ピリオド

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 父親は金銭のトラブルが絶えず、母親も仕事がらみのトラブルで揉めることが多かった。きっといつかこうなるであろうと、サンダルフォンは予感していたのだ。父親に金を貸していたのは評判の良くない裏社会のグループ。母親が春を売っていた相手は貴族でも悪名高い婦人の愛人。この町において、サンダルフォン一家の安寧は無い。そんな街を両親は捨てることが出来なかった。この掃き溜めの街以外で、生きることが出来なかった。サンダルフォンも逃げる事は出来なかった。この街以外を知らなかった。
 自宅に押しかけてきたのは屈強な大男たち。彼らがごろりと転したのは物言わぬ両親。サンダルフォンは生まれてきてから今まで、幸福であったことはない。血縁上の両親であっても、彼らに対して育ててもらった情も無ければ産んでもらった恩も無い。その彼らの所為といっても差し支えなく、サンダルフォンは自分の末路を考える。バラバラにして魚の餌だろうか。臓器を取り出して売り払われるのだろうか。それとも薬漬けで売春宿だろうか。想像が尽きる事は無い。サンダルフォンの命運はとっくに尽きている。
 屈強な大男たちの間から、大男たちに比べれば細身の、仕立ての良い白いスーツの男が歩み出る。みすぼらしい家には似つかわしくない、男たちと共にいるのが似合わない、美麗な男にサンダルフォンは自分の置かれている状況も忘れて見惚れてしまう。惚けているサンダルフォンを前にして男は気を悪くした様子はない。スーツが汚れるのも気にせずにしゃがみこむと、サンダルフォンの細い顎に手を掛け、検分をするようにじっくりとみる。サンダルフォンは、全てがこの男の一存で決定するのだと確信めいたものがあって、息を凝らす。
「私の手を取るのなら、身の安全を保障しよう」
「しかしルシフェルさま、」
「お前たちに言ったのではないよ。サンダルフォン、どうする?」
 提案にも聞こえる命令に、サンダルフォンは差し出された手を取るほかに道はない。サンダルフォンは、死にたくない。物言わぬ両親のようになりたくない。サンダルフォンの死を自在にする手は美しい細工品のようだった。触れた指先は温かかった。
 ルシフェルに肩を抱かれて車に乗せられる。冷えた体がシートに沈む。市場に出回る車を改装しているのだろう、窓ガラスは防弾なのか分厚かった。どこに連れて行かれるのか過る不安と、今更になって両親だった肉塊を思い出して顔を青褪めさせるサンダルフォンを気遣う様に背を擦られる。
「こっちにおいで」
 分厚い門扉を何枚も潜ってからやっと上がり込んだ屋敷。大男たちはサンダルフォンの気付かぬ間に消え去っていた。ルシフェルに手を引かれたサンダルフォンは浴場に通される。そこで良い香りのする石鹸で体を清められる。サンダルフォンはそうだったなと気付く。ルシフェルは両親を殺した男たちと同類で、自分は決して救われたわけでも助けられたわけでもない。ルシフェルに飼われている。シャワーの音が浴室に反響している。サンダルフォンの小さな息遣いが打ち消される。

   ○ ● ○

 肌寒さに背筋を震わせたサンダルフォンはシーツを引き寄せた。しとしとと耳に付く雨音。夕方から降り始めていた雨は激しくはないものの、振り続けている。ぐんと気温の下がった室内。首元を冷ややかな風が撫でると同時に、くんと香ったのは嗅ぎ慣れないものだった。ハーブのような、不思議な香り。サンダルフォンは乱れた寝台の上でまどろみながら、香りを胸に吸い込んだ。
 布の擦れる音と、気を使った、消そうとしている足音。それから不思議な香り。うつらうつらとしているサンダルフォンの頬に掛かる髪がそっと払われる。まどろみ、とろけた瞳がルシフェルをぼんやりと見つめる。
「起こしてしまったかな」
「いいえ、おきていました」
 舌足らずなサンダルフォンは夢現。起きていたなら、思っていても羞恥で口にしない言葉が流れる。境遇も立場も忘れたサンダルフォンの素直な言葉は、愛らしい睦言。ルシフェルは耳を澄ませる。
「はじめてあったときの夢を見ました」
 ルシフェルは苦い虫を噛んだみたいな気持ちになる。
「あの時の私は、随分と大人げなかった。我がままで、きみを傷つけてばかりで、愛らしいきみが欲しくて、奪われないように必死で、なりふり構っていなかったから」
 ルシフェルにとって、生まれてきてから今に至るまでの人生において、唯一の後悔。初めて抱く感情にルシフェルは振り回され、サンダルフォンを振り回した。心は傷付いて、傷付けられた。なのに、ルシフェルに対してサンダルフォンは嫌悪を抱かない。憎悪を抱かない。父と母の恨みと思った事は無い。ルシフェルから逃げようなんて、おもった事は無い。産まれて初めて、人の身の温かさを知った。初めて、幸せに触れた。
 ルシフェルの手がサンダルフォンの輪郭をなぞり、指先が唇を撫でる。不思議な香りが濃くなる。
「この香り……」
「チェーンスモーカー程では無いけれど、たまにね」
「タバコ、吸われるんですね。しらなかった」
「君の前では吸ったことが無かったから」
 付き合いで始めたタバコは時折、嗜む程度。口寂しい時に稀に口にしていた。今では、口寂しいと思う事は無く、タバコよりも、サンダルフォンが淹れてくれるようになった珈琲を好ましく思うようになっていた。
「そうだ、ルシフェルさまみたいな香りがする」
「そうだろうか」
「うん。やさしくて、いいかおり。おれは好き」
 ふふふと笑うサンダルフォンの瞼は今にも閉じてしまいそうだった。サンダルフォンは、眠りたくないのか誤魔化すように口数が多くなる。
「でも、一番はルシフェルさま」
「私?」
「ルシフェルさまから、同じ石鹸の香りがするのが好き。おんなじ珈琲の香りがするのが好き。俺はきっと、せかいでいちばん、幸せだなって、おもう」
 言ったきり、寝息を立てるサンダルフォンは目覚めれば何も覚えていない。寂しいような、素直な言葉に嬉しい気持ちで、ルシフェルは悶々としてサンダルフォンの隣で横になり、一回り小さな体を抱き寄せて目を閉じた。
 外はしとしとと雨降り続いている。室温は冷えている。二人、抱き合えばなんてことはない冷たい夜だった。

2018/09/13
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