番外編 ゼラニウム | ナノ
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▽ 1-2


人間誰しもついていない日ってものはあると思う。


朝のニュース番組の占いは最下位。寝ぼけながら髪の毛を巻いてたら、思いっきり首にコテがあたって火傷した。いつも座れる電車は今日に限って混んでいて、一本電車を見送ったから出勤前にカフェに寄る時間もなかった。昼休みに同僚と行ったランチでは、私より少し先に並んでいた人達で食べたかった限定の定食が終わってしまった。


ただでさえ陣平に最近会えてないからテンション低いってのに、今日はダメダメな日だ。人間向いてない日ってホントにある気がする。


何とか1日の仕事を終え、ずっと誘われていた飲み会に顔を出せば座らされたのは大嫌いな上司の隣。さすがに触れてこそこないけど、ニヤニヤと舐め回すような上司の視線。・・・・・・まじでこのジジイ・・・、これで殴ってもいいかな。と視線を向けたのは、さっきまでそいつに注いでいた瓶ビールの瓶。


まぁさすがに社会人になった今、さすがにそんなことはしないけど。やっぱり今日はとことんついてない日だ。


早く帰って陣平に会いたい。てか、陣平も飲み会って言ってたし女いたら嫌だなぁ。


そんなことを考えていると、いい感じに飲み会は解散の流れになって隙を見てタクシーに飛び乗る。


帰ったら汗かいたし先にお風呂入って、陣平が来るの待っていよう。あっという間にマンションに着いて、お金を払いタクシーを降りる。


先に化粧を落とそうと、髪の毛を結び洗面台の前に立つ。最近買ったお気に入りのもこもこリボンのヘアバンドをして、手のひらで泡立てた洗顔料で化粧を落とす。


濡れた顔を拭き、鏡を見た瞬間ぴたりと動きが止まる。



「・・・・・・っ、ウソ・・・、最悪・・・!」


左頬にぽつりと小さな赤いニキビがひとつ。ありえない・・・。久しぶりに陣平に会える日にこんなの最悪すぎる。


私の中で、可愛い、可愛くないっていうのはすごく重大で。ニキビひとつですら、私にとっては完璧な可愛いを崩すから大敵だ。


だからこそスキンケアは気を付けていたのに。絶対ここ最近の陣平不足と、今日のストレスオンパレードのせいだ・・・・・。



てか左頬ってフラれニキビじゃなかっだけ?携帯で調べてみると、やっぱりそうでまた一段とテンションが下がる。


化粧で隠そうかなと思ったけど、それで悪化したら多分もっと泣きたくなる気がする。


今日のついてなさに加えてこの顔。陣平には死ぬほど会いたいけど、今日は会っちゃダメな気がする・・・、喧嘩しても嫌だし。


そう思い泣く泣く会えないってメッセージを送るとすぐに既読がついて。理由を聞かれたけど、肌荒れした顔見られたくないなんて言えるはずもない。適当に誤魔化して、携帯を机に置きソファに寝転ぶ。



「・・・・・・うう、まじで今日はダメな日だ・・・、」


クッションに顔を埋めながら、ため息混じりに呟いた。





何回も来たことのあるなまえの家。合鍵だって持ってるし、今まで一度だってこのドアを開けるのに緊張をした事はなかった。


それなのに今日はさっきの飲み会での話が頭から離れなくて。ドアノブにかけた手がぴたりと止まる。


小さく息を吐いて、ドアを開けると玄関にはなまえの靴だけ。それに安堵している自分がいて、そのまま家に上がりリビングへと向かう。


付けっぱなしの電気の下、ソファですやすやと眠るなまえ。特にいつもと変わった様子もない。


「・・・・・・ん、」

ドアを開けた音で目を覚ましたなまえが、目を擦りながら体を起こす。寝ぼけ眼で視線をうろうろとさせた瞳が俺の姿を捉える。


「・・・・・・っ、陣平・・・なんで、」

ぱっと目を見開いたなまえは慌てた様子で、結んでいた髪を解くと右を向き視線を逸らす。


普段なら飛びついてくるなまえが、こんな風に視線を逸らすなんてありえない。



「・・・・・・理由も言わずに急に会えねェって言われたら、何かあったのかって気になるだろ」
「っ、それは・・・そうだけど、」
「・・・お前何隠してンの?」


マジでこいつは分かりやすいと思う。今だって大きな瞳は不自然に左右に揺れていて、隠れるみたいにクッションを抱きしめている。


スーツのジャケットを脱ぎ、椅子に引っ掛けそのままなまえの隣に腰を下ろす。


「なまえ」
「・・・・・・っ、ちょっ、」


距離を詰めると、思い切り顔を背けられる。顔を隠そうとしたクッションを奪おうとすると、じたばたと暴れるなまえ。


もちろん力で俺に勝てるはずもなくて、そのままクッションを取り上げる。派手に暴れたもんだからなまえの髪が乱れ、細っこい首筋が長い髪の隙間から覗く。


「・・・・・・は?お前それ何?」

白い首筋に似合わない赤い痕。無意識に溢れた声は自分でも驚くくらい冷たくて低いもの。なまえもびっくりしたようにぴたりと固まっている。


それも一瞬のことで、はっとしたように俺の手からクッションをひったくるとそのままそれで顔を隠す。


「・・・っ、だから今日は会えないって言ったのに・・・!陣平に見られるの嫌だった・・・っ、」


ばくばくと心臓が嫌な音を立てる。なまえに限ってそんなことあるわけねェって思う反面、自分が付けた記憶のないそれは胸の奥で燻る不安を煽った。







最悪、最悪、最悪!!!


すっぴん肌荒れってだけでも嫌なのに、ソファでうたた寝してて寝起きとかまじでヤダ。絶対そんなの可愛くないもん。


黙りこくったままの陣平が気になって、私がクッションから目だけを覗かせたのと陣平が私の腕を引いたのはほとんど同時だった。


抱えていたクッションは床に落ちて、至近距離で視線が交わる。そしてそのまま陣平の手が私の方に伸びた。


「・・・・・・っ、」

思わずびくりと跳ねた肩。でも陣平の手が触れたのは左頬じゃなくて、私の首筋だった。


親指が首筋をなぞり、今朝の火傷痕にその手が触れる。ほとんど痛みすらなかったから、自分でも忘れていたその痕。


「会えないって言った理由ってこれ?」
「・・・・・・は?」

いつもより低くて抑揚のないその声。反射的に陣平の顔を見ると、怒っているのと同じくらい傷付いたみたいな顔をしていて。


一連の流れを頭の中でぐるぐると反芻して行き着いたひとつの可能性。もしかして、と思いばっと陣平の腕を掴んだ。



「っ、待って、それ違う・・・!」
「・・・違うって何が?もしかして無理やり、」
「それも違うくて・・・!とりあえず1回ストップ!」


陣平の眉間のシワが深くなり、纏う雰囲気が鋭くなる。勘違いがあらぬ方向へと向かっていることを察して、慌ててそれを制する。





「火傷しただけ・・・!朝コテ使ってて、半分寝ぼけてたから久しぶりにやっちゃって、」
「・・・・・・火傷?」


身振り手振りを交えて話すなまえの言葉に嘘はなさそうで、するすると肩の力が抜けていくのが自分でも分かった。


そこではたと気付く。それなら今日は会えないって言った理由は何だ?



「じゃあ今日急に会えねェって言ってた理由って何?」
「・・・それは、」
「何?」


言いにくそうに目を逸らしたなまえだったけど、もう一度聞けば諦めたみたいに息を吐き自分の左頬を指さした。


「・・・・・・ニキビできてたから、」
「は?」
「今朝はなかったのに帰ってきて化粧落としたらニキビできてたの!今日は朝からダメダメな日だったし、ついてない日だったから・・・。しかも左ほっぺだし!!」
「・・・・・・関係あンのか?それ」
「あるよ!!左頬にできるのはフラれニキビって言うじゃん!」


言われてみれば、指の先に小さなニキビがあるけど・・・。言われなきゃ気付かねェくらいだし、てかフラれニキビって何だよ・・・。


俺からすれば支離滅裂で訳分からねェ話だけど、多分なまえの中ではちゃんと繋がっているらしい。



「ただでさえついてない日なのに、陣平にフラれたら私死んじゃう!!」


・・・・・・ふざけてるわけじゃなくて、こいつの場合ガチで言ってンだよな、これ。


キッっと目を吊り上げながら、真剣な面持ちでそう言ったなまえの姿に思わずふっと笑みが溢れる。











「・・・・・・誰がンなことで振るかよ、バカ」



いつもと変わらないお前に心の底から安心したんだと思う。


腕を引き抱き寄せると、甘えるみたいに擦り寄ってくるなまえ。甘ったるい香水の匂いが鼻を掠めると同時に、俺じゃない誰かの煙草の匂いがそれに混じっていて。



「・・・・・煙草くせェ、」
「っ、あのジジイのせいだ・・・、店が禁煙じゃないからってずっと横で煙草吸ってたし。まじでいつか空瓶でぶん殴ってやる」


飲み会で隣に座っていたという上司へと恨み言をつらつらと話すなまえ。物騒なことを言ってンのは気になるけど、今はそれすら安堵の材料でしかなくて。


するりとなまえの長い髪を耳にかけるとそのまま首筋に唇を寄せた。火傷の痕のすぐ隣に残る赤い痕に、何かが満たされるような感覚。



「一緒に風呂入る?その匂いムカつくし」
「顔見られるのヤダ・・・、可愛くないもん・・・」


少しだけ赤らんだ頬に上目遣い。狙ってワザとやってるわけじゃねェのが、こいつの場合ズルいなってマジで思う。


頬を撫でた手を後頭部に回し引き寄せ、軽く唇を重ねただけで林檎みたいに真っ赤になるのは昔から変わらない。



「今更だろ、そんなの」
「・・・っ、はぁ?!今更って何!そこは『そんなことないよ、どんななまえでも可愛いよ』って言うところでしょ!!」
「恋愛ドラマの見過ぎだろ」
「そんなことないもん!たまには甘やかしてくれてもいいじゃん!今日私頑張ったもん!」
「へいへい。どんななまえでも可愛いよ」
「棒読みすぎてムカつく!!絶対思ってないじゃん!」


立ち上がり、風呂に向かう俺の後ろをギャンギャン言いながらもついてくるなまえ。


紡いだ言葉に嘘なんてない。どんなお前でもなまえであることに変わりねェんだから。



────────────────



「てかさ、これが火傷じゃなくてまじでキスマだったらどうしてた?」

ベッドの中で聞いてみたのは、単なる好奇心だった。

薄暗い部屋の中でも陣平が不機嫌そうに顔を顰めたのが分かった。


「・・・・・考えたくもねェ」
「じゃあ誰かに無理やりとかだったら?」
「相手の男捕まえて、顔の原形分かんなくなるくらいぶん殴る」
「ははっ、現職警察官の台詞とは思えないくらい物騒だ」


答えるまでに間があった最初の質問とは違って、即答で返された言葉。物騒な言葉だけど、愛されてるなって思うからそれが嬉しくてぎゅっと彼の胸に顔を埋める。



「私が陣平以外の男に触らせるわけないじゃん」
「・・・・・・ん、知ってる」



この距離を私が許せるのは、きっとこの世でたった一人だけだから。


Fin


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