▽ 1-2
最近萩原の様子がおかしい。
笑っているのにたまに心ここに在らずのような感じで、ぼーっと窓の外を見つめることが増えた。
彼がそんな風になる原因なんてきっと一つしか考えられなくて。
窓の外、彼の視線の先にはクラスメイトと話すみょうじさんの姿があった。
「最近何かあったの?」
気が付くと私は隣で今日も窓の外を眺める萩原にそう尋ねていた。
「・・・・・・?」
「元気ないから」
こてんと不思議そうに首を傾げた彼にそう言うと、ケラケラと笑う声が響いた。
「ははっ、俺そんなに分かりやすい?」
「それだけ毎日窓の外見てぼーっとしてれば誰でも気付くでしょ」
「陣平ちゃんにも言われたよ」
私でも気付くのだ。幼馴染みの松田が気付かないわけないだろう。
「うちの素直じゃない幼馴染みちゃんが最近ちょっと色々、ね」
「みょうじさん?」
彼女の名前を出すと、眉を下げながら小さく笑う萩原。こんな彼の顔を見るのは初めてだった。
「あいつさ、変なとこ意地っ張りなんだよ。素直に頼ってくれりゃいいのに」
「・・・・・・」
「難しいよな、ホント」
それは私に話しているようで、独り言のような響きを伴っていた。
「・・・・・・ホントあの子のことになると萩原は過保護だね」
そう言った瞬間、嫌味っぽい言い方をしたと後悔した。
けれど萩原は気にするような素振りも見せず、ゆるゆると笑顔を作るだけ。
「陣平ちゃんにもよく言われるけどさ、過保護って駄目なのかな?」
「・・・・・・、時と場合によるんじゃない?」
「過保護ってかただ大事なだけなんだけどなぁ」
羨ましい、そう思わずにはいられなかった。
萩原にそんな風に想ってもらえることが。・・・・・・いや、誰かにそんな風に想ってもらえることが。
「付き合ってるの?みょうじさんと」
気が付くと口をついてでた言葉に自分でも少しだけ驚いた。そんなことを聞いてどうするんだろう。
「皆それ聞くよな」
「それだけ仲良かったら、ね」
「幼馴染みだよ。陣平ちゃんもなまえも、俺にとっては大事な幼馴染み」
それはまるで言い聞かせるような響きを伴っているかのように聞こえたのは、私の気の所為なんだろうか。
*
月日が流れるのはあっという間。高校三年間なんて、長い人生で考えればほんの一瞬だろう。
ひらひらと校庭の地面に降る桜の花びら。今日は私達の卒業式だ。
三年に上がった私は、萩原とクラスが離れた。
もちろん廊下で会えば彼は話しかけてくれる。でもそれ以上何かがあることはなかった。
通い慣れた通学路。友人と別れ、とぼとぼと感慨深いものを感じながら歩いていると少し前に見知った人影を見つける。
「卒業おめでとう!学ランのボタン全部なくなったの?」
「なんか皆に欲しいって言われてあげてたら、袖のボタンまでなくなっちゃった」
「・・・・・・ここまでくるとすげぇな」
萩原、松田、それにみょうじさん。
“幼馴染み”の三人は、今日も一緒だった。
ケラケラと楽しげに笑い合う三人。そこには他の誰も入ることの出来ない、独特な空気。
気付かれたくなくて、少し三人から離れた場所を歩く。
それでも視線を逸らすことはできなくて。
私にはそれが眩しくてたまらなかった。
結局高校三年間で、私が萩原に気持ちを伝えるなんてことはなくて。最初から最後までクラスメイトだった私達。
きっとあと数年もすれば、私の事なんて彼は忘れるんだろう。
*
久しぶりに帰省した地元。大学を卒業して社会人になると、なかなか地元に帰る機会もなくて気が付くと思ったよりも時間が流れていた。
オレンジ色の夕日に照らされた懐かしい道を歩く。
「あれ?……!」
隣で信号待ちをしていた車の窓が開き、不意に名前を呼ばれる。
高校の頃より少し伸びた髪、大人びた表情、あの頃とは違う萩原がそこにいた。
「やっぱり……だ!似てるなぁって思ったんだよ」
「ホント久しぶりだね」
「だな。髪の毛伸びた?」
路肩に車を停めて車を降りてくれる彼。他愛もない話をしているとそんなことを言いながら笑う。
彼の記憶の中に私がいたことが少しだけ嬉しくて、心臓の音が早くなる。
昔より伸びた背が彼が大人になったことを教えてくれる。
数年ぶりだということも感じさせずに、こんな風に話しかけてくれる優しい人。きっとこれが私じゃなくても彼は変わらないだろう。
そう思うと少しだけ切なくて、考えないふりをした。
「松田は?元気にしてるの?」
切っても切り離せない彼の親友。
きっと彼らは今でも一緒にいるんだろう。
いつも一緒にいた彼らが離れるなんて想像できないから。
「陣平ちゃんも元気にしてるよ。違う部署だけど、俺達二人とも警察官なんだ」
「警察官・・・」
「そうそう。陣平ちゃんは相変わらず問題児だけどな」
松田のことを思い出しているのか、ケラケラと楽しげに笑う萩原。
目の前の彼は昔からそうだった。
松田のことを話す時、彼は本当に楽しそうに笑うのだ。唯一の親友だと。いつかの萩原が言っていたことを思い出し懐かしい気持ちになる。
自然と頭に浮かぶのは、彼らのもう一人の幼馴染みの存在。
彼女はまだ彼らの傍にいるんだろうか。
その時、不意に見えた萩原の車の中。
助手席に置かれた彼が使うには可愛すぎる淡い水色のブランケット。後部座席にあるキャラクターもののティッシュボックスケース。
それはこの車に残る女の子の跡。
私が口を開こうとするのと、ほぼ同時。萩原の携帯が鳴る。
「あ、悪い。ちょっとごめんな」
小さく頭を下げると、携帯の通話ボタンを押す彼。
画面を見たその一瞬、柔らかく下がった目尻。その表情で電話の相手を察した自分が嫌になった。
「なまえ?うん、今帰ってるとこ。もうちょっとで着くから」
聞こえてきた名前に、やっぱり。と納得する。
彼らが離れるなんて有り得ないこと。
「まじ?腹減ってたから助かる!サンキュ」
短い会話から分かる二人の距離。
恋、なんて呼ぶには淡いもの。別に私は彼とどうにかなりたかったわけじゃない。クラスメイト、あわよくば友人。それくらいの距離でよかったのだ。
「しばらくこっちいるの?」
「ううん、明後日には帰るよ」
「そっか。また皆で会えたらいいな」
手に持っていた携帯をポケットに入れた萩原が言う。社交辞令なのか、本音なのか。“皆で”という言葉だけが頭の中に残った。
「・・・・・・みょうじさんと付き合ってるの?」
「え?」
「さっきの電話、少し聞こえちゃって」
何でこんなこと聞いてるんだろ、私。
いつかの萩原に聞いたのと同じ言葉。あの日の違って、答えを聞くのが少しだけ怖かった。
「あぁ、二年くらい前から付き合ってるよ」
「っ、そっか」
懐かしむように笑う萩原の表情が、今まで見た中で一番優しくて。きっとそれはみょうじさんにだけ向けられるもの。
今も昔も、彼にこんな風に愛されるみょうじさん。
「・・・・・・いいな、そういうの」
「ん?」
「昔からみょうじさんのこと話す時の萩原って優しい顔してるよね。そんな風に想ってもらえるって幸せそうだなって羨ましくなっただけ」
さらりとでた言葉は本音だった。
嫉妬でも、嫌味でもなく、心からそう思った。
「っ、まじ?俺そんなに顔に出てた?」
少しだけ赤くなった萩原が、右手で口元を隠す。
初めて見るその表情に、くすりと笑みがこぼれた。
「うん。デレデレしてる、今も昔も」
「ははっ、デレデレって何だそれ」
「顔が緩んでるもん、今も。待ってるんでしょ?みょうじさん。早く帰ってあげなよ」
「おう、……も気をつけて帰れよ」
ひらひらと手を振りながら車に乗り込む萩原。エンジンをかけると、そのまま運転席の窓が開く。
「じゃあまたな!」
また、なんてあるんだろうか。
そんなことを思う。最後かもしれないと思うと、彼に聞きたいことが一つだけあった。
「ねぇ、萩原」
「ん?どした?」
早く帰りたいだろうに、律儀に私の言葉を待ってくれる彼はやっぱり優しい。
「みょうじさんのどこが好きなの?」
たしかに綺麗な子だと思う。
昔から目立つ子だった。大人びていて凛としている彼女は、どこか話しかけにくい雰囲気だった。だけど萩原や松田といるときの彼女は年相応に見えて、女の私から見ても可愛いと思った。
ただ幼馴染みとして長く一緒にいただけ。
それだけで彼女は目の前の彼の特別になったんだろうか。
何故かそれが気になったのだ。
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