ピリオド

  • since 12/06/19
 白く、長い回廊を歩く。恭しく頭を下げる下級天司と、それを遠巻きに眺めている星の民。ルシフェルにとって、慣れたものだった。星晶獣の、天司の、統括者として造られた原初の獣であり、最高傑作。当然のこととして受け止めてきた。それに息苦しさを覚えたのは、寂寥感を抱いたのは、天司長を求めない、たった一人と出会ってしまったから。ルシフェルは回廊を歩きながら、あの子に会いたいなと、自身が造りだした一人の天司のはにかみを、思い浮かべる。そのはにかみを思い浮かべて、僅かに浮き上がる心は、また、沈む。
 創造主であり、友と呼ぶ星の民に命じられて造った天司を、ルシフェルは寵愛していた。造るように命じた本人ですら意外で眉をひそめるほどに、ルシフェルにその自覚がなくても、接し方は寵愛となんら変わらない。麾下の天司との接しかたではない。麾下の天司相手に、彼は微笑むことなんてない。役割のない天司に、多忙の中でも、わざわざ時間を割いている。無意識に、無自覚に、それが、当然であるように。時間を割いて、中庭で珈琲を飲む、二人だけの時間を、ルシフェルは待ち遠しく"望んで"いた。その時間だけ、ルシフェルは天司長ではなかった。
「俺には、いつ、役割が与えられるのでしょうか」
 いつしか、口癖のようになっていたサンダルフォンの言葉に、ずしりとルシフェルに重く、暗い影がかかる。役割を与えられたら"ルシフェル"に笑いかけるサンダルフォンは、何処にも、いなくなってしまうのではないか、永遠に失われてしまうのではないかという、らしくもない恐怖にも似た感情を抱いた。いつか与えられると、子供だましに先延ばして、知った真実。
──天司長のスペア、そしてその役割すら、不用。
 なんということだろう。どう、伝えるべきなのだろうと、悩むうちに、時間ばかりが過ぎて行った。そしてここ最近の不穏な空気に、ルシフェルは天司長として、駆り出されていた。そのために、サンダルフォンに何も伝えられぬまま、いたずらに時間だけが過ぎていく。研究所に顔を出したのも、久しぶりだった。この後で、顔を出そう、話をしようと、決めて、当初の目的である友の研究室へと顔を出す。そっくり同じ顔であるはずのルシファーの顔をみて、ルシフェルはぞわりと、寒気を感じる。虫の知らせのように、何か、悪いことが起こるような、起こっているような、どうしようもない不安に駆られる。なぜ。彼は何もしていないのにと、自身に沸き起こった不安に、不快感に疑問を抱きながら、下級天司からまとめた報告を済ませると、ルシファーがいよいよと、口を開いた。
「コアの調整?」
「何時ものことだ、構わないだろう?」
「……それは、今からだろうか」
 ルシファーが怪訝に、僅かに不愉快さをにじませて、ルシフェルを見遣る。ルシファーにとって、まさかの言葉だった。ルシフェルは僅かに言いよどんで、促されて、
「この後は、あの子に、サンダルフォンに会わなければならない」
「ああ、どうするつもりだ?」
 廃棄か、愛玩か。暗に含ませた言い方に、ルシフェルは眉をひそめた。その様子をみて、せせら笑うようにルシファーは、そこまで時間は掛けないさと言い切る。ルシフェルは逡巡するものの、ルシファーの言葉に頷いた。友と呼ぶことを許されているものの、決して対等ではない。根底には、創造主と創造物という絶対的な関係がある。命じられれば、ルシフェルは従うよりほかない。
 指示の通りに、武装を解除して、比較的ラフな格好になると実験台に上がりうつ伏せになる。ルシファーが背中に触れる。コアを取り出される気配に、歯を食いしばる。何度も体験している、背中が裂ける、抉られる、心臓を鷲掴みにされる感覚。生物の本能が、拒絶をする。慣れることはない。コアが抜き取られて、ルシフェルは、意識を手放した。その様子を、コアを手にしたルシファーが見下ろす。ルシファーの造ったコア。そのコアに出来た、僅かな歪み。歪みともいえぬちいさな、ひずみ。けれど、ルシファーには目に余るそれを、取り出す。取り除いたものを、冷たい目で見下ろして、これは、廃棄だ。
 そして、歪みを除いたコアをルシフェルの中へと戻す。
「……っは」
 目を覚ます。クリアになった視界で、ルシファーの研究室にいたのだと、コアの調整をされたのだと、思い出す。手元の書類に書き込みながら、ルシファーはルシフェルに目を向けることなく、言葉を掛ける。
「この後の予定は何かあるのか?」
「何もない」
「……そうか。なら、これを頼めるか」
 ルシフェルが即答すると、ルシファーは手元から一枚を抜き取って、手渡した。つらつらと番号が記されている。いつも通りで良いのだろうかと尋ねれば、ルシファーは酷薄な笑みを浮かべて、頼んだぞと言葉を掛ける。頷いたルシフェルは、リストを見る。実験棟への移送は、興奮状態のものもいるために、気を引き締めなければならない。研究室を後にする。その背をルシファーは、冷たい笑みを浮かべて見送った。


 盗み聞くつもりなんてなかった。結果的に、盗み聞いて、知ってしまった己の役割は、サンダルフォンを苛ませるだけだった。知らなければ、良かった。知らなければ、何時ものように、中庭で微笑みを浮かべるあの人の前に、いられたのに。泣いて、腫れぼったい目で、後悔を覚える。悲しいと、悔しいとが混ぜこぜになる。怒りが湧き上がって、虚しさが覆う。どうしたらよいのだろう。ちらりと、ルシフェルの顔が過っては胸が締め付けられ、呼吸が出来なくなる。優しい人だった。優しい、人だ。名前を呼んでくださる、暖かな手のひらで、撫でてくださる、褒めてくださる。何も知らないサンダルフォンに、教えてくれた。孤独を、愛しさを、優しさを、悲しさを、当たり前のことも、不思議なことも、何もかも。だから、あの人の、役に立ちたいと思った。その気持ちに、決して、嘘はなかった。けれど、どうしても、だからこそ、許せなかった。なにもかもが、許せなかった。八つ当たり、なのだろう。廃棄という決定すら受け入れられない、不用品に相応しいほどに、壊れているのだろう。創造主に、逆らおうとしている。あってはならないのに、受け容れることが、出来ない。
 どうしたら、良いのだろう。何を、するべきなのだろう。自分が、役に立つことを証明すれば良いのだろうか。でも、どのように証明すればいい。考えていたところで、ばたん、と突然開かれたドアに、サンダルフォンはびくりと肩を震わせた。研究者だろうかと身構えてから、そして、現れた人を見て、目を見開いた。決して、そのような乱暴に、出入りをする人ではない。唯一、サンダルフォンのことを、個として扱って、ノックをするのに。なのに、どうして。どうしてルシフェル様が、と尋ねようとしたものの、視線が合わない。ルシフェルは、隣で待機をしている、武装した天司に指示をだす。
「これは、実験棟に」
「ルシフェル様、」
 なにがあったのですか、俺は、どうなるのですか。どうして。続けようとした言葉は、見下ろす目の、あまりの冷たさに、失われた。心臓が凍てついた。その目は、サンダルフォンを、見ていない。サンダルフォンのことを、認識、していない。ただ、不用品を、見ている。
 あの時、言葉に詰まっていたルシフェルさまに、何処かで期待をしていた。まだ、必要とされていると、思いたかった。そんなこと、なかったのに。やはり、俺は、サンダルフォンは、不用品であるらしい。茫然としたまま、拘束をされて連れ出される。未練がましく、振り返って、僅かに、その目に浮かぶものがあるならば救われるのに、一瞥もくべられない。目の前が真っ暗になって、自分はどうなるのだろうという不安も何もない。捨てられた、必要ではなかったという真実だけがサンダルフォンに与えられる。ルシフェルに与えられた全てが、塗り替えられる。
 運び込まれて、実験台に乗せられる。研究者たちの、ルシフェルも知らない、おぞましい実験を知っていて、なお、サンダルフォンの心には怯えは浮かばない。いつも、怯えていたのに、あそこには行きたくないと思っていたのに、何もかも、どうでも、いい。
「なんだこれは」
 繰り返される実験にとうとう、研究員がぼやいた。
「たしかルシフェルが造ったものだったろう? また、面倒な造りにしたものだ」
「これじゃあ実験にも使えんじゃないか……」
「役割もないし、実験にも使えない。こいつは何のために造られたんだ」
 嗤笑する研究者たちの声をぼんやりと聞きながら、サンダルフォンはパンデモニウムに廃棄された。実験の、役にも立たない。研究者たちのの些細な、狂った、探究心を満たすことも出来ない。朽ちることも許されない肉体は、罪もないまま、収監された。否、造られたことが、罪だったのだろうか。ルシフェルに、光に焦がれたことが、罪だったのだろうか。
 るしふぇるさま。
 最期に思い浮かんだものは真っ暗に塗りつぶされる。最後に呟いた声は、誰にも聞こえない。サンダルフォンは目を閉じる。もう、なにも、考えたくない。
「友よ、実験棟への移送が完了した」
「そうか」
 研究室に戻ると、リストのチェックを終えたルシフェルが、ルシファーに告げる。腰かけていたルシファーは、手元の資料を置いて、試すように、ルシフェルを見上げる。
「移送中に、異変はあったか」
「いや、何もなかった。今回は、暴れるものも少なく、同行した天司たちにも負傷者はいない」
「そうか」
 くっくと、喉で笑っていたルシファーは、我慢できないというように、けらけらと笑い声をあげた。愉快でたまらないというように。実験は、理論は正しかった。此処にいるのは、ルシファーが造りだした天司だ。完成された獣だ。
 狂ったように笑うルシファーを見下ろすルシフェルに向かって、笑いを引きずりながらも、満足したように、囁いた。
「いや、なんでもない。気にする事は無い、ルシフェル……天司長、やはり、お前は完璧だよ。俺が造った、最高傑作だ」
 だからそのまま、俺を愉しませてくれ。


 肉塊に、手をかざした。
「サンダルフォン」
「ぅ……ぁ……」
「可哀想に、痛かっただろう……苦しかっただろう」
 肉塊の、へしゃげた手足が、抉れた背中が、ただれた皮膚が治っていく。けれど、まだ、肉塊の、サンダルフォンの意識は混濁したままだった。ぼんやりと開かれた目は虚ろに、蒼穹を見上げる。
「もう、大丈夫だ、サンダルフォン。きみを傷付けるものは、何処にもいない。私は、君の為だけに、力を揮おう。だから、安心して、今は、眠ると良い」
 堕天司は、ルシフェルはサンダルフォンに微笑んだ。サンダルフォンもまた、条件反射のように、応えるように、笑おうとして、くしゃりと、失敗したまま、目を閉じた。その顔には苦痛と共に、僅かばかりの安らぎが浮かんでいる。サンダルフォンを抱きかかえたルシフェルは、愛おしげに頬を摺り寄せた。サンダルフォンのむずがる声に、喉で笑い、歩き出す。さて、何処へ行こうか。これからどうしようか。先の分からないことへの、期待に、心を躍らせた。
 ここでは誰も、咎めはしない。
 パンデモニウムで目を覚ましたルシフェルは、全てを理解した。自分は、天司長ではない。天司ではない。彼として生まれて、彼から生じて、彼から切り離された。私もまた友にとって、不用品であるらしい。ふむと、頷いて、悲しいと、思うべきだったのだろうけれど、サンダルフォン以外にどう思われたところで、何とも思いはしないことに気付いた。どうやら、わずかばかりに、思考回路にも変化があるようだと、自身の変化に驚きながら、受け容れた。そして、これから先はどうしたものかと考えていたところに、サンダルフォンは墜ちてきた。これは僥倖、喧嘩を売る手間が省けた。痛ましい姿に眉をひそめるものの、傷は、ルシフェルに掛かればなんてことはない。切り離されたといっても、基本的な機能は同じである。だから、被創造物であるサンダルフォンの治療も容易であった。
 ルシフェルによる完璧な治療を経て、意識を取り戻したサンダルフォンはぽっかりと記憶が抜け落ちていた。ここではない何処かにいた記憶はある。けれど、その場所も何も、思い出せない。ぽっかりと無くなっている。
「俺は、どうしてパンデモニウムにいるのでしょう」
 問いかけて、首を傾げては、ルシフェルが困ったように黙り込むから、口にすることはなくなった。
 優しい人だ。青白い程の肌は、それでいて暖かいことを、サンダルフォンは知っている。鋭い爪で傷つけぬようにと、サンダルフォンに触れるとき慎重になることを、知っている。三対の翼で包まれると、悲しいくらいに安堵することを、知っている。蒼穹の眼は、優しく、甘く、サンダルフォンを見守っていることを知っている。
 サンダルフォンがルシフェルのことを慕うのは当然のようだった。
 この人の、役に立ちたい。重荷になるのは、いやだった。もしかしたら、忘れていたことで、ルシフェルさまのお役に立てるかもしれない。サンダルフォンは、過去を思い出そうとするたびに、吐き気と眩暈と、震えが止まらなくなる。その度にルシフェルは思い出す必要はないと言って、止める。きみが苦しむ姿を見たくはないといって、血の気が引いた額に流れる、冷たい汗を拭いとるのだ。
「あなたの役に立ちたいのです」
 か細い声が、ルシフェルの耳朶を打つ。
 サンダルフォンの、ぐったりとした身体を抱きとめる。また、思い出そうとして無茶をしたのだろう。思い出す必要なんて、無いのに。
「きみの気持ちは、とても嬉しいよ、サンダルフォン。なら、どうかここにいてほしい。私は、さみしがりだから」
「俺は……あなたの寂しい、を和らげることができますか」
「ああ、きみにしかできないことだよ、サンダルフォン」
 本当にいいのだろうかと思いながら、抱きしめられたままの身体を預ける。
「私には、きみは必要だ。きみ以外は、いらないよ。世界もなにも、いらない。だからどうか、私のそばにいてほしい」
「あなたが、のぞんでくれるなら、おれは……」
「ああ、望む。私は、きみを望むから」
 懇願する声にサンダルフォンは頷きルシフェルに手を伸ばす。その手を、ルシフェルがとり、指を絡める。冷たい手だった。けれど、その手がどうしようもなく、優しくてサンダルフォンはまた、泣いてしまう。泣きたくないのに、涙は枯れることはない。
 ルシフェルは、サンダルフォンの記憶が失われていても、微塵にも、悲しいとも、残念だとも思わなかった。かつての記憶は、天司長であるルシフェルとのものでもある。サンダルフォンにとって、その記憶が哀しいものであるならば無くていい。記憶がないなら、新しく、作ればいい。生憎と、パンデモニウムはかつての場所に比べると娯楽は少ない。サンダルフォンの興味がひかれるものがあれば良いと願いながら、愛しい子を抱き止める。
 るしふぇるさま、くるしいですと、申しわけ無さそうにあっぷあぷと言う姿に、たまらなく、愛しいという気持ちが湧き上がって、また、抱きしめてしまう。


 数年、数百、数千年が経った。あるいは数日程度が経った。時間の流れがあって、無いような空間だ。太陽が昇ることもなければ、沈むこともない。季節が巡ることもない。変化は、何一つ無い。狂ってしまう程、淡々と繰り返す世界。そんな、パンデモニウムの深部で、ルシフェルは心安らかだった。
 膝の上で抱きかかえたサンダルフォンは、ぎゅっと身体を強張らせている。けれど、その仕草は嫌がっているものではないことを、ルシフェルは知っている。癖のある黒髪の間から、ちらりと覗く小さな耳は、今はぎゅっと閉ざされている瞼の下と、同じ色に染まっている。何度も触れ合っているのに、こんな戯れ以上に触れあっているのに、いつまで経っても、初心な反応を見せるサンダルフォンに、また、愛しさが募り、震える瞼に口づけを落とした。びくりと震えてから見開かれた目は、何が起こったのかを把握したようで、その顔は、ぱっと薔薇色に染まった。
「やっと目を開けてくれた」
「だって、あんなの、仕方ないでしょう」
 愛しさには、限りがないことを、初めて知った。
 かつて、安寧と呼んでいたものは、それだけではなかった。そんな言葉で括れるものではない。愛しい。それだけでも、まだ足りない。狂おしいほどの、荒々しい竜巻のようにむちゃくちゃにしたくなって、それでいて一挙一動全てを見守って、優しく真綿で包みたくなる。感情とは、面白いものだった。確かに、天司長にとって不用なものであるらしい。この感情を自覚すれば、天司長として、いつか、あってはならない失態を引き起こしていただろうと、ルシフェルは思い浮かべて、まあ過ぎたことかと放棄した。
 だって、もう、欲しいものは手にあるのだから。ルシフェルにとって、必要なものは此処にある。ルシフェルにとっての世界は、ここにある。守るべき世界を、抱きしめている。
 ルシフェルは、そっと囁く。
「天司長が必要としなくても、私には、サンダルフォンが必要だよ」
 その言葉は、甘い毒。サンダルフォンの思考をどろりどろりと溶かして、心をやわらかく、それでいて縛り付けて、ほどけなくなる。ルシフェルから逃げられない、ルシフェルなしでは生きていけないようにと、繋ぎとめる。甘く痺れて、凶悪な中毒性を秘めている。
(天司長……?)
 なんだろう、と疑問を抱いたものの、頭の奥がずきりと痛んで、考えるのを止めた。だって、ルシフェルさまが望まないから。
 優しいこの人を、裏切るなんて、考えられない。

2018/06/19
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