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小さな違和感を覚えたのは、吐く息が白くなり街中がイルミネーションに彩られるようになった頃だった。
「ヒロくん!ごめん、今日友達と帰るから一緒に帰れなくなったの」
とある日の昼休み。
零と三人で話していると、申し訳なさそうに眉を下げながらそう言うなまえ。
「そっか。分かったよ」
「ごめんね」
くしゃりとその頭を撫でてやると、ふにゃりと緩むなまえの表情。可愛いな、なんてオレも自然と目尻が下がる。
最近のなまえはこうしてオレや零と一緒に帰るのを断ることが増えた。
最初は友達との時間を優先しているんだと思っていたけれど、こうも立て続けに断られると色々と疑問も浮かぶもの。
「変な顔になってるぞ」
昼休みが終わり、教室でそんなことを考えていると隣の席の零がこちらに視線を向けそう言った。
「ははっ、変な顔って何だよ、それ」
我ながら子供じみたことを考えていることを見透かされるのが恥ずかしくて、笑って誤魔化すけれど彼にそれが通じるはずもなかった。
「何かあったのか?」
「・・・・・・なまえだよ」
「なまえ?あいつがどうかしたのか?」
「最近オレ達と帰るのよく断るだろ。友達と帰るって言ってるけど、あいつそんなに仲良い奴いたかなって思ってさ」
昔と違って当たり障り無い程度には人付き合いをするようになったなまえ。クラスメイトともそれなりに上手くやってはいるんだろう。
けれどオレにべったりだったあいつが、クラスメイトを優先させるなんて今までにはなかったことで。
「ふっ、あいつが景より友達優先なんて有り得ないってことか」
「別にそういうわけじゃないよ」
まるでそれは子供みたいな嫉妬。
ずっとオレだけだったはずなのに、手が離れたことを寂しく思っている自分がいた。
零はそんなオレを見て可笑しそうに小さく笑う。
「高校生なんてそんなもんだろ。女同士で話すこともあるんじゃないのか?」
「まぁそうだよな」
零の言うことも一理ある。
オレだけだったなまえの世界が広がることは嬉しい。けど同じくらい寂しくもある。
そんな我儘な感情をどうにか抑え、午後からの授業に向かった。
*
放課後。
零と並び歩きながら校門へと向かっていると、少し前になまえのクラスメイトの姿を見つける。
彼女達はなまえがよく一緒にいる子達だ。
けれどその近くになまえの姿はない。
「あ!諸伏先輩!」
「あれ?今日はなまえと一緒じゃないんですか?」
そんなオレに気付いた彼女達が声をかけてくる。
彼女達の言葉に隣にいた零がぴくりと眉を上げる。
「なまえと一緒じゃないのか?」
オレの頭に浮かんだ疑問を口にしたのは零だった。
「最近あの子すぐ帰っちゃうんですよ。だからてっきり諸伏先輩達と一緒に帰ってると思ってたんですけど」
「今日もホームルーム終わったら教室飛び出してったもんね」
彼女達が嘘をついているようには見えなくて。
あれこれと頭に浮かぶ疑問。それをここでぶつけるわけにもいかないので、適当に話を切り上げ彼女達と別れる。
「なんで嘘ついてんだ?なまえの奴」
零が口にしたのは当たり前の疑問。
“嘘”
その言葉がどっしりと心に重くのしかかる。
今までなまえがオレに隠し事をしたり嘘をついたりなんてなかったことだから。
「・・・・・・い。おい、景。大丈夫か?」
「っ、悪い。なんて言った?」
心ここに在らずだったオレの顔を覗き込む零。零の話が頭に入ってきていなかったオレは、慌てて顔を上げた。
「まぁなんか理由があるんだろ。ちゃんと話せよ」
「・・・・・・あぁ、分かってる」
気が付くと零の家の前。ぽんっとオレの肩を叩くと、零は家へと入っていく。
その隣にはなまえの家。
彼女の部屋を見上げるけれど、カーテンは閉まったままで人の気配はない。
頭に浮かぶのは、「ヒロくん」と笑うなまえの顔。あいつが嘘をつくはずがない。オレに隠し事なんてするはずがない。
そう思っているはずなのに、胸の中のモヤモヤは消えてはくれなかった。
*
「ごめん!ヒロくん。今日も一緒に帰れないの」
翌日も同じように申し訳なさそうにそう言ったなまえ。委員会の用事で零はいなくて、二人きりの中庭で一瞬の沈黙がオレ達を包む。
「・・・・・・今日もクラスの子達と帰るの?」
「うん。皆で買い物して帰ることになってて」
「そっか。あんまり遅くならないようにな」
結局、真実に触れることが怖くて本当のことを尋ねることはできなかった。
なまえがオレに嘘をつく理由が分からなくて。
“浮気”なんて馬鹿げたことが頭に一瞬過ぎったけれど、隣で楽しげに笑うなまえがそんなことをするなんて思えなかった。
*
「そんなに気になるなら、本人に聞けばいいじゃないか」
「・・・・・・はぁ、そんな簡単にはいかないだろ」
机に項垂れるオレを見て、零はなんて事ないようにそう言った。
白黒はっきりさせるタイプの零ならきっと本人にさっさと事実を確認するんだろう。
けれど色々考えてしまうオレには、どうしてもそれはできなくて。
「なまえがオレに隠し事するなんて初めてのことなんだよ」
ヒロくん、ヒロくんと昔からオレの後ろを着いてきていたなまえ。付き合ってからも、なまえはオレに全力で気持ちを伝えてくれてたから。
こんな風に不安になるなんて、今までなかったんだ。
*
そしてまたその三日後。
同じように一緒に帰れないと言ってきたなまえ。
「分かったよ」と言ったオレを見て、隣にいた零が小さくため息をついた。
放課後、帰ろうと鞄を持って立ち上がったオレの腕を零が引いた。
「どうしたんだよ」
「いいから行くぞ」
やって来たのはなまえの教室。扉から見えない階段の影に隠れる。
「おい、一体何を・・・」
「気になるんだろ?だったら行くぞ」
教室から出てきたなまえ。ぱたぱたと駆け足で下駄箱に向かうその姿を追いかけようとする零。
オレは慌ててその腕を掴んだ。
「っ、おい。そんな後をつけるみたいなこと・・・」
「いいから来いよ。ほら!」
逆に掴んでいた腕を引かれ、そのままなまえの後をつけることになるオレ達。
一人学校を出たなまえは、繁華街の方へと向かう。
こそこそと隠れながらその背中を追いかける。罪悪感と、真実を知りたいという探究心。そして少しの不安。
すっかり日が暮れた街中は、イルミネーションがキラキラと輝いていた。
「・・・・・ケーキ屋?」
なまえが入っていたのは、繁華街の中にあるケーキ屋だった。
ちょうど死角になっているベンチに零と二人で座り、そのケーキ屋を見る。
そしてしばらくすると、なまえがそのケーキ屋から出てくる。
「・・・っ、」
「そういうことか」
言葉に詰まったオレと、納得したように呟いた零。
ケーキ屋から出てきたなまえは、先程までの制服姿とは違い真っ赤なサンタクロースの衣装を身にまとっていた。
そしてその手にはチラシのような物を抱えていて、道行く人にそれを配っていく。
「バイト、みたいだな。あれは」
「・・・・・・」
「もうすぐクリスマスだし、なまえのことだから景に何か買おうとか考えてるんじゃないのか?だったら黙ってたのも納得だ」
真実を知って納得した零は、そう言いながら立ち上がった。
少しでも疑った自分が情けなくて。不安に思ったことすら恥ずかしく思えた。
「オレは帰るけど、景は?」
「・・・・・・もう少しここにいるよ。付き合ってくれてありがとう」
「寒いから風邪ひくなよ」
零はそう言うとひらひらと手を振りながらその場を立ち去る。
オレは近くにあった自販機で缶コーヒーを買うと、そのままケーキ屋の前でチラシを配るなまえを見つめた。
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