▽ 1-1
山のように積み上がった書類。ようやく終わりが見えてきたことに、ほっと安堵の息を吐く。
二徹目を迎えた脳がそろそろ休めと警笛を鳴らす。
そんな俺を心配したのか、隣に座る風見が口を開く。
「降谷さん、残りはやっておきますので今日は帰って休んでください」
「あぁ、これだけ終わらせたらそうさせてもらうよ」
そんな彼も昨日は寝ていないんだろう。目の下にうっすらとクマが浮かんでいた。
帰り際、コンビニに寄り栄養ドリンクを買う。それを風見に渡すと、そのまま車に戻りふぅとハンドルにもたれかかる。
「・・・・・・疲れたな」
ぽつりとこぼれた一人言。
警察庁に篭っていたせいで時間の感覚が狂う。まだ夕方だというのに、体が怠くてたまらない。
こんなとき、やっぱり頭に浮かぶのはなまえの顔で。
“零くん”
そう呼んでくれるあいつに会いたくて。
俺はなまえの待つ家に向けてアクセルを踏み込んだ。
*
仕事が早めに終わった私は、久しぶりに工藤邸を訪れていた。
ピンポン、と鳴るチャイム。
しばらくするとインターホンから昴さんの声が聞こえてくる。
『なまえ?どうかしたのか?』
「この前借りてた本を返しにきました」
『あぁ、あれか。わざわざすまないな。鍵を開けるからそのまま入ってくれないか?』
いつもは玄関先まで来てくれる彼にしては珍しい。
少しの疑問を感じながらも言われた通り玄関の扉を開ける。
「お邪魔します」
部屋に入ると、そこにいたのは昴さんの変装をしていない赤井さんでその口元はマスクで隠されていた。
「っ、すまないな、こんな姿で」
ゴホゴホと咳き込みながらそう言う赤井さん。彼が玄関先まで来れなかった理由は恐らくこれだろう。
「風邪ですか?熱は?」
「・・・あぁ、多分。熱は・・・、まぁ大丈夫だろう」
少しだけ歯切れの悪い返事。
きっとこれは測ってないパターンだ。
零くんもそうだが彼らはどうも自分自身の体をぞんざいに扱う節がある。
「駄目ですよ!ちゃんと熱測ってください。あと薬も飲んで休まなきゃ」
大丈夫だと言い張る赤井さんの背中を押し、寝室へと追いやる。
私の押しに負けたのか、素直に横になる彼。
そっとその額に触れると、微熱というには高すぎるその体温。
探してきた救急箱から体温計を取り出し、熱を測ってもらうと・・・
「38.6℃。完全に風邪ですね」
「だな。思ってたより高いな」
まるで他人事のような物言いがいつかの零くんを思い出させた。
「何か食べれそうですか?薬飲む前に少しでも食べておいた方が・・・」
「いや、大丈夫だ。移してもいけないし、今日はもう帰れ」
大丈夫、そう言いながらもいつもより覇気のないその瞳には怠さが滲んでいて。
一人残して帰るなんてできるわけがなかった。
*
風邪なんてひくのはいつぶりだろうか。
慣れないその怠さ。
そんな俺を心配して世話を焼くなまえの姿に、自然と目尻が下がった。
「お粥作ったんで少しだけでも食べてください。あと服も着替えなきゃ」
ぱたぱたと動き回っていたなまえが粥を持って部屋に戻ってくる。
ゆらゆらと茶碗から立ちのぼる湯気と優しい香り。
誰かにこんな風に世話を焼いてもらうなんて久しぶりのこと。体調なんて崩している暇はない。なのに何故か悪くない、そう思った。
俺が粥を食べ終えるのを見届けると、洗い物をするとキッチンに向かうなまえ。甲斐甲斐しく世話を焼くその姿に胸が温かくなる気がした。それでも頭に浮かぶのは、嫉妬深い彼女の恋人の存在。
男の部屋に女が一人きり。
降谷君でなくてもいい気はしないだろう。
ぼんやりとそんなことを考えていると、枕元に置いていた携帯が鳴る。
「時間切れ、か」
そこに表示されていた名前に思わずふっと笑みがこぼれた。
*
見慣れたマンション。
部屋に入るもおかえり、と迎えてくれると思っていたなまえの姿はそこにはなかった。
まだ仕事なのか、と思い携帯を開くとなまえからメッセージが届いていたことに気付く。
『仕事終わったから昴さんの所に借りてた本返しに行ってくるね』
昴さん。
その単語を見逃す余裕なんて今の俺にはなかった。
それにメッセージが届いていたのは一時間以上前だ。本を返すだけならもう家に戻っていてもおかしくはない。
そのままなまえの携帯に電話をかけるも、聞こえてくるのは無機質なコール音。
嫌な予感というのだろうか。
大人しく待つなんてできない俺はそのまま赤井に電話をかけた。
数回のコール音のあと、聞こえてきた奴の声。
『もしもし、珍しいな君から電話をかけてくるなんて』
「そっちにまだなまえはいるのか?」
『あぁ、少し前に・・・・・・「赤井さん!着替えこれで大丈夫ですか?」・・・』
話出そうとした赤井の声の向こうから聞こえてきたのは、会いたくて焦がれていたなまえの声。
疲れているせいでなまえに会いたかった気持ちと、なんで赤井の家にいるんだという苛立ち。聞こえてきたその言葉で頭をよぎる嫌な妄想。
ぷつん、と理性の糸が切れるような音がした。
『勘違いするなよ。・・・っこほ!』
「・・・・・・今から迎えに行く」
一言そう告げると、俺は車の鍵を手に取り再びエレベーターに乗り込んだ。
*
「あ、ごめんなさい、電話中でしたか」
「いや、かまわない。かまわなくもないんだが・・・」
うーんと考え込む仕草を見せる赤井さんに首を傾げながらも、見つけてきた着替えを渡す。
「この家、風邪薬置いてなかったみたいなんであとで買ってきますね」
「何から何まですまないな」
「体調悪いときくらい甘えてください。零くんもそうだったけど無理しすぎなんですよ」
小さく笑うと、赤井さんもふっと笑みをこぼす。
着替えの邪魔をするのも悪いと思った私は、一度部屋をでてリビングに戻る。
あとは風邪薬を買いに行くだけだ。ゼリーとかもあった方がいいかな、なんて考えていると玄関のチャイムが鳴った。
出ていいものなんだろうか。
赤井さんに確認しようと彼の部屋の扉を開けようとした時、反対側から扉が開き赤井さんと出会す。
「わっ、」
「すまない。玄関の鍵開けてきてくれないか?」
「それは全然いいんですけど、私が開けていいんですか?」
「大丈夫だ。おおよその見当はついている」
そう尋ねると赤井さんは態とらしく眉を上げながら頷く。
ガチャリ、と鍵を開けた扉の向こうに立っていたのは、まさに不機嫌という言葉を具現化したような表情の零くんだった。
「っ、零くん?なんでここに・・・」
「入るぞ」
私の質問に答える前にツカツカと部屋に入る彼。ぐるりと辺りを見回すとマスク姿の赤井さんを見つけ、その顔をより一層顰めた。
咄嗟に間に入ろうとした私。けれど零くんの手に持っていた袋の存在に気付き足を止める。
「普段から健康管理がなっていないんじゃないか、FBI」
「今回ばかりは言い返せないな」
「ふんっ、その不健康そうなクマが何よりの証拠だな」
そのまま赤井さんに近付いた零くんは、手に持っていた袋を彼に差し出した。
その袋から覗くのは、風邪薬や栄養ドリンク。
中を見た赤井さんも驚いたように目を瞬かせる。
「零くんなんで赤井さんが体調悪いの知ってたの?」
「さっきこの男に電話をかけた時に咳き込んでいたからな。それになんの理由もなくなまえがここに長居するとも思えない」
それでこうやって色々買ってきてくれたんだ。彼の優しさにふっと口元が緩む。
「勘違いするなよ。お前がこのまま体調を崩してるとなまえが余計な心配をするから買ってきただけだ。それ以外に理由なんてない」
「ふっ、ありがたく受け取るよ」
素直じゃない零くんの言葉。彼は絶対に認めないだろうけど、本心ではきっと心配してるはず。
そんな胸の内を見透かすように、赤井さんがその袋を受け取る。
「用は終わりだ。連れて帰るぞ」
「あぁ。なまえも助かったよ、ありがとう」
「また何かいるものとかあったら連絡してくださいね!ちゃんと休まなきゃ駄目ですよ!」
くるりと踵を返して玄関に向かう零くんに腕を引かれながら、楽しげに目を細める赤井さんに小さく頭を下げた。
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