▽ ミモザ
人間という生き物は欲張りだ。
会えない時は、顔を見れたら幸せだった。
話せない時は、声が聞けるだけで幸せだった。
━━━━・・・・・・ そして今は、心≠ェ欲しい。
購買でお昼ごはん用にと買ったパンの袋を揺らしながら中庭を歩く。
『ご機嫌だね、今日のなまえは』
「えへへ、朝から松田に会えたからね。声掛けたら、相変わらず嫌そうな顔されたけど」
松田と私は、良くも悪くも変わらない。
でも電話の向こうの彼との関係は少しだけ変わったと思う。
初めての男友達。
ヒロと出会って3年が経った。
彼は今も変わらず優しくて、大事な友達。そしてお兄ちゃんみたいな存在。
『昨日会った人は、その松田くんの幼馴染みなんだっけ?』
「あぁ、萩原?うん、ヒロと零みたいな感じかな」
『明るくて楽しそうな人だったね』
昨日の放課後、ヒロと駅前の最近できた流行りのカフェでパフェを頬張っていると聞き慣れた声が楽しい時間を邪魔してきた。
私が男の人といるのが珍しかったんだろう。少しだけ驚いたような顔で話しかけてきた萩原。ヒロとの時間を邪魔されて、むっと彼を睨んだ私。
「放課後にまで萩原の顔見たくないんだけど」
「ひでェなぁ。陣平ちゃんなら喜ぶくせに」
「は?そんなの当たり前じゃん」
それはいつも通りのやり取り。
萩原は飄々と笑っているし、今更彼に愛想のいい私なんて逆に怖いだろう。
「なまえ、そんな言い方しちゃダメだよ?」
「・・・うっ、・・・・・・ごめ、ん」
「うん、いい子。なまえはちゃんと謝れるから偉いね」
きっとここに零がいたら、「子供じゃないんだから当たり前だろ」なんて顔を顰めただろう。
他の誰かに言われたならムカつくことも、ヒロが相手だと何故か素直に聞くことが出来た。それはきっと彼の柔らかい雰囲気のおかげ。頭ごなしに咎めるわけじゃなくて、最後にはこうして褒めてくれるから。
なんとなく擽ったくて、胸の奥がぽかぽかと温かくなる。
そんな私を見て、目をぱちくりとさせる萩原は中々に見物だった。写真撮っとけばよかったかも・・・、いや、容量がもったいないな。
『今日そっちまで迎えに行こうか?』
「ううん、大丈夫!私の方が授業終わるの早いしそっちまで行くよ。ヒロの家でいいんだっけ?」
『うん。零も同じ授業だから一緒に帰ると思う。また近くまで来たら連絡して?』
「わかった!じゃあまたね」
もうすぐテストを控えた私は、ヒロ(あとおまけの零)と一緒に勉強することになっていた。
勉強は苦手じゃない。むしろ得意な方だと思う。それでも苦手な分野というのは、誰にでもあるもので。私の苦手分野はヒロの得意分野だったから一緒に勉強することになっていたのだ。
「おい、」
電話を切った私の背後から聞こえた声。その声にばっと勢いよく振り返る。
「松田!今からご飯?」
「・・・・・あぁ。そんなとこ」
「一緒に食べよ!さっき購買でパン買いすぎちゃったんだよね」
「・・・ん」
ありゃ、意外。
1人で食えよ、くらい言われると思ったけれど松田は小さく頷き近くにあったベンチに腰掛けた。
「座らねェの?」
「っ、座る!めちゃくちゃ座る!」
「めちゃくちゃ座るって日本語おかしいだろ」
ふっと口元に笑みを浮かべた松田の隣に腰掛ける。風に乗って彼の香水が鼻を掠める。
昔は香水なんて女のつけるもん!みたいな感じだったのに、いつの間にか大人になった彼。
甘さのないその香りは、いつしか私の中に染み付いた。
「何食べる?カレーパンか、あとたまごサンドでしょ・・・・・・、あ!チョココロネもあるよ!」
袋を広げ、買ったパンをベンチに並べていると隣から視線を感じ顔を上げる。
「どうかした?あ!分かった!限定のメロンパンがいいんでしょ!松田にならあげるよ」
購買に並ぶパンの中で1番人気の限定メロンパン。もちろん私だってそれ目当てに購買の列に並んだけれど、松田が欲しいなら喜んで差し出す。
甘いもの苦手なくせに限定だし食べたいのかな、なんて思いながらメロンパンを渡すけれど受け取ろうとしない彼。
「松田?」
「・・・・・・お前さ、放課後何してンの?今日」
予想していなかった質問。
メロンパンを差し出した私の手は行き場をなくして宙をさ迷った。
「っ、なんで?」
「別に、何となく聞いただけ。暇なら前話してた店行くか?」
ん?え?なんて?
目の前にいるのは、正真正銘松田のはず。
もしかして萩原がふざけて松田に変装してるとか?
前話してた店、それはきっと数日前に私が行きたいと松田に話したケーキ屋のことだろう。
「1人で行ってこい」ってあの時は言ったくせになんで?
頭の中にハテナが浮かぶ。
「っ、もしかしてどっかで頭ぶつけた?」
「はァ?ぶつけてねぇし」
「じゃあ萩原が松田に変装してるとか?」
「何でここで萩が出てくんだよ」
ぺたぺたと彼の頬を叩くと、鬱陶しそうにその手を払い顔を顰める松田。眉間に皺を寄せ、片方の眉毛を上げるその仕草は間違いないなく松田のもの。
こんがらがった頭の中。彼からどこかに誘われるなんて初めてのことだったから。
「で、どうすんだよ。行くのか、行かねぇのか」
どこか苛立ったような声にはっと意識を取り戻す。
行きたい。めちゃくちゃ行きたい。
でも・・・・・・、
「ごめん!今日は約束があって・・・・・・、」
うぅ、泣きそうだ。
松田から誘ってくれるなんて次は何年後になるか分からないのに。
きっと約束の相手がヒロじゃなければ、即断って松田に飛びついていただろう。
でも自分もテスト前にも関わらず、私の為に時間を割いてくれたヒロの優しさを無下にはできなくて。
「・・・・・・あっそ、分かった」
「また今度行こ?明日!明日なら暇!明後日も!!」
「俺が今日しか時間ないから無理。てかやっぱ腹減ってねェから行くわ」
不機嫌さを隠そうともせず、ベンチから立ち上がった松田は近くにいた男子生徒の元へと歩いていった。
残されたのは、1人で食べるには多すぎるパン達。
いつの間にか松田の姿は視界の範囲内にはいなくて、ぼーっと宙を眺めながらメロンパンをひと口かじる。
うん、甘い。クッキー生地のさくさくした食感とふわふわのパン生地。間違いなく美味しいはずなのに、あまり美味しく思えなかった。
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