▽ 1-2
結局、交代で風呂に入った俺達。髪を乾かし終わってリビングに戻ってきたなまえは、お茶の入ったコップを片手に隣に腰かける。
肩が触れる距離。なまえの体から香るのは、さっきまではしなかった甘いバニラみたいな匂い。
コップを机に置いたなまえの首筋に顔を近付ける。
「甘ったるい匂いだな、これ」
「いい匂いでしょ♪ 今の時期限定なんだよ?」
さっきまでのしょぼくれた犬みたいな表情が嘘みたいに、なまえは自分の腕の匂いを嗅ぎながら楽しげに笑う。
やっぱりお前はそんな風に笑ってる方がいい。
そんなことを思いながら、その腕を引くとぐらりと俺の方へと傾く体。とんっと胸の中にすっぽりと収まったなまえは、少し力を入れれば壊れてしまいそうで。
軽くその肩を押し、ソファへと押し倒すとなまえの顔が赤く染まる。
「っ、ベッドがいい、!」
「何で?俺は今ここがいい」
大きな瞳が左右に揺れる。左手で寝室の方を指差しながら紡がれた言葉をぴしゃりと遮ると、なまえの眉がぐっと形を歪める。
寝室に行けばまたお前は電気消してって言うに決まってるから。
付き合いたての頃の恥ずかしいからって理由なら素直にそれも聞いた。でも今は違う。また余計なこと1人で頭ん中でごちゃごちゃ考えてる。手に取るみたいそれが伝わってくる。
「っ、じんぺ・・・」
名前を呼ぶその声も、俺の腕を掴む震える手も、潤んだ大きな瞳も、その何もかもが俺にとっては大切で。
なまえが着ていたTシャツの裾から手を滑り込ませ、するりとその肌を撫でる。脇腹に残る傷跡。白い肌にその傷は目立つとまではいかないけど、綺麗に消えてなくなってはくれない。
ゆっくりと指でその傷をなぞると、なまえの腕に力が入る。
「まだ痛むか?」
「・・・痛くは、ないよ」
「なら良かった。痛くねェならこんな傷なんてもう忘れろ」
一生残るかもしれない傷跡。
守ってやれなかったことへの後悔が、この傷を見る度に込み上げてくる。けどそれは俺が背負うべきもので、お前が気にすることじゃないから。
「どうせ傷のせいで俺に嫌われるとかアホなこと考えてンだろ、お前」
「っ、」
「バーカ。こんな傷のひとつやふたつで、変わんねェから安心しろ」
図星とばかりにぱっと目を見開いたなまえ。いつもなら俺の言葉を素直に受け入れるはずなのに、まだ何か言いたげにその瞳は不安げで。
まだ何かあるのか?
傷に触れていた手をなまえの頬に伸ばす。そしてそのままその頬を軽く摘んだ。
「まだ何か考えてんだろ、ちゃんと言え」
「・・・・・・っ、」
「頼む。嫌なんだよ、お前がそんな変な顔してんのは」
バカみたいに明るい顔で笑っていて欲しい。
その笑顔に俺はいつも助けられてるから。
*
やっぱり傷跡を見た陣平は、まるで自分の体を傷付けれたみたいに辛そうな顔をする。
「どうせ傷のせいで俺に嫌われるとかアホなこと考えてンだろ、お前」
「っ、」
「バーカ。こんな傷のひとつやふたつで、変わんねェから安心しろ」
それは嬉しすぎる言葉。でも半分正解で半分不正解。昔とは違って陣平の気持ちは痛いくらいに伝わってるから。
「まだ何か考えてんだろ、ちゃんと言え」
「・・・・・・っ、」
「頼む。嫌なんだよ、お前がそんな変な顔してんのは」
察するなんて苦手なくせに。素直に気持ちを言葉になんて普段はしないくせに。真剣な顔で私を見つめる瞳から視線が逸らせない。
「・・・・・・傷のせいで嫌われるんじゃないかって怖かった、半分はそれが理由」
「残りの半分は?」
「陣平が・・・、」
「俺が、何?」
頬を摘んでいた手は離れ、ゆっくりと私の手に絡む。繋いだ手をぎゅっと握る。
「自分が怪我したみたいに辛そうな顔するから・・・っ、陣平は何も悪くないのに、あの時のこと後悔してるのが分かるから嫌だったの。私が言うこと聞かなかっただけなのに、そのせいで陣平が辛い思いしてるなんて無理だから・・・っ・・・、だから見せたくなかった、思い出して欲しくないもん」
早口で言葉を詰まらせながら紡いだ言葉は私の本音。陣平はその言葉が予想外だったのか、何も言わずじっと固まったまま。
そして何も言わず、私の体を引き起こすと強く抱き締めた。
「・・・・・ホントお前って何でいつもそうなワケ?」
「っ、」
「俺のことなんかいいんだよ、バカ」
肩に頭を預けたまま、ため息混じりにそう言った陣平。呆れたみたいな物言いとは裏腹に、背中に回された腕は力強く私を抱き寄せたまま離そうとはしない。
何でってそんなの決まってるじゃん。
「陣平が1番大事だもん。いつも笑ってて欲しいし、辛そうな顔なんてして欲しくないから」
ずっとずっと、昔から私の中でそれは揺るがないものだから。
「・・・・・・ンなの俺も一緒なんだよ。お前が怪我するくらいなら、俺が怪我する方がマシだって思う。なまえにはいつもバカみたいな顔で笑ってて欲しいから」
「っ、バカみたいな顔ってひど・・・!てか陣平が怪我するとか無理!陣平のこと刺した奴がいたら、私が絶対やり返すもん!」
「はぁ、そんなことさせるわけねェだろ」
多分陣平に何かあったら私はその犯人を許さないし、大袈裟なんかじゃなくて同じ目に合わしてやるって本気で思ってる。
ぱっと顔を上げてそう言った私の額を軽く小突くと、陣平はそのまままつ毛が触れそうなほど距離を詰める。
「お前が俺の事を1番に考えるのと同じで、俺にとっての1番はお前だから」
触れるだけの口付け。心臓の音が早くなる。
同じ気持ち
私にとってそれは最上級の愛の言葉だから。
ガバッと感情のままに抱きつけば、小さく笑いながら私を受け止めてくれる大好きな人。
「〜〜っ、大好き!!」
「ん。いつもそうやって笑ってろ」
ふっと口元に笑みを浮かべた陣平が、くしゃりと私の頭を撫でる。私にとって何より大切な人。彼にとって自分がそんな存在になれる、奇跡みたいな現実。
それがいつまでも、壊れることなんてないように。
────────────────
「あ、でもこの傷が嫌な理由もうひとつあった」
ベッドの中。俺の胸に顔を擦り寄せなながら、何かを思い出したみたいにぽつりと呟くなまえ。
触れる素肌の心地良さに浸っていたけれど、その言葉に現実に意識が引き戻される。
視線だけで言葉の続きを促せば、なまえは続けて口を開いた。
「せっかく夏なのにお腹出せないのはヤダ。そんなに目立つ傷じゃないし、そろそろへそ出し着てもいけるかな?」
うーんと真剣に考え込むなまえは、俺の眉間に皺が寄ったことには気付いていない。
そのままぐるりと押し倒すみたいに組み敷くと、なまえはきょとんとした顔で俺を見上げる。
「陣平?」
「あの傷跡、俺以外に見せるのナシな」
「えぇ、丈短いトップス着たら見えるもん!無理!」
「俺も無理。前から言おうと思ってたけど、お前夏になると肌見せすぎなんだよ、いつも」
「あれー?陣平ちゃんヤキモチ?」
揶揄うみたいに萩の口調を真似てニヤりと笑うなまえ。
その表情がムカついて、露わになっていた鎖骨に軽く歯を立てる。
「〜〜っ、」
「だったら悪ぃかよ。てか萩の喋り方真似すんな、微妙に似ててムカつく」
Fin
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