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ドラマや漫画で1度は聞いたことのあるセリフ。
お風呂?ご飯?それとも・・・
ヒロインの女の子が帰ってきた彼氏や旦那さんにそう聞くと、みんな答えは決まってて。
ベタなことだって分かっていても、頭に浮かんだそれを試してみたくなるのが女の子ってものだと思う。
「ただいま」
仕事を終えて帰ってきた陣平。昨日は事件のせいで帰ってこられなかったから1日ぶりに聞く大好きな人の声。キッチンから玄関を覗く。ぺたりと玄関に座りながら靴を脱いでいて。ぱたぱたとエプロンをつけたまま駆け寄ると、その背中にぎゅっと抱きついた。
「おかえり!!お疲れさま!!」
「サンキュ。てか重い、ちょっと離れろ」
「やだ!てか重くなんかないし!」
ぽんっと私の頭に手を置く陣平。くしゃくしゃと頭を撫でると、そのまま私が彼の首に回していた腕を解かれてしまう。
立ち上がった陣平の腕に自分の腕を絡めながら、くっとその手を引いた。
「ねぇねぇ!」
「何だよ、ヤケにテンション高ぇな、今日」
気だるそうな視線なんてもう慣れた。昔とは違って、その瞳の奥に冷たさなんてない。現に今だって、絡んだ腕は解かれない。
何だかんだ優しい陣平に、心臓がきゅんと高鳴る。
「お風呂にする?ご飯にする?それとも・・・・・・、私にする?」
とびっきりの上目遣い。文句なしに可愛い自信だってある。会えなくて寂しかったから、いつも以上に引っ付きたいし甘えたい。
それなのに・・・・・・、
「飯。腹減ったし」
顔色ひとつ変えずにさらりとそう言った陣平。ふぁーって眠そうに欠伸を噛み殺しながらリビングに向かおうとした陣平の背中を、思わずグーで殴る。
「ンだよ、お前が聞いたんじゃん。飯か風呂かって」
「聞いたよ!でもそこは普通私を選ぶところでしよ?!」
「腹減ってンだからそりゃ飯だろ。お前食っても腹膨れねェし」
「〜〜っ、く、食うって、」
真っ赤になった私を置いてリビングのドアを開けた陣平。慌ててその背中を追いかけると、キッチンに用意していた晩ごはんを見つけた陣平は、嬉しそうに声を上げる。
「お、ラッキー♪ 唐揚げじゃん」
ちょうど揚げ終わって油を切っていた唐揚げに手を伸ばす彼。私が出迎えた時より嬉しそうな声のトーンに、ぴきりと眉間に皺が寄る。
・・・・・・こいつ、私より唐揚げの方が好きなわけ?
ぱんっとその手を叩くと、お皿をすっと取り上げる。
「唐揚げじゃないし!油淋鶏にするの!」
「美味そうじゃん。1個くらい先食ってもよくね?」
「絶対、絶対ヤダ!ダメ!」
ふんっと顔を背けると、「ケチ」なんて子供みたいな捨て台詞と共に着替えに向かった陣平。その背中に思いっきり中指を立てた。
*
腹が減ってる時に食う肉ってのはマジで美味いと思う。
昔より随分と上手くなったなまえの料理の腕。俺の為にって頑張ってたから、味付けひとつにしても全部が俺好みなわけで。
胃袋掴まれるってこんな感じだよなぁ、って思いながら飯を食っている間も正面に座ったなまえはジト目で俺を睨んだまま。
多分、いや、絶対に。さっきのやり取りが尾を引いてるんだろう。
食い終わった皿をシンクにさげ、洗い物を始めたなまえの隣で換気扇のスイッチに手を伸ばす。コンロの横に置きっぱなしにしていた煙草の箱から1本取り出すと、それに火をつける。
すっと吐き出した煙が換気扇に吸い込まれていく。
煙草を吸い終わる頃には、洗い物はほとんど終わっていて。短くなった煙草を灰皿に押し付けると手を洗っていたなまえの肩に後ろから腕を回す。
「・・・・・・重い。邪魔」
「なに拗ねてンだよ、さっきから」
「別に拗ねてなんかないもん」
完全に不貞腐れた顔で俺を睨むと、手についた水を払いタオルに手を伸ばすなまえ。
いつもなら「陣平〜!」ってうるさいくらいに引っ付いてくるくせに。何となく相手にされないのは、それはそれでおもしろくない。
「一緒に風呂入る?」
「・・・・・・ニワトリと入れば?」
「お前なぁ・・・・・、」
完全にへそを曲げたなまえは、俺の腕を解くとリビングのソファに腰かけ読みかけの雑誌に手を伸ばす。
あぁなったなまえの機嫌をとるのは中々に骨が折れる。いつもが単純な分、こうなるとしばらくは不貞腐れたままだろう。
どうしたもんかねぇ、ホント。
昔の俺なら機嫌をとろうなんてそもそも思わなかったし、めんどくせェって放置してたと思う。それでも今はそんなことは少しも思わなくて。むしろ・・・・・・、
*
1度不貞腐れると中々いつも通り≠ノ戻るタイミングが掴めない。
結局別々にお風呂に入って、気が付くと時計の針はあと少しで日付をまたぐ。
リビングでの沈黙に耐えられなくなって、先にベッドに潜り込んだのは私だった。しばらくしてテレビの音が消え、寝室のドアが開いた。
ギシッというスプリングの音と共に沈むベッド。変な緊張から思わず身体に力が入る。
「なまえ」
「・・・・・・、」
「おいコラ、無視すんな」
背中を向けていた私の腰に腕を回した陣平がぽつりと呟く。
もうとっくに怒ってなんかない。それでも何となく素直に返事ができなくて。
黙ったままの私を後ろから抱き締めた陣平は、そのまま耳元に顔を寄せた。
「・・・・・・みょうじ、」
「っ、」
随分とそう呼ばれることなんてなかったから。それでも陣平と過ごしてきた長い年月、そう呼ばれていた期間の方が長かった。
結婚して、同じ名字になった今。何だか擽ったくて、懐かしい気持ちになる。
そろそろと振り返った私を見て、陣平は「やっとこっち見たな」なんてふっと笑みをこぼす。
陣平が私のことをそう呼んでいたあの頃、そんな風に優しく見つめられることは少なかったから。気持ちがあの頃に戻ったみたいに心臓がうるさい。
きっと顔だって真っ赤になってる。
「機嫌直せって、俺が悪かったよ」
「・・・・・・ご飯に負けたもん、私」
「だってお前の飯美味ェし。昨日コンビニ弁当だったから、なまえの作る飯が恋しかったンだよ」
「ニワトリより私の方が好き?」
「別にそもそもニワトリ好きじゃねェ・・・・・・、当たり前にお前のがいい」
馬鹿みたいな質問だって自分でも分かってる。
それでもこうして答えてくれる陣平のことがたまらなく大好きで。
そっと陣平の背中に腕を回すと、その肩口に顔を寄せる。少し伸びた彼の髪が私の頬に触れる。同じシャンプーの匂いとそれに混じる煙草の匂い。
確かめるみたいにすっと息を吸えば、「嗅ぐな、バカ」って呆れたみたいな笑い声が頭上から落ちてくる。
不意に、ぐるりと視界が反転して気が付くと向かい合うような体勢から陣平に押し倒されるような体勢に変わる。
「っ、」
「いちばん好きなもんって最後にとっときたくなるンだよ、俺は」
「なっ、」
「お前から誘ったんだから責任取れよ♪ 」
悪戯っぽい笑顔を浮かべた陣平に、心臓の音がさらに加速する。触れる手の温もりに慣れる日なんてきっとこないだろう。
ばくばくとうるさい心臓の音が陣平に聞こえてしまいそうで。それを隠すみたいにその背中にぎゅっと腕を回した。
Fin
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