番外編 ゼラニウム | ナノ
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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
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▽ 1-2


「・・・・・・遅い!」


深夜の大して面白くもない番組が垂れ流しになっているテレビ画面の前で、ソファに座りながら呟いた言葉に当然返事はなくて。


時計を見ればもう少しで日付を跨ぐ。ちらりと携帯を見ても、陣平からの連絡はない。


メッセージアプリを開くと、少し前に送ったメッセージは未読のまま。


飲み会に行って帰りが遅くなるなんて、別に珍しいことじゃない。しょっちゅうというわけじゃないけど、それこそ数ヶ月前にも先輩に誘われて飲みに行って終電なんてとっくにない時間にベロベロで萩原と帰ってきたこともあった。


女がいる飲み会なら話は別だけど、男ばかりの飲み会のときは昔みたいに口うるさく言うことはなくなったと自分でも思う。


陣平は割とマメに連絡をくれてたし、大人になればそれなりに付き合いってものがあるのも分かるから。


今日だって先輩(男)と飲みに行くって連絡はくれたし、久しぶりだから盛り上がってるんだろう。そう思うのに、何故かモヤモヤとした何かが込み上げてくる。



何が?って聞かれら上手く言葉にできないけど、何となく気持ちが悪いしイライラする。


その真っ黒な何かはじわじわと私の頭の中を蝕んでいった。






携帯を人質に連れてこられたのは、先輩がよく行くというキャバクラだった。


入口でそれに気付き帰ろうとした俺の腕を掴んだ先輩に、ずるずると引き摺られてやって来た華やかな店内。むせ返るような香水と酒の匂いに一気に酔いが覚める。


こんなとこ来たってなまえにバレたら、絶対にヤバい。席に座ってからもどうにかして抜けることしか頭になくて。さすがに先輩の顔もあるし、金だけ置いて帰るわけにもいかない。それに携帯だって返してもらわなきゃ困る。


何度目か分からないため息をついた俺を見て、隣で酒を作っていた女が不思議そうに首を傾げた。



「松田さんはあんまりこういうお店来ないの?」
「来ねェな。てか俺はいいから先輩の方ついてやって」
「えぇー。あっちはあっちで盛り上がってるし、私は松田さんと話したいもん」


マドラーから手を離した女の手が俺の肩に触れる。近付いた距離に、香水の匂いが鼻を掠める。


長くてキラキラとしたネイルを施した細い指がするりと腕をなぞる感覚。それがどうにも居心地が悪い。


そういえばなまえも昔はこんな長い爪してたなぁ、なんて思い出すのはやっぱりあいつの顔で。



「・・・・・・俺やっぱ帰るわ」
「っ、」
「先輩!携帯返してもらっていいっすか?」


女の手をそっと払い、先輩に声をかける。


「マジで帰んのか?嫁さんそんなにヤバいわけ?」
「黙ってたらバレねぇって」


先輩達の言葉に同調する周りの女達。こいつらだってそれが仕事なのは分かってるけど、どうしてもこの空間にこれ以上いたくない。


その時、隣にいた女が俺のスーツの裾をそっと引いた。


「たまには息抜きも大事だよ?今だけは奥さんのこと忘れて楽しく飲もう?」


長い睫毛が大きな瞳にかかる。上目遣いで見上げるその表情は、きっと男なら誰だってくらっとくるんだろう。


真っ赤な唇がゆっくりと弧を描く。



「無理。嫁が怒るとかそういうのじゃなくて、俺が早く帰りてェだけだから。また居酒屋とかならいつでも付き合うっす」


女の手を振りほどくと、そのまま金を先輩に渡し携帯を受け取ると振り返ることなく店を出た。








「萩原が言ってた通りじゃん、松田の奴」
「嫁さんにベタ惚れってマジなんすね。いやぁ・・・あの松田がねぇ」
「あ、でも松田の嫁さん見たことあるか?相当美人らしいぞ」
「マジっすか?そりゃ早く帰りたくもなるか」







ガチャ、と玄関が開く音がしてはっと目が覚める。いつの間にか眠っていたみたいで、ゆっくりと薄目を開けると少し疲れた顔の陣平がリビングへと入ってきた。


ちらりと時計を見れば、もう少しで日付を跨ぐところ。


何となくいつもと様子の違う陣平が気になって、そのまま寝たフリを続ける。


私が寝ていると思っているんだろう。鞄を机に置き、スーツのジャケットをハンガーに掛けた陣平はそのままお風呂の方へと向かう。


いつも飲んで帰ってきて直ぐにお風呂に入るなんてないくせに。



・・・・・・やっぱり怪しい。


脱衣所のドアが閉まる音を確認すると、体をゆっくり起こしハンガーに掛けてあったスーツのジャケットを手に取る。


ジャケットからふわりと香るのは甘ったるい香水の匂い。


ハンガーを握っていた手にぐっと力が入る。飲み会で隣に女がいた?ううん、男だけで飲むって言ってたし多分陣平はそんな嘘はつかない。


それに同僚の女なら、ここまでキツい香水は使ってないはず。


男ばっかの飲み会。キツい香水の香り。行き着いたひとつの可能性に、ぷつんと自分の中で何かがキレた。







家に帰るとなまえはソファで眠っていて。クッションを抱きしめて眠る横顔を見た瞬間、さっきまでの時間をめちゃくちゃ後悔した。


すぐにでも触れたいって思ったけど、体に付き纏うキツい香水の匂いが気持ち悪くて。先に風呂に入るために、脱衣所へと向かった。


ネクタイを緩め、シャツを洗濯機に放り込む。ズボンのベルトに手をかけたその時、勢いよく脱衣所のドアが開いた。



「っ、なまえ?」
「・・・・・・どこで何してたわけ?」


怒りで真っ赤に染まった大きな瞳。つかつかと近付いてきたなまえは、ばんっと俺の胸を突き飛ばす。


あぁ、やべェ。完全にブチ切れてる、これ。


怒鳴るわけでもなく静かにキレるなまえ。悪いのはどう考えても俺だし、言い訳なんかするつもりは最初からなかった。



「・・・・・・っ、どうせキャバクラとか行ってたんでしょ?私より他の女の方がいいわけ・・・?」
「っ、」


ブチ切れて怒鳴ると思っていたなまえは、その場にぺたりと座り込むとその瞳からボロボロと涙を流し始めた。


怒るとは思っていたけど、泣くなんて思ってなかったから。



予想していなかった涙に、慌ててなまえの前に腰を下ろす。止まることなく頬を伝う大粒の涙。それを拭おうと手を伸ばすと、勢いよくその手を払われる。



「っ、触んな!!他の女触った手で私に触んないで!!」
「・・・・・・他の女なんか触ってねェよ。でも、ごめん」
「謝るくらいなら最初っからそんなとこ行ってんじゃねぇよ!!陣平の浮気者!!最低!!!ありえない!!」


涙を流しながら声を荒らげるなまえ。もちろん浮気なんてしたつもりはねェ。世間じゃキャバクラなんか浮気じゃねェって言うやつもいるけど、こいつが嫌だって思った時点でそれは許されることじゃないから。


何度も俺を叩くその手を掴むと、キッと刺すように鋭い視線が向けられる。



「離して!!浮気する男なんて無理!!実家帰る!!」
「無理。お前が実家帰ったら俺が寂しいンだけど、」
「はぁ?そんなの知らないし!そのキャバの女にでも相手してもらえば?どうせ化粧濃いだけのブスでしょ?」
「俺はお前じゃなきゃ無理。だから話聞いてくんねェ・・・?」


強引に腕を引き抱きしめると、なまえは拘束から逃れようとじたばたと激しく暴れる。


もちろん力で俺に勝てるはずもなくて、しばらくすると抵抗するのをやめた。でもいつもみたいに俺の背中に腕が回されることはなくて、それがたまらなく寂しいと思った。






付き合いでキャバクラに行くとか、きっとそういうことだってあるんだろう。


頭で分かっていても想像するだけで相手の女を殺したくなる。仕事だって分かっていても、陣平に触れるなんて許せるわけがない。


暴れることをやめた私の背中をゆっくりと撫でる陣平の大きな手。それが他の女に触れたって思うだけで吐き気がする。



「・・・・・・離してよ」
「嫌だ。マジでごめん。先輩に携帯とられてて連絡もできてなかった。キャバ連れてかれたけど、すぐ帰って・・・」
「っ、そんなの知らねぇよ!携帯なんか渡しとけば良かったじゃん!なんで店入るわけ?ねぇ!!」
「・・・・・・だよな。マジで悪かった。もう二度と行かねェから、こっち見てくれね?」


頑なに陣平の顔を見ようとしない私の頬に伸びた彼の手。壊れ物に触るみたいに優しく頬をなぞる。


分かってる。

こんなに怒ることじゃない。


きっとキャバに誘ったのが同期とかなら陣平は断ってくれてた。先輩だったから断りきれなかっただけ。すぐに店を出たってのも嘘じゃないと思う。



「・・・・・・ってやる、」
「何て?」
「私もホストクラブ行ってやる!!てか今から行く!!それでおあいこでしょ?」


そんなこと思ってもないくせに。


ていうか陣平以外の男が隣に座るなんて無理だし。

それでもどうにかしてこの怒りをどこかにぶつけたくて。



勢いよく立ち上がった私はそのまま脱衣所のドアに手をかける。


けれどすぐに私の体は陣平に後ろから抱きしめられた。




「・・・・・・悪ぃ、それは無理」
「っ、」
「自分勝手なこと言ってンのは分かってる。でもお前が他の男の隣にいんの想像したら、マジで無理なんだよ。そいつ殴り飛ばしたくなる」


私の肩に顔を埋めながらそう言う陣平の声が、いつもとは比べ物にならないくらい弱々しくて。私の中で煮えたぎっていた怒りが少しだけ落ち着いていく。


その弱々しさとは反対に、絶対離さないとばかりに強く私を抱きしめる彼の腕。



そっとその手に触れると、ぴくりと陣平の肩が跳ねる。



「・・・・・・・・・・連絡先とか交換したの・・・?」
「してねェ。携帯確認していいから」


即答した陣平は、ズボンのポケットから携帯を取り出し私の手に持たせた。


ゆっくりと振り返った私は、携帯を持っているのとは反対の手で拳を握り陣平の肩をとんっと軽く殴った。


もちろんそんな弱い力で彼がびくともするはずなくて。




「・・・・・・次行ったら絶対許さないから」
「二度と行かねェ。約束する」
「・・・・・・あと明日のデート、私が行きたいって言ってたピューロ付き合って」
「ん、分かった」
「カチューシャもつけて一緒に写真撮ってね?」
「・・・・・・ぜってぇそれ萩に見せンなよ」


ジト目で睨みながらそう言うと、少しの沈黙のあと眉を寄せながら陣平は頷いてくれる。



「なまえ」
「なに?」
「泣かせてごめん。マジで悪かった」


陣平の手が私の後頭部に回され、そのまま胸元へと引き寄せられる。


触れる素肌の感触。髪の毛からはまだ少しだけあの香水の匂いがして。


唇が重なりそうになって、思わずそれを手で制す。ゆらり、と不安げに陣平の瞳が揺れる。



「先お風呂入ってきて。その匂い胸糞悪いから」
「・・・・・・風呂出たら触ってもい?」
「ん、待ってる」


いつもと逆みたいなやり取り。私の言葉に陣平がほっとしたように笑うから。


めちゃくちゃムカつくけど、やっぱり大好きだなって思うんだよ。



Fin



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