誰かの声


また、声が聞こえた。今度は、性別が判断できるぐらいには、おそらく青年……であろう声。
そして、再び暗闇に佇んでいた。彼女は目を細めながら、歩き始める。

波紋のように揺れる地面、何も見えない、先は闇ばかり。
ここは何処。何故こんなところに自分はいるのだろう。次々に疑問は浮かぶものの、それを答えてくれる人間は、存在しない。

暫く歩いたところで、以前は理解しがたモノだったが、黒い靄……それも、人間の形をしている。彼女は首を傾げながらゆっくりとそれに近付こうとした。
だが、身体が見えない壁にぶつかり、それ以上は先に進めなかった。手で叩くと、それも波紋のように揺れ……

(これも……見たこと、ある)

どこで、いつ。それを思い出そうとすれば__

(また、頭痛……!)

耳鳴りと共にやってきた頭痛に、見えない壁に凭れ掛かる。その靄は依然として動く気配はない。考えようとすれば、痛みが邪魔をする。そのために、断念せざるを得ない。
声は、また聞こえなくなってしまっていた。誰が、話しかけているのか、まだわからない。


*


いつの間にか、眠ってしまっていたらしい。彼女は身動ぎ、瞳を開く。部屋のソファーで起床したせいか、身体のあちこちが痛む。ゆっくりと身体を伸ばしながら立ち上がり着替えを始める。

また、何か夢を見たような気がしたのだが、覚えてはいない。

ズキリ、と一瞬だけ頭痛が走り、着替える手を止めた。

(……頭、痛い……)


ふぅ、と息を吐き出して着替えを再開。鋭い痛みは消えたが、ぼんやりとまだ残っている痛みに顔を顰める。こんなんでは、任務に集中できるかわからない。だからといって休んでいる暇もない。
胸元のリボンをきっちり結び、彼女は部屋を出た。

エントランスには、既にオペレーターであるヒバリの姿があり、朝の挨拶を交わす。


「おはようございます、ヒバリさん」

「ユキさん。おはようございます」

「任務、何かありますか?」

「あ……そういえば、サカキ博士がこれをお願いしたいと言ってました」


一つの任務を提示され、ユキは首を傾げた。対象はガルム。こんな簡単な任務をわざわざサカキ博士がユキに頼むなんて何があったのだろう。だが、追求するでもなく、彼女はその任務を受けることにする。ヒバリも受理し、よろしくお願いします、と微笑みながら告げた。

彼女は一度ラウンジに寄り、軽い朝食を取る。その際には、『螺旋の樹』が見える位置に座るのが日課となっている。

ふと『螺旋の樹』を見上げた。
その、瞬間__


『__』

「……え……?」


音が、聞こえたような気がした。だが、ラウンジにはムツミ以外の人は見当たらない。彼女は暫くキョロキョロと辺りを見渡したが、やはり人はいない。入ってくる様子もない。
気のせいか、と気を取り直して朝食に手を伸ばすが……


『……__』

「……だ、れ……?」


確かに、音が聞こえるのだ。それは僅か過ぎて判別できない、が確かにユキには聞こえた。ガタリ、と椅子から立ち上がり彼女は酷く焦燥した表情を浮かべる。
その時、夜中に感じた恐怖が足から這い上がってくるのが分かり、ビクリと身体を揺らす。ムツミも振り返り心配そうな表情を浮かべていたが、彼女には見えていない。

何、何の音なの。不安は更に広がっていく。


「ユキさん……?」

「ぁ……ご、ごめんね……大丈夫だよ」


声をかけられ、ユキは我に返る。苦笑を浮かべながら、彼女は席につく。
出来るだけ、無心でいよう。彼女はそう思いつつ朝食にやっと手を伸ばし、食べ始めた。


*


任務は簡単に終わり、ガルムからコアを摘出。迎えのヘリが到着するまで彼女はその場で待機していた。神機を握り締め、警戒を解かずに辺りを見渡す。
小型アラガミも殲滅したために、今、一時的にはユキだけがいる。

空を見上げれば、清々しいほど青く澄んでいた。


「……まだ、かな……」


今日は、調子が悪いのか、ぼんやりと頭痛は残っているし、朝のことも気になって細かいミスを犯してしまっていた。ヒバリにも心配され申し訳なく思う。

彼女が歩いている、その時だ。


『__ユキ』

「ッ……!」


耳を押さえ、思わずあたりを見渡した。明確に、誰かに呼ばれた。しかもこの声は……


「嘘……なん、で……?」

『ユ、キ……』

「……な、ん……で?……ねぇ、どこに、どこにいるの……?"ジュリウス"!」


彼の名を叫んだ瞬間、足元から白い触手が伸びてきて彼女の身体を縛り上げる。足に、腕に絡み付いてきて解くことはほぼ不可能だった。しかも唐突のことだったゆえに、上手く対応ができなかった。腕に思い切り巻きつかれ思わず神機を落としてしまう。


「や……!たす」


その言葉が最後まで発せられることはなかった。
彼女は、地面へと引きずられ、まるで沈んで行くように、姿を消した。
そこには、神機だけが残されていた。

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