに少しだけ救われたみたいな気持ちになった。
*
明日は非番だから、なまえの家に向かう。玄関を開け靴を脱いでいる途中で、リビングから出てきたなまえがいつもみたいに飛びついてくる。
ソファに座った俺の足元に座り込んだなまえは、じっと見上げるようにこっちを見る。あまりにも無言で見てくるもんだから、「何だよ、」と聞けば眉間に僅かに皺を寄せ眉をぴくりと動かす。
「陣平ってさ、」
「・・・・・・?」
「実は制服好きだったりする?」
「はァ?何だよ、急に」
「いいから!答えてよ!!」
むっとしたように頬を膨らませたなまえは、俺の膝の上に跨るように座り直すと真剣な顔でこっちを見る。
強い口調とは裏腹に、大きな瞳の奥がゆらゆらと不安げに揺れていて。
「お前もしかして今日俺のとこ来た?」
「・・・っ、」
「やっぱりな。そんなこったろうと思った」
夕方のやり取り見られてたのか。露骨にやば!って顔をして視線を逸らそうとしたなまえ。
「・・・・・・萩原に聞いた、最近あの子がよく陣平に会いに来るって」
観念したみたいにぽつりと呟く。そういや途中で萩がどっか消えたと思ったら、こいつに気付いて外出てたってことか。
なまえはぎゅっと俺のシャツの胸元を掴むと、ぽすりと甘えるみたいに擦り寄ってくる。
昔のなまえなら問答無用で交番に怒鳴り込んできただろうなって思う。相手が誰であっても俺が女と話すのを嫌がる奴だし、今だって不貞腐れた表情を見れば考えてることなんて手に取るように分かる。
でもそれをしなかったのは、こいつの中で俺の仕事やこっちの気持ちを汲んでくれているからなわけで。
「お前ってやっぱいい女だよな」
「・・・はぁ?!誰と比べて言ってんの?!てか話の脈絡おかしい!!急に何?!」
「好きだなって思っただけ。あ、生姜焼きも美味かった」
ばっと顔を上げ俺を睨むなまえの頭を撫でると、その頬が一気に赤くなる。
何度もこの距離以上に近くで触れることはあったのに、未だにこんな触れ合いで照れるこいつが可愛いと思うから。
「誤魔化そうとしてるでしょ!やっぱり陣平はロリコンなんだ!」
「誰がロリコンだ、バカ。お前以外興味ねェっての」
「〜〜っ、今日の陣平なんか変!!てか私以外興味ないのは当たり前だし!他の女なんか見たら殺す!!」
相変わらず物騒な奴。でもやっぱりお前以外に心が揺れることはなくて。向けられる嫉妬すら嬉しいと思ってしまうガキな自分が顔を覗かせる。
そんなことを考えてる間も、なまえは1人で百面相をしながらギャーギャー騒いでて。
「制服が好きなら私がいつでも着てあげるし!サイズだって変わってないと思うから高校のやつ着れるもん!」
何故かドヤ顔のなまえに、思わずふっと吹き出してしまう。
「お前の身長あの頃から止まってるもんな」
「なっ、ちょっとは伸びてるもん!!身長じゃなくてスタイルの問題!!」
「はいはい。てか何で俺が制服好きって確定してンだよ。そんなこと一言も言ってねェし」
「・・・・・・だって、」
*
言葉に詰まった私の頭を撫でる陣平の手が、そのままとんっと自分の方へ私のことを引き寄せた。
「あの子と話してる時の陣平、優しい顔してた」
だから嫌だった。私以外にそんな顔見せないでって我儘を言いたくなる。
少しの沈黙の後、私の肩に顔をのせたまま陣平はゆっくりと口を開いた。
「あいつさ、ちょっとだけ昔のお前に似てンだよ」
「昔の、私・・・?」
「だから何となく学生の頃のこと思い出して懐かしくなった。優しい顔ってのは分かんねェけど、多分その時はお前のこと思い出してたんだと思う」
「っ、」
珍しく素直に紡がれる言葉に心臓が大きく脈打つ。それと同時に、昔の私に似てるってことはあの子も陣平のことが好きなわけで。
モヤモヤとした感情が込み上げてくるけど、それを上手く言葉に出来なくて。その代わりに目の奥がツンとなり、陣平の服を掴む手に力が入る。
「・・・・・・私のこと、好き?」
やっとの思いで口にしたのは、私らしくない弱気な言葉。
陣平の手がそっと私の頬に触れたかと思うと、そのまま軽い力で頬を抓られる。
「泣きそうな顔してんじゃねェよ、バーカ」
「っ、」
「・・・・・・昔から、お前以外好きじゃねェっての」
がばっと勢いよく抱きつけば、陣平は片手で軽く受け止めてくれる。
わしゃわしゃと荒っぽく頭を撫でる手がたまらなく大好きで。ホントにホントに、大袈裟なんかじゃなくて世界一大好きだなって思うの。
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あれから季節がいくつか流れ、あんなに足繁く通っていた交番も最近は受験勉強が忙しいせいで顔を出す回数も徐々に少なくなっていった。
それでも同じ街に住んでいるんだから、パトロール中の陣平ちゃんと偶然出会すこともたまにあって。いつも先に気付くのは私の方。名前を呼んで手を振れば、いつもと変わらない反応が返ってきて。あの日の気まずさは少しもない。変わらないでいてくれるのが大人だなって思ったし、好きって気持ちは徐々に憧れとして消化されつつあった。
この日もいつもと同じで学校帰り、駅前の本屋で参考書を買った私が家の方へと歩いていると反対側の通りで信号待ちをしている人集りの中に見知った人の姿見つける。咄嗟に建物の陰に隠れた私は、そっと顔だけ覗かせる。
いつもの制服姿じゃなくて、黒のパーカー姿の陣平ちゃん。そしてその隣にはよく似たデザインの白のパーカーを着た小さな女の人。
彼女の腕はポケットに手を突っ込んで歩く陣平ちゃんの腕にしっかりと絡んでいて、一目見た瞬間、あの時話してた彼女だって分かった。
陣平ちゃんって外で腕組んだりするんだ、なんか意外かも。
信号が青に変わり、こっちへと近付いてくる2人に出ていくタイミングを見失ってしまう。これは通り過ぎるまでここで隠れてた方がいいかもしれない。
内容までは聞こえないけど、彼女の方が陣平ちゃんを見上げながら話しかけているのが見えた。そんな彼女を見る彼の表情は、今まで見たことないくらいに優しくて柔らかいもの。
きっとそれは彼女だけに向けられるものなんだろう。くしゃりと笑う彼は、いつもより少しだけ幼く見えて。やっぱり私が見てた彼は、憧れってフィルターがかかっていたんだなって思った。
いつか私もあんな風に等身大で笑い合える人と巡り会えたらな、なんて思うと自然と笑みが溢れた。
Fin
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