▽ 1-3
嫌いになんてなるわけがない。なれるわけがない。
なまえがいない世界なんて想像すらしたくもない。
「嫌な夢でも見たのか?」
その胸に巣食う不安に心当たりはなくて。唯一の心当たりは降り続けるこの雨と、なまえがさっきまで夢の中にいたということ。
少しの沈黙の後、なまえはぽつりぽつりと話し始めた。
「・・・・・・夢を・・・、見たの。昔よく見た夢・・・」
母親、昔の恋人。
それに今回は俺。
大切だった人が自分から離れていく。
乗り越えたと思っていても、この雨は彼女の中に深く残る傷を疼かせる。
というか、夢の中でも泣かせるなよ。なんて夢に出てきたという自分に無茶なことすら言いたくなる。
「・・・・・・それで起きたら零くんいなかったから・・・、夢と現実がぐちゃぐちゃになって・・・」
「風見と電話してたんだ。起こしたら悪いと思ってリビングで話してた。一人にしてごめんな?」
「っ、零くんが謝ることじゃないよ・・・!」
不安にさせて泣かせるくらいなら、一人になんてすべきじゃなかった。
慌てて首を振ったなまえの髪をそっと撫でた。
「俺はずっとそばにいる。なまえがなまえでいる限り、俺の気持ちは変わらない」
「っ、」
それはまだなまえが俺を『降谷さん』と呼んでいた頃。俺達の関係に名前がついたあの日、彼女に告げた言葉。
なまえも覚えているんだろう。ぱっと目を見開くその表情が可愛く思えて、くすりと小さく笑みがこぼれた。
「不安になったら何回でも言ってやる。俺にはお前が必要だし、これから先も離れるつもりなんかない」
「・・・・・・うん・・・っ・・・」
*
「・・・・・・ごめんね、面倒くさくて」
少しだけ落ち着きを取り戻した私は、壁に背中を預けて座る零くんにすっぽりと後ろから抱きしめられる形で彼に身体を預けていた。
私の髪を指にくるくると巻き付けては解くを繰り返していた零くんが、私の言葉に耳元で小さく笑った。
「素直に弱さを見せてくれるようになって俺は嬉しいよ」
「・・・・・・甘やかしすぎだよ、私のこと」
「好きな女のことを甘やかしたいって思うのは当たり前だろ?」
零くんは、私が望む言葉以上のものをいつもくれるから。
そっと彼の唇が私の耳朶に触れる。
その感触が擽ったくて、ぴくりと身体が跳ねる。
「一人になんてさせないから」
「・・・・・・私も、絶対零くんのこと一人になんてしない・・・」
一人になる≠アとが怖いのは誰しも同じだ。
だから誰かの温もりを求めてしまう。
私にとってその温もりを与えてくれる存在は、この世で零くんしかいない。唯一無二のそんな存在。
軋むスプリングの音と共に、ふわりと沈むマットレス。目の前には私を見て優しく笑うどこまでも澄んだ青が広がっていた。
いつの間にかあんなに怖かった雨の音は弱くなっていた。
Fin
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