番外編 ゼラニウム | ナノ
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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
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▽ 1-2


力いっぱい突き飛ばされてぐらりと傾いた体。とんっと肩にまわされた腕が私の体を支えてくれる。


さっきまで私に触れていた気持ち悪いものとは違う体温。ふわりと鼻を掠めたその香りは、私にとってほっとするものでしかなくて。



「おいコラ、おっさん!何してンだよ、アンタ」
「っ、」
「さっさと駅長室行くぞ。逃げようとすんじゃねェよ」


私を支えていた腕とは反対の手で、しっかりと男の腕を掴んでいたのは他でもない松田だった。



男と女の力の差。私の腕を振り払った目の前の痴漢男も、さすがに松田の手を振りほどくことはできないらしい。



これだけ騒いでいるのに、周りの誰もが好奇の目だけをちらちらと向けて通り過ぎていく中、少しの迷いもなく痴漢男と私の間に入ってくれた松田。



正義感が強い人だから。
多分これが私じゃなくてもこの人は同じ行動をするって分かっていてもやっぱり嬉しいなって思うし、安心なんてしちゃうんだから単純だなって自分でも分かってる。



さっきまでの気持ち悪さや恐怖。そんな真っ黒い感情が、松田の手から伝わる体温で少しだけ和らぐような気がした。



松田の手によって駅長室に連れていかれたその男は、駅員達に囲まれながらふてぶてしい顔を貫いていて少しも反省の色なんて見えない。



・・・・・・ホント男ってこういうところがキモチワルイ。



皆がそうだって思ってるわけじゃない。それでもこんな目にあうのは初めてじゃないから。女ってだけで、着飾ってるだけで、なんでこんな目にあわなきゃいけないのかなって腹が立って仕方ない。



やっぱり松田以外の男なんて大嫌いだ。



駅員の女の人と少し話した後、これ以上ことを大きくしたくないからってあの男のことは駅員達に任せることにした。買い物だってあるのに、駅から出るとすっかり空は茜色に染まっていて薄く月の影が見えていた。




「とりあえず今日は帰るか。思ったより時間かかっちまったし」
「買い物は?いいの?」
「さっきクラスの奴に確認したら明日でいいって」
「そっか、たしかに今から買って帰ってたら下校時間だもんね」



私が駅員室で話している間に確認してくれていたんだろう。欠伸を噛み殺しながらそう言った松田は、駅の方へと踵を返す。


その時、改札口の近くですれ違ったのはさっきの痴漢男とよく似た年齢のスーツ姿の男。人が多いから仕方ない。そう分かっていても、すれ違った時に僅かに掠った腕にびくりと肩が跳ねた。



「みょうじ?」
「・・・・・・ごめん!ちょっとトイレ行ってくるから切符買っといて!」
「っ、おい!」



こんな弱い姿を松田に見られたくない。私はあんな男のこと気にしてないし、今手が震えてるのだって寒いからでしかない。



だって多分、松田が好きなのはこんな時でも弱いところなんて見せない女だと思うから。



頭を過ぎるのは、いつも凛としていて強い彼の想い人の姿で。


あぁ、だめだ。
トイレの洗面台に両手をつきながら小さくこぼれたため息。



気を抜くとすぐに弱い自分が顔を覗かせる。
不安定になった心が、私にとって1番嫌なことを思い出させた。



・・・・・・・・・本当はさっきの痴漢だって怖かった。

周りに気付いていた大人もいたはずだった。それなのに皆気付かないふり。昔同じ目にあったときもそうだった。


だから自分の身は自分で守るしかなくて。
気が強いって言われていたって、あんな風に突き飛ばされたら男の力に勝てるわけなんてないから。



本当は満員電車なんて嫌い。私を見る男≠フ視線なんて不快でしかない。それでも今日はちょっとだけ特別な日だから、あんなクソ男のせいで台無しにされたくなんてない。




「・・・・・・・・・ふぅ、大丈夫。帰りの電車は多分そこまで混んでないはずだし。うん、大丈夫」


まるで言い聞かせるみたいに小さな声で繰り返す。



にっと無理やり口角を上げて笑ってみれば、鏡の中の私は文句無しに可愛い顔を向けてくれるから。



うん、大丈夫。それに今はひとりじゃないから。






トイレの方に走ってったみょうじの横顔はいつもの勝気なあいつとは違って、どこか少し陰りを帯びていて。多分、それは俺の気のせいなんかじゃないと思う。



「・・・・・・いくらあいつでもそりゃ怖いか」


ほとんど無意識に流れ作業のように券売機に小銭を入れていた手が止まる。学校の近くの駅までのボタンを押しかけた指で、そのまま取り消しボタンを押すとさっき入れた小銭が音を立てて戻ってきた。



そのまま近くにあった自販機に、小銭を入れてコーヒーとミルクティーのボタンを押す。


残った小銭をポケットに入れ、腰を曲げミルクティーのペットボトルを手に取ると少し離れた場所から「松田!」ってみょうじの声がした。



「待たせてごめん!」


ぱたぱたと駆け寄ってきたみょうじの表情にさっきの陰りはない。けど何となくいつものあいつとは少しだけ違うような気もして。



少しの沈黙。黙ったままの俺を見て、みょうじは小さく首み傾げながらもう一度俺の名前を呼んだ。



「・・・・・・さっさと帰んぞ、遅くなる」
「っ、待って・・・!電車は?次のやつもう来るよ?」


みょうじにミルクティーを渡すと、そのまま駅の出口の方へと足を進める。慌てた様子で俺を追いかけてくるみょうじは、いつもみたいに俺の腕を引こうとして一瞬だけ躊躇するみたいに手を止めた。



何だよ、いつも飛びついてくるくせに。



「ねぇ、松田ってば!どこ行くの?やっぱり買い物して帰るんなら・・・っ、」
「買い物は明日また来るからいい。歩いて帰る」
「歩くって・・・っ、30分はかかるよ?電車ならすぐなのに・・・」



別に歩けねェ距離じゃない。それに何より・・・・・・、


駅に背を向けて数歩。俺の少し後ろにいたみょうじを振り返った。







すたすたと駅に背を向けて歩き出した松田の背中を追いかける。触れようと伸ばした手が一瞬だけ止まったのは、少しだけ・・・振り払われるのが怖かったから。





「電車。乗りたくねェんだろ?」
「っ、」
「あんな事あった後だし嫌なのも分かる。だから歩くぞって言ってンだよ。さすがにタク代なんてねェからな」


学校まで歩くって言う松田の腕を今度こそ掴むと、その手が振り払われることはなかった。


こういう優しさがホントにずるいなって思うの。特別≠カゃなくても、こんな風に優しくされたら誰だって期待しちゃうよ。


「私は別に平気だもん!あんなのよくあることだし気にしてな・・・っ、」
「慣れるわけねェだろ、あんなの」



それでも強がりな私は素直に弱さなんて見せられなくて。捲し立てるみたいに早口でそう言った私の言葉をぴしゃりと松田は遮った。



「お前さ、修学旅行の時もそうだったけど変なとこで強がんのやめろよ。普通に怖いなら怖いで、はっきりそう言えばいいだろ」
「っ、だって・・・」



そんなことで泣く女を松田は嫌いじゃん。


喉元まで出かかった言葉をごくりと飲み込み俯いた私のおでこを、松田はとんっと拳で軽く小突いた。



「らしくない顔してんじゃねェよ、バーカ」
「っ、バカじゃないもん!!それにあんな奴のことなんて少しも・・・・・・っ、気にしてなんかないし・・・っ、!!」



優しくされたらやっぱりダメだ。


言葉は荒っぽくても、触れた手の温度がたまらなく優しく感じてしまうから。ぐにゃりと歪んだ視界に目の奥がツンとなる。喉がきゅっとなって言葉に詰まった私を見て、松田は呆れたみたいに小さく笑うと私の頭をくしゃりと乱暴に撫でた。



「さっさとあんな奴の事なんか忘れろ、分かったか?」



好き。好き。大好き。

口を開けば気持ちが溢れちゃいそうで、自然と心臓の音がはやくなる。



涙を隠すみたいに松田の腕に顔を埋めてみても、松田は黙ったまま何も言わない。珍しく避けることもせずされるがまま。




「・・・・・・っ、・・・す゛き゛・・・!!」
「何言ってンのか分かんねェ。あ、てかお前今俺の服で鼻水拭いただろ!!」
「拭いてないもん゛!!!鼻水なんて垂れてないし!!」



いつもと変わらないふざけたやり取り。それは松田なりの優しさでしかない。


片手で涙を拭って、そのままぎゅっと腕に抱きついてみる。



「・・・・・・すんげェ歩きにくいンだけど、」
「やだ。今日だけは引っ付いてたいの!!」
「へいへい。今日だけってお前の場合いつもだろ」



憎まれ口を叩きながらも私達を包む空気はどこか穏やかで。さっきまでの不安な気持ちなんて、松田のひと言で簡単に消えてしまう。



徐々に黒に飲み込まれていった空。いつもよりゆっくり歩いて帰ったのは、いつの間にか煌々と輝く半分の月をもう少しだけ一緒に見たかったから。




Fin


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