▽ 1-1
あの時、違う選択をしていたら。
もしも別の行動ができていれば。
そんなたられば≠考えても仕方ない。
結果は変わらない。
進んだ時計の針は、決して巻き戻ってはくれないのだから。
乗り越えた。
そう思っても人間は弱い生き物だから。
過去があるから今の自分がいる。
分かっていても、ふとした瞬間にもしも≠考えてしまうんだ。
*
一人きりの部屋。
なまえの家に帰ることが多かったから、こうして自分の家に帰ってくるのは久しぶりに思えた。
必要最低限のものしかないこの部屋は、温かくて柔らかい空気に包まれたなまえの部屋とは大違いだ。
部屋着に着替え、ベッドに背中を預け座ると視界に入ったのは部屋の隅に置かれたギター。
静まり返った部屋、不意に意識が過去に囚われる。
一人≠ネんてもう随分前に慣れたはずなのに、久しぶりに感じるこの孤独感。
感傷的な気分に拍車をかけるように、開いたパソコンに表示されたのは懐かしい写真。
・・・・・・あまりにも失くしたものが多い。
もっと俺に力があれば・・・・・・、なんて何度後悔したか。
そこまで考えて小さく頭を振る。
いや、違う。
立ち止まるな。失くしたものじゃない、今あるものを考えるんだ。
手を伸ばしたのはベッドの上に置いていた携帯。
繰り返される無機質なコール音が、漠然とした不安を煽る。
『もしもし?』
「・・・・・・、」
『あれ?聞こえてないのかな。零くん?』
プツリ、と途切れたコール音。
電話越しに聞こえる声に、隠していたはずの弱さが顔を覗かせる。
「悪い、仕事中だったか?」
『ううん、今終わってバイトの子達とご飯食べに来たとこ。昨日話してた飲み会だよ』
「あぁ、そういえばそうだったな。邪魔してごめん」
そういえばそんな話をしていたな。
普段なら忘れるはずのないなまえとの会話。
らしくない、自分でもそう思った。
『大丈夫だよ。何かあったの?』
「いや、ただ早めに帰ってこれたから電話しただけだよ」
『今日は零くんの家の方に帰ってるんだっけ?』
「あぁ。明日の朝早くに風見がこっちに来るから」
『そっか。いつもお疲れ様』
「なまえもお疲れ。飲み会、楽しんで来て」
電話の向こうで、なまえの名前を呼ぶ声がして話を切りあげた。その声を聞いたせいで、一人を色濃く感じてしまうなんて我ながらなまえに甘えすぎだろ。
立ち上がった俺は、キッチンに置いてあった酒に手を伸ばす。
BOURBON
そう書かれたボトルを手に取り、近くにあったロックグラスに適当にアイスを入れて元いた場所に腰かけた。
1口それを飲めば広がるのは、熟した果実の香りとふんわりとしたオーク樽の香り。
今夜は悪酔いしそうだと、頭のどこかで思いながらも酒を飲む手は止まってくれなかった。
*
夢を見た。
またあの夢だ。
大切な人の顔が浮かんでは、血塗られて消えていく。
最後に浮かんだのはなまえの顔だった。
駄目だ、やめろ。
なまえはそっち側≠ノは行かせない。
そう思うのに、徐々に暗くなっていく足元。
彼女の周りが赤く血塗られていく。
やめろ・・・・・・、頼むからやめてくれ。
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・・・・・・
・・・
「・・・・・・なまえ!」
ふっと浮上した意識。一人きりの部屋に響いた自分の声にはっとする。
「っ、びっくりした・・・!大丈夫?」
返ってくることがないと思っていた呼び掛けに、思わぬ返事があり声のした方へ視線を向けた。
「なまえ・・・?」
「ん?」
「こっちに帰ってきてたのか」
時計を見ると、彼女に電話をしてからまだ一時間も経っていない。飲み会が終わるには早すぎる。
冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出したなまえは、そのまま隣に腰かけた。
「うん。ただいま」
「・・・・・飲み会、まだ途中じゃないのか?」
キャップを開けて渡されたミネラルウォーターを飲みながら尋ねると、なまえは眉を下げて小さく笑った。
「零くんの声聞いたら会いたくなったから帰ってきちゃった。・・・・・・それに、」
「それに?」
「何か零くんの声がいつもと少し違う気がしたの。私の気にしすぎだったらいいんだけど、なんか元気ないのかなーって心配になって」
「っ、」
何で、
何でお前はいつも・・・・・・、
気が付くと、隣にいたなまえの腕を引いていた。
すっぽりと腕の中に収まる小さな身体。
なまえは何も言わず背中に腕を回し、そっと右手で俺の頭を撫でた。
「・・・・・・嫌な夢でも見た?」
「・・・・・・っ、」
「大丈夫。それは夢≠セから。零くんは一人じゃないよ」
ゆっくりと小さな手が髪を梳く。
その感触がどこまでも優しくて、安心感を与えてくれる。
「零くんの傍にずっといるから」
心を蝕んでいた孤独。酒で紛らわせようとしたけれど、一人きりの部屋でそれは増すばかりだった。
それがなまえの言葉一つで晴れていくような気がした。
なまえは何も聞かない。
それでも全てを理解して、受け止めてくれるから。
「・・・・・・好きだ」
「ふふっ、私も大好き」
この温もりだけは、誰にも奪わせない。
この手で必ず守ると、そう誓った。
────────────────
ガチャ、と玄関が開く音で目が覚めた。
覚醒仕切らない頭。ぼんやりと眠たい目を擦りながら、顔を上げると至近距離に零くんの顔があった。
私の方が先に起きるなんて珍しい。
彼にしては珍しく昨日は酔っていたみたいだし、疲れもあるんだろう。
長い睫毛が伏せた目にかかる。腰に回された腕の温もりと重なる素肌の心地良さに自然と目尻が下がった。
ゆったりとした朝の時間がたまらなく愛おしい。
・・・・・・・・・ん?
待って。
玄関で扉が開く音したよね・・・・・・?
『明日の朝早くに風見がこっちに来るから』思い出すのは、昨日の電話での零くんの言葉。
?!?!?!?!?!?!!!!
一気に覚醒した頭。ばっと顔を上げると、リビングで硬直した風見さんと目が合った。
「っ、?!」
「みょうじさん?!・・・っ、すいません!!!」
「いや、それは私の台詞で・・・」
目を見開いて固まる彼に頭を下げようとしたその時、勢いよく視線を逸らした風見さん。
「っ、みょうじさん!!・・・っ・・・服を・・・!!!」
「?!?!」
声にならない叫びとはまさにこの事。
慌てて布団に潜り込んだ私。一連のドタバタで目を覚ました零くんが、ゆっくりと目を開けた。一瞬で状況を把握したであろう零くん。
「・・・・・・風見」
「っ、すいません!!!何も見ていません!!」
どう考えても悪いのは私なのに、真っ青な顔で零くんに謝る風見さんに心の底から申し訳ない気持ちになった。
Fin
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