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「塾の夏期講習?!そんなの聞いてない!!」
「今言った。てか何でいちいちお前に報告しなきゃいけねェんだよ」
高校最後の夏休みまであと少し。通い慣れた通学路にこだまするみょうじのデカい声に、はぁとため息が溢れる。マジでいつも元気だよな、こいつ。
高校三年生の夏ともなれば、まぁ周りもそれなりに受験や自分の将来ってものについて考え始めるらしい。
それは俺も例外じゃなくて、親がいつの間にか申し込んでいたここら辺じゃ有名な塾の夏期講習。既に申し込みも済ませてたから、行かないなんて選択肢はなくて。
「勉強なら私が教えてあげるもん!わざわざ夏期講習なんて行かなくていいじゃん!」
「はぁ、俺だって行きたくねェっての。てか何でそんなに嫌がるワケ?」
ぐずぐずと俺の腕を引っ張りながらごねるみょうじ。こいつがそんなに嫌がる理由も分からなくて聞いてみれば、キリッと大きな目が三角に吊り上がる。
「塾の夏期講習なんて他の学校の女いるじゃん!うちの学校だけでも嫌なのに、それが他校までって考えたら絶対無理!やだ!!」
「・・・・・・真面目に聞いた俺がバカだったわ」
「はぁ?何それ!めっちゃ大事なことだし!」
みょうじはこんな感じだけど、昔から勉強は出来る奴だった。本人曰く、授業聞いてたら普通に分かるじゃん。らしい。嫌味でもなんでもなく素で言ってんだろうなって伝わってくるから、多分そもそも頭の作りが違うんだと思う。
そんなこいつの頭ん中は、受験シーズンだってのに好きだ嫌いだ、そんなことで忙しいらしい。
結局、家の近くに着くまでギャンギャン騒いでたみょうじ。適当に聞き流してたけど、最後は何かを思いついたみたいに「じゃあまたね!」とだけ言い残してパタパタと自分の家の方へと走っていった。
・・・・・・なんかスゲェ嫌な予感がする。
*
家に帰ると、たまたま仕事が早く終わったらしいパパの靴が玄関にあって。これはラッキー!と急いでリビングに向かう。
「ただいま」と勢いよくリビングのドアを開けると、ソファに座っていたパパとキッチンに立っていたお母さんが「おかえり」と迎えてくれる。
私は携帯片手にパパの隣に座ると、さっき松田から聞いた塾のホームページをパパに見せる。
「ねぇ、パパお願い!私ここの夏期講習行きたい!」
「夏期講習?急にどうしたんだ?学校の勉強で分からないとこでもあるのか?」
「そうじゃないけど、周りもみんな行ってるから行きたいの!お願い!」
私の手から携帯を取り画面をスクロールさせるパパ。今まで私が塾に行きたいなんて言ったことはなかったから不思議そうに首を傾げる。
でも私のお願いごとをパパがダメって言うはずがない。
「なまえも受験生だもんな。ここの塾でいいのか?」
「うん!ここがいいの!パパありがと!大好き!」
すんなりと自分のお願いが受け入れられて、ゆるゆると緩む頬。パパは私に携帯を返すと、くしゃりと頭を撫でてくれる。
ここまでは完璧・・・、この時はそう思ってたんだ。
*
夏休みが始まって数日。学校の課外授業が終わり、教室を出ようとした俺の後ろを追いかけてきたみょうじ。夏期講習の為、駅前にある塾に向かう俺の隣をあれこれ喋りながら歩くみょうじに「お前、家こっちじゃねェだろ」と言うと、口の端にを上げ態とらしい笑顔が返ってくる。
「お前もしかして・・・、」
「私も同じ塾の夏期講習申し込みしたんだぁ♪ これで松田に変な女が寄ってこないか監視できるね!」
はぁ、やっぱり。何となくこの話をした時からそんな気はしてたんだよな。
呆れ半分、諦め半分。ここでこれ以上あれこれ言ってもこいつが引くことはないだろうし、申し込みまで済ませてるんだ。言うだけ無駄だろう。
「分かんないところあったら教えてあげるからね」
「・・・・・・何か勉強する前からスゲェ疲れた」
「ほら!着いたよ!行こ!!」
俺のテンションなんて無視で、ぐいぐい腕を引っ張りながら塾のある建物に入っていくみょうじ。
受付の人に声をかけると、どうやら科目ごとにクラス分けされてるみたいでそれぞれクラスと教室の書かれた紙を渡される。
自分の紙を一瞥した後、俺の手元を覗き込んだみょうじはぴたりと固まる。突然黙り込むもんだから、あいつの手元を見れば、そこには俺とは違うクラスが書かれていて。
「っ、無理!!松田とクラス違うなんて聞いてない!」
「あぁ、そういやここの塾って成績別でクラス分かれるんだっけ。最初にテストみたいなのあっただろ」
「あったけど・・・。あれでクラス決まるなんて知らなかったもん!無理無理、ヤダ!私も松田と同じクラスがいい!」
「声がデケェんだよ、お前は。バカなこと言ってねェでさっさと自分のクラス行けって」
自分のクラスの前までやって来てもぐずぐずと駄々をこねていたみょうじを教室の中に放り込み、俺も自分のクラスへ向かう。
みょうじを教室に放り込んだ時に見えたクラスの中。そこにいたのはこの辺りでも有名な進学校の奴ばっかで。あいつも普段はあんなだけど、やっぱ頭の出来が違うんだろうな。
あいつの頭ならもっといい大学にも行けるのに、みょうじがこの前の進路希望で提出したのは俺と同じ大学だった。どこまでも俺中心で自分の未来までも決めてしまう奴。呆れたような気持ちになりつつも、それに慣れてきてる自分もいるような気がして。
「・・・・・・いや、ねェな、それは」
ぽつりと呟いた独り言は、授業前で賑やかな教室の喧騒に溶けて消えていった。
*
聞いてない、聞いてない。こんな展開聞いてない!!
配られたプリントを早々に済ませ、机に肘をつきながら今日何度目か分からないため息をつく。
松田と一緒にいられると思ってここに来たのに。不純な動機だって分かってるけど、顔も見れないこんな状態じゃやる気なんて出るわけがない。
学校の授業よりもここでの授業の方が難易度は上がるから、講義を聞いている時だけはそっちに集中できるけどこんな風に空き時間ができたら本当に無理。
今頃、松田は何してるのかなとか。クラスに変な女いないのかなとか。そんなことばっか気になっちゃう。
結局、夏期講習が始まってから松田とはすれ違いが続いていて。学校の課外がある日はどうにか後ろをくっついて一緒に塾まで来てるけど、中に入ったらクラスは別々、終わる時間だってバラバラ。
思い描いていた夏休みとは程遠い。
でも私にとっての最悪はこれだけでは終わらなかった。
*
課外授業の合間、陣平ちゃんに用事があってあいつのクラスを覗きに行く。先生に呼び出されたらしい陣平ちゃんは教室にはいなくて、代わりに窓際で机に片肘をつきながら顰めっ面を隠さないなまえがいて。
何となくその様子が気になって、なまえの席の前の空いた椅子に腰掛ける。
「よっ!なーにそんな機嫌悪そうな顔してんの」
「・・・・・・ウザい。今は萩原の相手する気分じゃない」
「んなこと言うなって。陣平ちゃんと何かあった?」
毒を吐かれることなんて慣れてるし、今更俺に愛想のいいなまえの方が不気味なくらいだ。
でも今日はその毒にいつもの覇気はなくて、多分・・・、いや絶対か。なまえがこうなるのは陣平ちゃんと何かあったに違いない。
ジト目で俺を睨むなまえだったけど、しばらくすると諦めたみたいに小さくため息を吐き口を開いた。
「塾で松田の周りちょろちょろしてる女がいる」
「あーね。例の夏期講習?」
「そう。あ゛ー、無理!!思い出しただけでムカつく!!」
バンっと、勢いよく机に顔を伏せ声にならない低い声でぶつぶつと呪禁みたいに何かを呟くなまえの姿にふっと笑みが溢れた。
話を詳しく聞けば、どうやら陣平ちゃんと同じクラスになった他校の女の子が1人、あからさまに陣平ちゃんにちょっかいをかけているらしい。
「にしても珍しいな。お前がそんなの気にするって。いつもみたいに直接その子に言えばいいのに」
なまえは良くも悪くもめちゃくちゃ気が強いし、周りなんて全く気にしない奴だから。これまでだって陣平ちゃん狙いの女の子はいたけど、それでいちいちヘコむなんてなかったこと。それどころか直接「松田にちょっかい出すな」って噛み付いてたくらいだ。
そんななまえがこんな風になるのはレアなわけで。
「・・・・・・言ったもん、」
「それでそんときその子に何か言われた?」
「付き合ってないならあれこれ言われる筋合いないよね?って。私は松田君のこと好きだなって思ったから話しかけてることの何が悪いの?だって」
ド正論だな、それは。
まぁでもそのド正論をなまえ相手に面と向かってぶつけられるその女の子も中々に気が強そうだ。
「・・・・・私が松田に声掛けるのも、そいつが声掛けるのも同じことじゃん。私にあれこれ言われて引き下がるような奴はどうでもいいけど、そうじゃないならこれ以上何も言えないもん」
「なるほどな。珍しく弱気だねぇ」
「うるさい、黙れ、ばか、あっち行け」
「声に覇気がねぇから怖くないっての」
どこまでも真っ直ぐな奴だから。
相手が真正面からぶつかってくる女の子だと、なまえはこうなってしまうんだろう。陰でコソコソ画策するようなタイプじゃないから、気に入らないときは面と向かって相手にはっきりと言う。それで向こうがぶっかってきたら、なまえは正面からそれを受け止めちまう奴だから。
陣平ちゃんはそういうの鈍そうだし、それで珍しくなまえがこんなにしょぼくれてるってわけね。
ぽんっと頭を撫でると、力ない手でそれを振り払われ、変わらないなまえの姿に小さく口の端が上がった。
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