番外編 ゼラニウム | ナノ
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▽ 1-4


「はい、とりあえずお水飲もっか」
「・・・・・・巻き込んでごめん。ヒロ、仕事忙しいのに・・・」
「ははっ、大丈夫だよ。今日はホントにこの後は何も予定なかったから」


誰もいない静かな公園。ぼやっとした街灯に照らされたベンチに並び座りながら、夜風のおかげで少しだけマトモな思考を取り戻した私は一気に自己嫌悪に陥った。


受け取ったペットボトルをぎゅっと握りながら俯く私を見て、ヒロは嫌な顔ひとつすることなく優しく笑ってくれる。


肩が触れそうで触れないその距離は、初めてヒロと出会ったあの日を思い出す。昔から変わらない彼の優しさ。今日だって私が香織にあんなこと頼んだから、多分ヒロだって陣平の前で気まずかったはずなのに。



「陣平が嫌な気持ちになるの知ってて、ヒロのこと呼んできてって香織に頼んだの。・・・・・・やっぱり私って性格悪いね」


自分で言葉にしたくせに、その言葉が胸に突き刺さる。目の奥がツンとして、さっきまでクリアだった視界がぐにゃりと歪む。


歪んだ視界に隣から差し伸べられたハンカチ。隣を見上げると、ヒロが「今日はちゃんとハンカチがあってよかった」なんて冗談めかして笑う。



優しさに触れて緩くなった涙腺。ぼろぼろと流れる涙は止まってくれなくて。あの日と同じだ。きっと話の順序もめちゃくちゃだし、涙のせいで何度も言葉に詰まる。それでもヒロが話を急かすことはなくて、ただ静かに相槌を打ちながら私の話を聞いてくれた。



「・・・・・・陣平が浮気したなんて思ってないの・・・っ、ただ・・・・・・、ただ・・・っ、」
「他の女の子といたことが嫌だっただけ。それに信じてないって松田に思われたのが辛かっただけだよね」
「・・・・・・っ、・・・」


ふわりと私の頭に触れる温かい手。ヒロはそのままそっと頭を撫でてくれる。


「オレのこと呼んだのも、ちょっとだけ松田に仕返ししたかっただけだって分かってるから」
「・・・・・・ヒロ、」
「でもね、松田の奴すごく傷付いた顔してたよ。オレ達と飲んでる間もずっとなまえのこと気にしてたし」



眉を八の字に下げたヒロは、その時の陣平の様子を教えてくれる。私の仕返しは成功したはずなのに、少しも気分はスッキリしない。それどころか罪悪感でいっぱいになる。



顔を歪めた私を見て、ヒロはくすりと小さく笑った。



「なまえは性格が悪い女の子じゃないよ。ただ少しだけ言葉が素直で意地っ張りなだけ」
「・・・・・・、」
「松田も言葉足らずなところがあるし、感情的になりやすいから。だから少しのすれ違いでこんな風に喧嘩になる。でもね、オレは少しだけ嬉しいなっても思うんだよ?」
「嬉しい・・・?」
「うん。だって昔のなまえなら考えられなかったもん」



過去を懐かしむように、薄暗い空を見上げたヒロ。雲のせいで月も星も見えない。


「そんな風にぶつかれるのは、松田から自分への気持ちを信じてるからだろう?愛されてるって信じてるから・・・、本音をぶつけても、少しくらいすれ違っても、大丈夫だって思えるんだよ」
「・・・・・・っ、」
「なまえはいい子だよ。あとは少しだけ素直になれたら、ね?」



昔からヒロの言葉は魔法の言葉だ。
すとんと胸におちてきて、私の中のマイナスな感情を拭い去ってくれるから。






マンションの前まで送ってくれたヒロと別れて、エレベーターに乗り込む。淡い光に照らされた廊下。ふと自分の部屋の前に座り込む人影に気付く。




「・・・・・・じん、ぺい?」
「・・・・・・遅せェよ」


さっき居酒屋で見かけたときと同じスーツ姿のまま私の部屋の前に座り込んでいた陣平。私に気付くと立ち上がり、ぱんぱんっとスーツのズボンを叩く。


顰めっ面のまま、ぶっきらぼうな返事。



鍵穴に鞄から取り出した鍵を入れる。薄らと開いたドアを支えたのは陣平だった。



「上がってもいいか?」
「・・・・・・合鍵持ってるじゃん、何でわざわざ外で待ってたの、?」
「・・・・・・から、」



私は背が小さいから。どうしたって陣平のことを見上げる形になる。頭上に伸びた陣平の腕はドアを支えたまま、気まずそうに視線を逸らしながら呟かれた声は思ったより小さくて上手く聞き取れなかった。



「・・・・・・、?」
「気になって仕方ねェからに決まってんだろ・・・、ンなの。自分の好きな女が他の男といるって分かってて、大人しく部屋ん中で待ってられるわけねェよ」
「っ、」
「部屋、入っていいか?」



こくん、と小さく頷くのとほぼ同時。玄関のドアが閉まるなり、腕を引かれ気が付いたら陣平の腕の中だった。


頬にあたる陣平のジャケットはひんやりとしていて、背中に回された手も冷たい。



「・・・・・・ずっと待ってたの?」
「悪ぃかよ」
「風邪引くじゃん、バカ・・・」


ぎゅっとジャケットを掴み、その胸に顔を寄せる。


ふわりと香る煙草と香水の入り交じった匂いにほっとした。やっぱりこの腕の中が大好きだから。






「・・・・・・悪かった、嫌な思いさせて。ホントにごめん。怒るのも分かるし、何回でも謝る。でも頼むから無視すんのと、他の男のこと頼るのはやめてくれ・・・、」


耳元で紡がれた言葉。
私と同じくらい素直じゃない人なのに。肩に顔を埋めながら紡がれた言葉はどこまでも真っ直ぐで。




「・・・・・・浮気なんてしてないのは分かってた」
「だったら、」
「嫌だった。私以外が陣平に触れてるのが。それに最初から私が陣平のこと信じてないって思われてることが何よりムカついた」
「・・・・・・っ、」
「信じてるに決まってるじゃん。他の誰に確かめなくても、陣平が私のこと裏切らないのは知ってる。大事に思ってくれてることも私が1番に知ってるもん」



今度は私が素直に胸の内を告げる番だから。

胸元から顔を上げ、頭ひとつ上にある陣平の顔を見上げた。




「二度と他の女に隙なんて見せないで。次あんな風に誰かが陣平に触れてるの見たら、そいつの腕切り落としてやる」
「・・・・・そんなことさせねェよ。もう二度とないようにすっから」
「ん。約束だからね」



返事の代わりに陣平の冷えた唇が私の髪に触れ甘いリップ音が静かな部屋に響いた。





────────────────



「にしてもあそこで諸伏のこと呼ぶのはマジでムカついた」
「萩原にしようかなとも思ったけど、陣平が嫌がるのはヒロだと思ったんだもん」
「・・・・・・ムカつく」


同じシャンプーの香りに包まれるベッドの中。私の髪を梳きながら、ぼそっと呟いた陣平。不貞腐れたみたいなその顔が可愛くて、思わずくすりと笑みがこぼれた。


「でも私は陣平のことが大好きだよ?」
「・・・・・・じゃなかったら許さねェよ、バカ」


いつの間にか真っ暗な空にかかっていた雲は晴れていて。窓の向こう、ぼんやりと地上を照らす三日月が陣平の肩越しに見えた。

Fin




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