番外編 ゼラニウム | ナノ
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▽ 1-1


ここ数日、我が家に充満するのは甘いチョコレートの香り。大学が終わって家に帰るとキッチンに立つのが最近の日課だ。



昼からの講義だったからいつもより少しだけ遅めの起床。化粧を済ませリビングに向かうとパパは仕事に行った後で、リビングにいたのは洗濯物を畳んでいたお母さんだけ。



「おはよう。ご飯は?食べてから行くの?」
「おはよ。んーん、コンビニ寄るからいいや」


視線だけをキッチンに向けたお母さんに、冷蔵庫から取り出したオレンジジュースを片手に答える。


全ての洗濯物を畳み終えたお母さんは、不意に何かを思い出したみたいに「そうだ」と声を上げた。



「なまえ、今日もお菓子作るの?」
「学校終わったらそのつもりだけど何かあるの?」
「バレンタインの練習するのはいいけど、これ以上パパにチョコあげちゃダメよ?」
「何で?パパなんか言ってたの?」
「ここの所毎日失敗したやつパパに押し付けてるでしょ?いい加減自分の失敗作は自分で処理しなさい」
「失敗作じゃないもん!ちゃんと食べれるものだし!」



なんて失礼な!ここ数日、お母さん曰く失敗作と言われる私のバレンタインの練習の結果達。微妙に焦げたクッキーやマフィン。その前は何故かぺったんこのマカロン。美味しそうとは言えない物ばかりだったけど、一応全部食べられる・・・・・・はずだもん。



もちろんあげる相手は松田だけど、何をあげるか決めきれなくて色々思いつくままに練習を繰り返す日々。


これまでのバレンタインは既製品をあげたこともあったし、お母さんに手伝ってもらったこともあった。でも今年は自分の手だけで作りたくてあれこれと試行錯誤中なのだ。



「とにかくパパに甘えないで自分でどうにかしなさい。これ以上パパに甘いもの食べさせてたら体にも悪いし」



ぴしゃりとそう言い切ったお母さんは、洗濯物を片付ける為に2階へと向かった。



自分でどうにかしなさいって言われても・・・・・・。そんなに毎日お菓子食べてたら絶対太るし。かと言って捨てるのはさすがにもったいない。



だからこそ私が作るものなら何でも喜んでくれるパパにあげてたっていうのに。お母さんにあぁ言われたんじゃそれも難しそうだ。他に誰か食べてくれそうな人か・・・・・・。


香織は太るからって断られそう。ヒロは頼めば引き受けてくれそうだけど、美味しいとは言えないものを押し付けるのはさすがに気が引ける。零に頼むのは何となく癪に障るし。・・・・・・こういう時に友達が少ないのって困る。



講義中もそんなことを考えていたけど解決策は浮かばなくて。放課後、家までの道を歩きながらどうしたものかって考えていると少し前に珍しく1人の萩原の背中を見つけた。



ぴこん!って頭の中に電球が閃く。
今なら萩原の隣に松田の姿もないしちょうどいい。







「んで?何で俺はなまえの家に連れてこられちゃってるわけ?」
「どうせ暇だったでしょ?だったらいいじゃん」
「ははっ、ひでぇ。バレンタイン前だから女の子とデートの予定が詰まってるんだけどなぁ」



大学の講義が終わり、帰り道に会ったなまえに引き摺られ連れてこられたのはなまえの家。なまえの家に来るのは、陣平ちゃんとなまえが高校の頃に揉めたあの時に来た以来だ。



親御さんは留守みたいで、エプロンをつけたなまえがキッチンからゴミを見るみたいに俺を見る。



「よくそんな色んな女と遊ぶ気になるよね。何が面白いのか分かんない」
「まぁでもデートより今はこっちのが面白そうかも♪ 誰もいない家に俺のこと連れ込んで何するつもり?」



ソファから立ち上がりキッチンに立つなまえの隣に立つ。少しだけ顔を近付けてながらそう聞くと、思いっ切り顔を顰めたなまえが盛大にため息をついた。



予想通りの反応に思わずふっと笑みがこぼれる。



「さすがに無言でため息は傷付くなぁ」
「バカなこと言う萩原が悪い。とりあえず近い、キモい」
「ははっ、相変わらず辛辣だねぇ。んで?まじで何があったわけ?」



すっと体を離し、シンクに腰掛ける。なまえは黙ったまま大きな冷蔵庫の扉を開けた。一緒に中を覗けば、デカめの皿にのったチョコレートタルト。


あぁ、なるほど。何となく理解した。



「松田へのバレンタイン何にするか悩んでて色々練習してたの。でも上手く出来なくて中途半端なやつが余っちゃって。パパにあげてたんだけど、お母さんからストップ入って処理に困ってるの」
「なるほどな。大学の奴らに配ればいいのに。お前からなら喜ぶ奴多いだろ」



昔から料理下手のなまえ。美味いかどうかは別にして、なまえからってだけで喜ぶ野郎は多いはず。



「無理。仲良くもない人に渡す意味分かんないもん」
「仲良い奴ならいいんだろ?あのヒロくんって奴は?」
「こんな美味いか分かんないものヒロにあげれるわけないじゃん!料理下手って思われたくもないし!」
「えー、俺はいいの?」
「萩原にどう思われても気にならないもん。あんたなら私が料理苦手なのも知ってるじゃん」


さも当たり前のようにそう言ったなまえは、冷蔵庫からチョコレートタルトを取り出した。


それを俺に渡すとなまえはシンク下の引き出しからボウルを取り出す。



「とりあえずそれ食べといて。タルト生地がちょっと焦げただけで食べれるはずだから」
「残飯処理係ってわけね♪ 」



陣平ちゃんの好みに合わせて甘さ控えめのチョコレートに少し焦げたほろ苦いタルト生地。隣で真剣な顔をして携帯でレシピ動画を繰り返し見るなまえを見ていると、まぁ残飯処理係を押し付けられるのも悪くはない気がしてくる。



俺の扱いはひでぇなって思うけど、昔から変わらないそれは今となってはもう面白いし慣れたものだ。



それよりもあの我儘お姫様みたいななまえが、陣平ちゃんの事となると努力を惜しまずこんな風に頑張るんだからすげぇなって思うんだ。







バレンタイン。毎年この時期が近付くと、みょうじはいつもに増して俺にべったりだった。どんなチョコが好きだとか、何か欲しいものはないかだとか。口を開けば甘ったるい話ばかり。


今年もそうなるだろうって覚悟はしていた。なのに何故かみょうじの口からチョコレートの文字が出ることはない。



それどころか無駄に忙しそうで、授業が終わるとさっさと大学を後にする。会えばいつもみたいにデカい声で俺の名前を呼ぶけれど、それだけで。どこかに行こうって騒ぐことはない。



何となくそれが面白くない気がして、ここのところ煙草の本数が増えた気がする。



バレンタイン前日の今日も授業を終えたみょうじは「松田〜!また明日ね!!」って手だけ振るとさっさと教室を出ていった。



なんだ、あいつ。僅かな苛立ちを覚えながら、向かったのは喫煙所。別の授業を受けていた萩がいるかなと思ったけど、そこにあいつの姿はない。



ポケットから取り出した煙草に火をつけ、たいして興味もないSNSを携帯で眺めていると隣にいた女達の会話が聞こえてきた。



「てか聞いた?あの話ホントだったみたいだよ」
「あの話?」
「萩原くんとみょうじさんのやつ!最近放課後よく一緒にいるって噂になってたじゃん!」
「え、まじ?!でもあの2人って地元同じでしょ?だからたまたま同じ方面帰ってたとかじゃないの?」



聞こえてきた頭を占めていた奴の名前。俺の存在に気付いていないそいつらは、そのまま話を続けた。



「それがさ!萩原くんがみょうじさんの家に入ってくとこ見た子がいるだって!やっぱりあの2人付き合ってるのかなぁ」
「っ、マジで?!ショックすぎ・・・。そういえば最近萩原くんなんか付き合い悪かったもん。一昨日誘っても断られたし」
「まぁでもみょうじさん相手なら仕方ない気もするよね」



どうやら萩の取り巻きらしいその女達。その後も大袈裟に騒いでいたけど、正直話はあんまり頭に入ってこなかった。



萩がみょうじの家に?そんなことあるか?あいつらはたしかに付き合いは長い。でも仲がいいかと聞かれたらそれはまた別問題なわけで。



いつの間にかほとんど灰になっていた煙草が、ぽとりと灰皿に落ちた。








「出来た!!!」
「お疲れ。おお、いい感じじゃん」


キッチンでガッツポーズをする私と、カウンター越しにぱちぱちと手を叩く萩原。出来上がったブラウニーの端っこを萩原と試食してみたけど、まぁまぁの出来な気がする。




あとは綺麗にラッピングしたら完成だ。何とかバレンタイン当日までにいい感じになったし良かった。


ほっと安堵の息をついた私は、エプロンを外してリビングへと向かう。



「今日まで残飯処理係やってた俺にはないの?チョコレート♪ 」
「はぁ?さっきブラウニーの切れっ端あげたじゃん」
「ははっ、とりあえず間に合ってよかったな。なまえが1人で作ったにしては美味かったし、陣平ちゃんも喜ぶんじゃね?」



私のこんな物言いも萩原には全く通じないから。ケラケラ笑いながら、飲みかけの紅茶に手を伸ばす萩原。



そんな話をしていると、机の上に置いていた携帯が短く震える。画面を見ると、そこには予想していなかった人からのメッセージ。



思わず帰りの用意をしていた萩原を見た。



「どした?」
「っ、松田から!メッセージ!!!」
「陣平ちゃんから?珍しいな」



上着を羽織った萩原が隣にやって来て、私の携帯を覗いた。



お前今何やってんの?



たった一言。絵文字もなにもないその文に携帯を落としそうになる。



松田から私に連絡があるなんてめちゃくちゃ貴重なわけで。ましてこんなよく分からない内容なんてほとんどない。



萩原の顔を見れば、片手で口元を隠しくつくつと笑いを噛み殺している。




「ふっ、とりあえず家にいるって返しとけばいいよ」
「っ、分かった。でも何で急に?課題で分かんないとこあったとか?」
「さぁねぇ。まぁ俺は帰るからまた結果報告待ってるわ」



ケラケラと笑いながら、私の頭をぽんっと撫でた萩原はそのまま玄関へと向かう。その手を払うと、一応のお礼も兼ねて見送りのためその背中を追いかけた。



「ありがとね、残飯処理。おかげで色々レシピ試せたし」
「おう。おかげで俺はしばらくチョコいらねぇや」
「明日たくさん貰うんじゃないの?」
「それはそれかなぁ♪ とりあえず陣平ちゃんのこと、頑張れよ」



ひらひらと手を振り家を出ていった萩原。彼を見送ってしばらくした頃また携帯が鳴った。



どきりと跳ねた心臓。画面を見ればやっぱりそこには松田の名前。



今から会えねぇ?



「っ、な、何で?!意味分かんない!!!」


ガタン!と音を立てて手から落ちた携帯。1人きりの部屋に私の声が木霊した。








オレンジ色に染まった空。


みょうじの家の近くの公園でぼーっと流れていく雲を眺めていると、砂を踏みしめる音がして入口の方に視線を向けた。



「っ、ごめん!待たせちゃって・・・!」
「別に。急に呼び出したの俺だし」



何故かデカめの鞄を肩にかけたみょうじが息を切らせながら駆け寄ってくる。



ベンチに座る俺の隣に腰掛けたみょうじ。吹き抜けた風と共にふわりと香った甘ったるい匂い。



喫煙所で聞いた話が頭から離れなくて、勢いで連絡しちまったけどこの後どうしたらいいんだ?



萩と一緒にいたのか?何してた?そんなことを俺が聞くなんて意味が分からない。大体もしそうだったとしても、何でこんなにイラつくのか意味が分かんねェ。



気付きなくない気持ちに蓋をして、何を言うべきか考えているとみょうじが先に口を開いた。



「っ、あのね!!これ!!とりあえず全部持ってきたから!!」



そう言ってデカい鞄から何かを取り出したみょうじはそれを俺の膝の上に置いた。



「・・・・・・何これ、」
「何これって講義のノート。あとレジュメにも色々書き込んでるからとりあえず全部持ってきた」
「・・・・・・は?」



時間が止まるってのはまさにこのことだろう。これがあの授業で・・・・・・、って説明するみょうじの言葉は全く頭に入ってこない。



思わず俺はノートを捲るみょうじの手を掴んだ。



「っ、」
「ストップ。なんで急に勉強の話なワケ?」
「・・・・・・?だって松田から急に呼び出しなんて・・・。講義寝ててノート取れてないから課題やるのに困ってるとかじゃないの?」
「・・・・・・、」
「前もあったじゃん。ほら、××先生の授業のやつ」



あぁ、そういえばあった気がする。
爆睡こいてノートなんて全く取ってなかった俺が、期日の迫った課題に困って最終的に頼ったのがみょうじだった。みょうじは派手な見た目に反して頭だけはいいから、試験前とか課題に行き詰まったときは色々と助けられてきたのは事実。



だからって・・・・・・。




「別に今日はそんなんじゃねェよ」
「ホント?!急だったし絶対そうだと思ったのに。じゃあどうしたの?」



きょとんとした顔で小さく首を傾げたみょうじ。当然の疑問に思わず言葉に詰まる。



大きな目をぱちくりと瞬かせながら俺を見上げるみょうじ。その沈黙が何とも居心地が悪くて、半ばヤケクソになった俺は勢いのまま口を開いた。




「・・・・・・お前さ、今日萩といたのか?」
「っ、何でそれ・・・」



それはあの噂を肯定する言葉。みょうじは驚いたみたいに目をぱっと見開いた。



ふつふつと込み上げてくる不快感。腹の底で何かドロドロとしたものが渦巻く。




「萩とお前って家行き来するほど仲良かったワケ?」
「っ、はぁ?!そんなわけないじゃん!!」
「だったら、」
「萩原には残飯処理頼んでただけだし!」
「・・・・・・残飯、処理?」



予想していなかった言葉。そっくりそのまま繰り返した俺の腕をみょうじはぎゅっと掴む。



「今年のバレンタイン松田に何あげるか色々考えて練習してたの。そしたらどんどん家にお菓子たまっていって・・・・・・。パパに食べてもらってたけどそれも追いつかないから、仕方なく萩原に頼んだの」
「・・・・・・何だそれ、」
「だって仕方ないじゃん!松田に中途半端なやつあげたくなかったんだもん!でもその為にはいっぱい練習しなきゃだったから。出来上がったやつ捨てるのはもったいないし、でも自分で食べたら太るし・・・・・・」
「だから萩に食わしてたってワケ?」
「うん。萩原相手なら失敗作食べさせても胸が痛まないし♪ 」



何故かドヤ顔でそう言ったみょうじに、ほっとしたと同時にまた別のモヤモヤとした何かが胸を掠める。



俺へ渡すものを別の男にやるのかよ。



口にすることはないそれは、ぐるぐると胸の中で渦巻いた。







突然、むぎゅっと私の鼻を摘んだ松田。



そんなブサイクな顔を松田に見られるのは嫌で慌ててその手を退けようとするけれど、思ったよりも近いその距離に心臓が一気にうるさくなる。




「〜〜っ、何、?!」
「お前ってホント馬鹿だよな」
「なっ、松田より賢いもん!!」
「そういうとこだよ、バーカ」



ぱっと私の鼻から手を離した松田は、そのまま軽く私の額を小突く。


ムカつく。そう思うのに、夕陽のオレンジに染まる松田の横顔から目が逸らせない。喉を鳴らして笑う松田がたまらなくカッコよくて仕方ない。



勢いのまま私はぎゅっと松田の腕に抱きついた。



「ンだよ、」
「何でもないけど抱きつきたくなったの!今だけいいじゃん!」
「何だそれ。てかお前の場合は今だけじゃねェし」
「だって好きだもん。明日バレンタイン楽しみにしててね!!」
「へいへい、分かったよ。ちゃんと食えるもんなワケ?」
「っ、当たり前でしょ!あ!他の女からのやつ受け取ったらその女殺すからね!!」
「相変わらず物騒すぎンだよ、お前は」



そう言いながらキッと睨んだ私に、松田は呆れ混じりに笑う。


それでも本気で振り払われない腕の温もりが何よりも嬉しくて。たまらなく幸せだなって思ったの。




Fin


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