▽ 1-2
最悪すぎる。
おでこに貼られた冷えピタがほとんど冷たさをなくしていた。朝よりはマシになったとはいえ、体温計で熱を測ってみれば37.9度。微妙に下がってはきてるけど・・・・・・。
寝返りをうち、枕に顔を埋めながら何度目か分からないため息をつく。
あんなに頑張って用意した松田へのバレンタインのチョコは、真っ暗な冷蔵庫中で眠ったまま。どうにか大学に行こうとしたけどお母さんに大人しく寝てろって言われて、ベッドに押し戻された。
お母さんが仕事に行ったあと、抜け出そうかなとも思ったけれど熱のせいで足元がふらついてそうもいかなかった。
結局いつの間にかオレンジに染まった空を窓越しに見ながらため息をつくばかり。
昨日あんな風に言った手前、松田に連絡しようかなとも思ったけどウザいって思われるかなって途中まで打った文字を急いで消した。代わりに香織にメッセージを送ったけど、病人は大人しく寝てなさい≠チて返ってきただけで、松田の様子は分からないまま。
絶対バレンタインに乗じて松田に近付く女がいるはず。無理、絶対に無理、ヤダ。
私の知らないところで他の女からチョコレートを貰う松田の姿が頭をよぎって、目の奥がツンとなる。
その時、枕元に置いていた携帯が短く鳴る。
手を伸ばして携帯を取り、画面を確認すればそこにはたった今頭を占めていた大好きな人の名前。
起きてるか?
たった一言。慌てて、起きてる!!!≠チて返すとすぐに窓の外≠ニだけ返事が届く。
すぐにベッドから起き上がると、窓を開けて家の前を見下ろした。
「・・・・・・っ、まつ、だ?」
「見舞い。ポストに入れとくぞ」
「っ、待って!!すぐ降りる!!!」
家の前にいたのは、コンビニ袋を片手に持った松田で。状況を理解しきれないのは、熱のせいなのか。急いで窓を閉めると、そのまま階段を駆け下りた。
玄関のドアを開けると、やっぱりそこには松田が少し気まずそうに立っていて。
「お前熱あんだろ?大人しく寝てろよ」
「・・・・・・っ、むり・・・、そんなの無理に決まってんじゃん・・・!!」
「っ、おい、」
ぶわっと込み上げてきた抑えきれない感情。寝起きですっぴんだとか、髪がぼさぼさだとか。冷えピタ貼ったままの可愛くない姿だとか。
いつもなら可愛くないところは絶対に見られたくないのに、今はこうして目の前に松田がいることが嬉しくて。熱に浮かされた頭がマトモに働いてくれない。
じんわりと視界が歪む。ふらついた私の腕を反射的に掴んで支えてくれた松田の腕にぎゅっと抱きついた。
*
熱のせいでふらつくみょうじをどうにか部屋に連れていき、ベッドに押し戻す。立ち上がろうとした俺の腕を掴んだみょうじは、もう少しだけここにいて欲しいと涙を啜りながらそう言った。
「・・・・・・はぁ、少しだけだからな」
「っ、あ゛りがと・・・っ、す゛き゛・・・!」
「泣くか鼻水啜るかどっちかにしろ、バカ」
普段から感情の上がり下がりが激しいってのに、今日は熱のせいもあってそれに拍車がかかってる。
それでもみょうじの変わらない様子を見て安心した自分がいたのは事実なわけで。
大体なんで見舞いなんて来たんだろ、俺も。言葉で説明しがたい気持ちに蓋をして、近くにあったティシュをみょうじの枕元に置いた。
「熱は?少しはマシになったのか?」
「〜〜っ、」
そのまま冷えピタ越しにみょうじの額に触れると、一気にみょうじの頬が赤く染まる。意識してなくても、その反応にこっちも心臓がうるさくなる。
少しの沈黙の後、口を開いたのはみょうじだった。
「・・・・・・・・・バレンタイン、他の女にチョコ貰った?」
布団を口元まで引っ張りあげながら、熱のせいでいつもより潤んだ大きな瞳で俺を見るみょうじ。こいつ相手に庇護欲なんて感じたことねェのに、込み上げてくるのはそれに似た気持ちで。
恐る恐る、といった表現がぴったりだった。
いつもうるさいくらいに気持ちをぶつけてくるくせに、こいつはたまにこんな表情を見せるから。
「お前が受け取るなって言ったンだろ」
「っ、」
「さすがに知り合いが人殺しになるのは勘弁」
思わずふっとこぼれた笑み。みょうじの瞳がゆらゆらと揺れる。
そしてそのままみょうじは、布団から出てきたかと思うと勢いよく抱きついてきた。
「・・・・っ、・・・・・松田のバカぁ・・・、」
「ンでだよ。てか重い、布団戻れって」
「・・・ヤダ・・・っ、ちょっとだけでいいから・・・っ、5分だけ・・・っ、・・・1分でいい・・・」
ホントに何だよ、こいつは。
ぐずぐずと涙声で俺の胸に顔を埋めたみょうじは、ぎゅっと背中に回した腕に力を込める。
大嫌いなはずなのに。こいつに振り回されることにいつもうんざりしていたのに。
今、この瞬間、それが嫌だとはどうしても思えなくて。
無意識にみょうじの背中に回しかけた手を止め、そのままベッドからずり落ちた布団を引き寄せた。
「・・・・・・1分経ったらちゃんと寝ろよ。熱上がるだろ」
「・・・・・っ、松田のせいだもん」
抱きついたまま離れないみょうじの肩に布団をかけ、その布団がずり落ちないように腰に腕を回した。
帰り際、みょうじは冷蔵庫から取り出した綺麗にラッピングされた箱を渡してきた。
「・・・・・・受け取ってくれる?」
「ん、昨日約束したからな」
「ちなみにちゃんと本命だからね」
「今更だろ、知ってる」
今更これが義理だなんて思わねェよ。
家に帰って開けたその箱の中には、あの料理下手が作ったにしては綺麗に焼けたガトーショコラが入っていて。ひと口食べてみれば、口の中に広がるほんのりとした甘みと苦さ。
その苦さが素直になれない自分と少しだけ重なったような気がした。
Fin
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