ピリオド

  • since 12/06/19
 砂場で泣いている子どもがいた。声を上げずにただ堪えるように、それでも堪え切れずにあふれ出た涙は砂へと零れて吸い込まれていった。子どもの前には小さな山の残骸があった。その子どもが泣いているのに誰も気づかない。山を崩した子どもも、ボールを持って友人たちへのもとへと駆けて行く。先生ですら気付かない子どもに手を差し伸べて涙を拭うのは何時だって赤毛の幼馴染だった。

「またないてるの」
「ないて、ない」

 スモックのポケットから電車のキャラクターのアップリケの付いたハンカチを取り出して慣れた手つきで涙を拭う。

「テツナはなきむしだから、ぼくがいないとだめだね」



 そこで、黒子は目が覚めた。途中からは自分で自分を見ている既視感のようなものを感じていた。

(たしか、明晰夢でしたっけ・・・)

 ベッドサイドの目覚まし時計を見れば普段起きる時間よりも30分も早い。二度寝の誘惑も襲ってはこない。布団の中で、うごうごと寝返りを打つも結局は起きてカーテンを開けてしまった。隣家から赤毛の幼馴染が出て行ったのに気付いた。「赤」は目に映りやすい。だから彼の周りには人が集まるのだろうかと考えていた。そこまで考えて黒子は自分には関係無いことだと思いだした。
 昔は無邪気に「せーくん」だなんて呼んでいたし一緒にお風呂にも入った。だというのに何時しか呼び方は「赤司くん」と「黒子」になり顔も合わせなくなった。そのうち、幼馴染は自分とはとてもではないけれど一緒に居ることが不可解な程に遠くの、まるでテレビ越しの有名人のようになっていた。実際には廊下ですれ違うこともあるのだけれどとても話しかける雰囲気ではないし、何より話題なんて無い。
 目覚ましのアラームを切り寝間着から制服へと着替えた。

(幼馴染が、いなくなる寂しさだろう)

 通学鞄の中身を確認する。教科書とルーズリーフ、それにファイルとポーチ。

(寂しいのだって、何時かは忘れる)
「テツナー?起きてるのー?」
「はーい」

 階下からの母の呼びかけに返事をした。



「黒子さんって、あの赤司くんの幼馴染なんでしょ?紹介とかしてくんない?」

 髪の毛をくるくると巻いて、流行の化粧をした名前も知らない同級生(上履きの学年カラーから推測)が媚びた声で読書をしていた黒子に話しかける。声を掛けられてきょとんとしてから、

「幼馴染、といっても学校が同じくらいで話したことなんてないですよ」
「なあんだ、つかえない」

 その言葉にちくりとも胸は痛んだりしない。その代わりに黒子のすぐ傍にいた桃井が憤慨した様子だった。生徒が去ったあと桃井が憤りをぶちまける。

「なんなのよ!?あの態度!テツくんは赤司くん呼び出しの窓口なんかじゃないんだから!テツくんも怒って良いよ!!」
「はあ・・・」
「もう!」

 感情の起伏が殆ど無い黒子の代わりのように、桃井は感情表現豊かで顔がころころと変わった。 そしてその顔は何時だって素直で、とてもかわいい。怒っていても可愛い。

(きっと桃井さんの窓口は青峰くん・・・ああ、それはないですかね)

 桃井と彼女の幼馴染である青峰には何時だって噂話が付いて回った。それは健全な青少年である中学生にとっては当たり前のような思春期特有の邪推だ。桃井も青峰も心底嫌そうな顔で「大ちゃん(さつき)だけは無理」と言い張っているのだけれど、黒子もまたちょっぴり邪推していた。だって二人はとてもお似合いだった。少し不良のような風貌の青峰と護ってあげたくなるくらいの桃井。なんだか少女漫画のようだ。
 ぺらりと本のページをめくった。

「あれ、朝の本もう読み終えたの?」
「ええ。やはり漱石の『こころ』は名作です」
「テツくんの読む本は難し過ぎるよ」
「そうでしょうか」
「夏目漱石とか芥川龍之介とか……教科書で十分じゃない?」
「まあ・・・でも、勉強しながらより楽しみながら読むという姿勢でも随分と味が変わって楽しいですから」
「そういうものかなあ」

 桃井も教養程度の読書を嗜みはする。けれど好むものは流行りの小説だった。黒子のように純文学からは些か、遠い。だからこそそんなものを買ってまで読む黒子は未知で不可解でミステリアスだった。
 予鈴のチャイムが鳴る。

「ああ 教室戻んなくちゃ。またね、あっ今日は委員会?」
「ええ、なので・・・」
「うん!分かってる!」

 桃井はにまりと笑ってから自分のクラスへと駆けて行った。桃井の最後のにんまり笑みに黒子は顔が熱くなった。

(気恥ずかしい)

 『こころ』をサイドの通学鞄へと仕舞った。



 3年の、図書委員長は優しい人だった。真っ黒い髪に黒ぶちの眼鏡に温和な笑みを浮かべていて、時折家族が吸うのかふわりと煙草の香りがして1つしか変わらないのに、大人だった。黒子は彼といると、どきどきと心臓が脈打って落ち着かなくて、仕方無かった。どうしようもなく、恋に浮かれていた。
 切っ掛けは些細なことだった。ただ影が薄い黒子を偶然見かけて、見つけてくれてそれから話すようになった。自分から話題を作ることが苦手な黒子にとっては話すよりも聞き手にまわるほうが楽だった。だから、気付けば好きになっていた。


「お帰りなさい、テツナ」
「お帰りなさい!久しぶりね、テツナちゃん」

 聞き慣れた母の声のあとに、久方ぶりの隣家のおばさんの声が後から聞こえた。

「ただいま、お母さん。いらっしゃい、おばさん」

 黒子の姿を見るなり、隣家のおばさん―赤司の母―はほうとため息をつく。

「やっぱり、女の子は良いわよねえ・・・。征十郎なんて最近、挨拶もろくにしないんだから」
「あら征十郎くんって生徒会とバスケ部の主将もしてるんでしょ?疲れてるんじゃない?それに比べてテツナなんて毎日毎日本ばっかり読んで!何時か二階の床が抜けるんじゃないかって夫と相談してるのよ」

 自分の名前が出たことに一瞬むっとしたけれどその後に続いた不安に黒子もそろそろ危ないなあと思っていたので反論も出来なかった。母親同士の会話に入って行こうともさらさら思わないので二階へと上がる。リビングを出掛けた時に、赤司の母から

「また征十郎とも遊んであげてね」

 なんて言われてしまったのだから曖昧に笑うしかない。14歳になる男女が遊ぶって何をしてだ。きっと彼女の頭の中では息子も含めて子どもは6歳のままで止まっているに違いない。



 図書室の空気が好きだ。古本屋のような、古びた臭いとも違う。ただ古いだけじゃなくて美しく整えられて大切に扱われている匂いが、好きだ。
 夏はその匂いが濃くなるような気がした。それに加えて冷房のきかされた図書室は過ごしやすい。

「・・・ぁん」

 準備室の扉を開けて、びしりと固まる。耳につく粘着質な音と生臭いというか、青臭いというかそんな臭い。経験だとかが無く立ってそれらから連想されるものは一つだった。

(破廉恥な!)

 顔が青くなるような、赤くなるような不思議な感覚のまま逃げるように準備室を後にする。

「・・・せーじゅーろー?」
「!?」

 思わず叫びそうになるのを堪えて振り返ってしまった。暗闇の中でまぐわりあう姿は獣のようで不気味だ。すぐに視線を逸らさなければならないのに金縛りにあったかのように動かない。
 にやりと赤い獣が笑っていた。
 黒子ははっと金縛りがとけたかのように、夢から覚めたかのようにしていつの間にか準備室を出ていた。きっと、あれは夢だ。白昼夢か、何かだ。

 貸出カウンターで手続きをするのだって、何時もと何ら変わらないのだから。

「これ、お願い」
「はい」

 新聞のスクラップ整理の手を止めて、顔を上げれば今一番見たくない顔があり黒子は石のようにぴしりと固まる。

「期限は、2週間後です」

 機械のように淡々とするのは素なのか、パニックになった結果なのか分からない。なんせ彼女自身の素が淡々としたものなのだから、分かりようも無い。それでもこの幼馴染には十分に分かりやすいものだったらしい。

「へーんたい」

 カアっと血が巡ったのが分かった。言うべきことはあった。変態はどっちだとか、学校でするなんてだとか、場所を弁えろだとか、それこそ私は悪くないとも言ってやりたかった。それでも見てはいけないものを見てしまった罪悪感から、黒子は二の句も継げられず俯いて黙りこくった。
 それを見て興味も失せたように、赤司は借りた本を手に図書室を出て行った。


 生徒会の編成で、委員長である3年が交代する前日。

「せんぱいが、すきです」

 黒子の初めての告白は、無残だった。それもそうだ。きっと何もしないまま、終わることが嫌だっただけの、自己満足だ。それに付き合わせてしまった先輩に申し訳ない。でも、今はそれ以上に

「かなしい」

 悲しい、哀しい、かなしい、カナシイ。

(こんなときは、影が薄くて良かったかもしれません。きっと今の私はお化けみたいなんでしょうね)

 そう思えば笑えてきたけれど、涙は決壊したように、止め処なく溢れた。零れた涙はマフラーが吸い取った。



 生徒会の交代で生徒会長になることが決まった赤司は後継ぎのため、ここ数日間の下校時刻は7時前だった。数人しか残っていない職員室へ生徒会室の鍵を返却し、靴を履き替るためシューズロッカーへと向かう。
 生徒用の玄関先を見れば薄水色の髪がぼうっと浮かび上がっていた。ぎょっと幽霊か!と身構えてから影の薄い幼馴染なのだと気付き誰も見ていないのに取り繕う。

(何してるんだ、こんな時間まで)

 赤司は怪訝に思うも声を掛けるのも野暮ったく、むず痒くてちらりと顔を窺うだけだった。もしぼんやりしてるだけなら、注意でもしようかとその程度で顔を黒子の顔をちらりと見て言葉を失い目を見開く。

(なんで、)

 はらはらと涙を流しながら、唇をかみしめて口を一文字に結ぶ姿。昔からの、何一つ変わっていない我慢しようとして我慢できなくて、それでも耐えようとして耐えきれない、彼女の泣き方。だというのに、見知らぬ誰かでしかない。
 赤司はそんな姿が見たく無くて部活で使わなかったタオルを押し付けて逃げるようにして帰った。



 黒子が泣き腫らした眼で帰っても適当に本を読んで感動して泣いてしまったといえば納得していた。手に持て余すのはタオルだった。

(どうして、わざわざ・・・)

 赤司の驚いたような顔を黒子は覚えていた。それはそうだろう、赤司にとって恋愛でたかが失恋で泣くなんて馬鹿馬鹿しいことなのだ。それでなくても、赤司は泣くことは弱いことだなんて言う人間なのだ。弱い人間の考えていることなんて、分かりもしないし分かろうともしないだろう。そう考えるとムカつきが生まれた。

 折角の優しさをこんな風にしか消化できない自分に腹立たしさも生まれる。

「かえさなくちゃ、ですよね」



 その話しを聞いたのは偶然だった。


「そういえばあの影がうっすい子―ああ、黒子―だっけ?」
「んー?」


 煙たさに顔を顰める。前々からタバコの吸い殻が見付かり、問題となっていた。全生徒会の時は有耶無耶にされていたけれど、赤司が主軸となった現メンバーとなってからは見回りがひっそりとではあるけれど、強化されていた。
 屋上へと繋がる階段の上。僅かながらに開けられる小窓が換気扇代わりの役割を果たしているようだった。

「めっちゃお前のこと好きそうだったじゃん」

 その会話に、唇を噛んでいた。


「告白されたんだろ?」
「まあなー」

 得意気に言うのは、前任の図書委員長だった。彼女―黒子―と図書室で話しているのを赤司も稀に見ていた。

「結局付き合わなかったんだっけ」
「んー?」


「だって、アイツってつまんねーじゃん」


「なんつーか、重い?」


「何考えるのかわかんねーのがマジきもい」


(黒子が詰まらない?お前が馬鹿なだけだろ、黒子の話しは何時だって面白い。重い?あいつ程其処にいるのか分からない不確かなやつがいるか。何考えてるのかわからない?当たり前だろ、黒子は、テツナは、)


 赤司は目の前が真っ赤になり、気がつけば階段を駆け上がりたむろしていた4人を殴り蹴り飛ばしていた。そして職員室へと呼び出されていた。
 元々は煙草を吸っていた4人に問題があることで、赤司の殴る蹴るは少なからずとも問題とはなったけれど大げさにはならなかった。それは赤司のそれまでの生活態度だとか単純に学業の成績だとかがあったのだけれど、そんなこと赤司にはどうだって良かった。
 ただ黒子が泣いていた理由が、あんな奴なのだと思うと腹立たしくてムカムカしたのだ。




「征十郎」
「なに」
「お母さん、これから黒子さんとご飯行くから、ご飯は適当によろしくね」


 そう言いながら息子の返事もろくに聞かずに年甲斐も無くはしゃいでいる母を、赤司は白けた目で見ていた。リビングのテレビで見ていたNBAの試合も、何処か面白みに欠ける。


「なんならテツナちゃんも呼んで一緒に食べたら?」
「はあ?」


 突拍子も無い提案に赤司の声も思わず上擦る。そんな息子の様子も気にした様子も無い。それどころか、うんそれが良い!と勝手に進めてしまいそうな勢いがある。


「元々外に出る予定だったからそのまま食べに行く」

 そんな言葉に不満そうに母親は渋々と頷く。暫くして、玄関先から母の行ってくるわねーという間抜けな言葉とがちゃりという鍵の閉じる音がした。けれどもそんな予定なんてものも無いので赤司は再びリビングのソファに座りなおしてDVDを再生した。それから暖房の温かさだとかでうとうととしてうたた寝をしていた。
 ピーンポンというチャイムの音で目が覚めれば日は沈みかけてリビングには西日が強く射していた。ソファの上で妙な姿勢で寝ていたためにあちこちが軋んだ。インターフォンのモニターを見れば薄水色がちらりと目に着いた。暫く経っても返事が無いことに居ないのかと思った黒子は帰ろうと踵を返してしまう。赤司は若干焦りながら、


「今から開ける」



 玄関が開けられるまで気まずく、たった数分数秒程度の時間が長く感じていた。黒子は抱えていた紙袋を持ち直す。出掛ける前に母からお裾分けに持って行きなさいと言われたタッパーと数日程前に借りていたタオルが入っている。


(渡すだけ。お礼を言うだけ)

 頭の中で数回繰り返し行われたシミュレーションを思い出す。




「肉じゃがです、お夕飯にでもどうぞ」
「ああ、ありがと」
「・・・あと、タオル、ありがとうございました」
「ん」
「それじゃあ、おばさんによろしくお伝え下さい」

 気まずさから逃げ出すように帰ろうとする黒子に、赤司は思わず声を掛けて自分でも知らずに口を動かしていた。

「一緒に、食べない?」

 言った赤司も、言われた黒子も思わず目をぱちくりとさせていた。間抜けな沈黙を破るように、赤司は自分の口から零れた言葉を思い出して、それをフォローするように続ける。

「タッパーを届けに行く手間も省けるし」

 黒子はそれに少し考えるような、迷っているような素振りをしてからこくりと頷いた。

「お邪魔します」

title:joy
2012/09/23
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