▽ 1-1
※ 捧げ物 眠る君への言葉 の続きのお話になります。未読の方はご注意ください。
目を覚ましたなまえは、事件のトラウマなんてものを少しも感じさせることなくいつも通り騒がしくて以前と変わらない日々を送っていた。
ただ、ひとつを除いて。
「なまえ」
晩飯を食い終わり、ベッドに入るまでの数時間。いつもみたいにソファに座る俺の肩にもたれながら携帯を触っていたなまえに声をかければ、画面から顔を上げ俺を見る。
すぐに携帯をソファに置くと、「なに?」となまえは体勢を変える。向き合うような姿勢になったなまえの腰に腕を回す。
「そろそろ風呂入んねェ?」
「あ、うん!もうお湯貯まってるよ!」
んなこと知ってる。ついさっきお風呂が沸きましたって軽快なメロディが響いていたから。
「陣平疲れてるし先入ってきていいよ!」
「お前は入んねェの?」
「っ、あ、後で入る!この前香織から貰ったスクラブ試したいし!」
なまえは視線を僅かに逸らせると、思いついた最もらしい理由を口にする。
今日はそれが理由で、この前はゆっくり湯船に浸かりたいからだったっけ。その前は今流れてるテレビを見たいからだ。その時流れていたのは、こいつが1ミリも興味がないクイズ番組で。
ホント、分かりやすい奴。
俺の顔色を伺うみたいな視線。垂れ下がった耳としっぽまで見えてきそうなくらい分かりやすいその表情。そのくせこいつの中では隠してるつもりなんだから、どうしたものか。
*
「別に一緒に入ってもそれ使えるくね?」
いつもなら引いてくれるのに、今日の陣平はなかなか素直にお風呂に向かってくれない。
どうしよう。素直に言う?いや、それはヤダ。
「女の子としてそういうとこは見られなくないの!だからほら、ね!」
腰に回されていた腕から抜け出し、陣平の肩をぐいっと押す。少しの沈黙の後、立ち上がった陣平は「分かったよ」と私の頭をぽんっと撫で脱衣所の方へと向かった。
1人きりになったリビング。ソファの上にあったクッションに顔を埋めため息をつく。
本当は一緒にお風呂だって入りたい。少しの時間も離れていたくないから、一緒にいれる時間はその全部を陣平の傍にいたい。
でも・・・・、
クッションから顔を上げ、左手で部屋着のTシャツの裾を捲る。ショートパンツのウエストの部分を少し下にずらすと、そこには薄らと残るあの事件の傷跡。
手のひらに収まるくらいの数センチの傷。それでも白い肌にその傷は目立つから。
「・・・・・・見られたくないよなぁ・・・、やっぱり」
陣平の前では完璧な可愛い女の子でいたい。一緒に暮らし始めてからもその気持ちは変わらなくて、私なりにずっと努力してきた。だからこそ自分に自信だってあった。
けどこの傷は私の完璧を崩すから。
それに理由はもうひとつ。
この傷ができてから、初めて身体を重ねたあの時。いつもそういうときの私は余裕なんてなくて、周りが見えなくなる。目の前の陣平しか見えなくて、頭の中がぐずぐずに溶けてしまうような感覚。
部屋の明かりはついたままだった。
だからこそ陣平がはっきりと私の傷を見たことが分かった。
眉間に皺を寄せて、顔を歪めた陣平の顔は今でも忘れられない。蕩けた脳みそが冷水を浴びせられたみたいに一気に冷静になった。
傷跡を見て萎えた?綺麗じゃない私なんていらない?そんなことを口走りそうになった自分に、もう1人の自分が頭の中でストップをかける。
陣平はそんな人じゃない、って。
私だってそんなことは分かっていた。
彼が顔を歪めたのは、私を守れなかったことへの後悔だ。そういう人だって一緒に過ごしてきた短くはない時間の中で知っていたから。
私のせいでそんな辛そうな顔をする陣平を見たくなくて。この世で何より、その笑顔が曇ることが怖いから。陣平だけには、ずっとずっと笑ってて欲しい。自分のせいでその笑顔を曇らせた。その事実は私の心を深く抉った。
あの日からずっと、身体を重ねる時は必ず電気を消してもらうようになった。真っ暗なお風呂に入るわけにもいかないから、一緒にお風呂に入るのは避けるようになった。夏になったというのに、元々好きだったお腹周りの開いた服は着るのをやめた。
全部、全部、この傷を陣平の目に触れさせたくないから。
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