ピリオド

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 火にかけているケトルはまだまだ、沸騰する気配はない。ふと、一息ついて、壁にもたれかかる。壁の奥でごうごうと音がする。グランサイファーの、生きている音だと、操舵士が誇らしげに言っていたことを思い出した。だから、安心をするのだろうか。目をつむり、一定間隔の音に耳をすませていると、バタバタと忙しない足音がして、笑いそうになるのを誤魔化して、壁から離れた。それから、何食わぬ顔でヤカンの前に立つ。まだ湧いていないが、量は十分に足りるだろう。
「サンダルフォンの気配を察知!!」
「相変わらずの目ざとさだな、団長。それから廊下は走るなと、自分で言っておいて良いのかい?」
「うっ」
「まあ、黙っていてやるさ……。それで、君の分も淹れようか?」
「やった! ありがとう、サンダルフォン」
「それが目的だったくせに」
「バレてた?」
 ころころと表情が変わる団長に、つられるように笑ってしまう。世界を壊そうとして出会った頃、約束を守るために共闘を申し出た頃の自分が見れば唖然として、二度見をしてしまう光景に違いない。団長が、棚から自分用の赤色のマグカップを取り、二つ並んだカップの横に置いてから、隣に来る。へらりと笑う顔に、ため息を吐くポーズをする。本当は、ちっとも迷惑だなんて思っていない。団長も気付いているからこそ、出来るコミュニケーションだった。すっかり、絆されてしまった。何時からこの関係に居心地の良さを覚えたのかわからない。気付けば、当たり前になってしまっていた。隣の団長は、ふんふんと音の外れた鼻歌をうたいながらヤカンを見ている。倣う様にしてヤカンを見る。優しい沈黙を破ったのは団長だった。
「本当はね、サンダルフォンが心配だったんだ」
 ちらりと、目線だけ団長に向けた。その表情は随分と柔らかい。半身である、ルリアを見ているときに浮かべる表情に、よく似ている。団長の突飛な言い回しには慣れたつもりでいたが、心配を掛けることなんて、しただろうかと、これまでの行動を思い返すも、特に何も思い当たらない。無言をどう受け取ったのかわからないまま、団長が続ける。 
「ルシファーの遺産を破壊したあと、サンダルフォンがいなくなったらどうしようって、ルリアたちと話してたんだ」
「いなくなる?」
「うん。サンダルフォンはさ、ルシファーの遺産を破壊することが目的で共闘をしているんだ、ってずっと言ってたでしょ? それが終わって、ルシフェルさんも復活して……。それで、サンダルフォンが一緒にいる理由が無くなっちゃって……でも、どうしたら一緒に居られるのかなって。サンダルフォンは思ってないかもしれないけど、とっくに仲間だって思ってるんだよ。だから、もっと一緒に、いろんなところを旅したい。それで、どうしたら一緒に居られるのかなって、みんなと話してたんだ」
 自分の知らないところで、そんな話し合いがあったことに目を丸くした。それから、この人たちに、必要とされていたのかという歓喜と、面映ゆさに、むずむずとした。照れ隠しに突き放すような、拗ねたような言葉づかいになる。
「そんなこと、何も、誰も、言わなかったじゃないか」
「だって最後まで何も決まらなくてもう、力付くでもなんでもいいからとにかく引き留めよう、ってなったんだよ。力付くじゃなくて、サンダルフォンの意思で残ってくれたから良かったよね」
「君たちは、その……。あまり物事を、深く考えてないな。いや、考えてないというよりも……拳でどうこうしようとするのを止めたほうが良い」
 その思い切りの良さに、かつて災厄を引き起こして、団長たちと対峙した時に、騎空挺ごと突っ込まれたことを思い出した。呆れながらも、笑ってしまう。笑われたことに、団長は口を尖らせて、それから真剣な表情になる。
「言っていい?」
「これ以上、何を言うつもりなんだ」
「あのね、これは皆も思っていることだからね」
「……なんだ?」
 言い辛そうに、言葉に迷う団長に、僅かに不安になる。団長がうん、と自身を激励するように意気込んでから、見上げてくる、その目は力強い。向き合う自分もまた、背筋を正してしまう程に真剣だった。
「みんな、ルシフェルさんに嫉妬してるんだよ」
「は?」
 間抜けな声が出た。それから、団長はもう、とにかく、まくし立ててくる。
「一緒に戦って、一緒に過ごして、やっと!! サンダルフォンが頼ってくれるようになったのに! ルシフェルさんは一瞬で! たった一言、名前を呼ぶだけで!! サンダルフォンを奪っていくし!!」
「それは」
「もうやってらんないよ」
 がっくりと肩を落とす団長に、何を言えば良いのかわからない。ごめんと言えばいいのだろうかと思うが、団長たちを御座なりに扱ったつもりなんて、微塵もない。けれど、そう映ってしまっていた。
「謝んないでね? それから、別に責めてるんじゃないからね」
 団長は、眩しそうに目を細めて笑う。その顔は、大人びたものだった。あまり素直とは言い難い性分でも、応えようと、言葉を探す。
「君たちのことを、ないがしろにしたことはない」
「うん」
「それから、俺は、君たちのことを……信頼しているんだ、これでも」
 タイミングを見計らったように、シュンシュンと湧き上がる。この話はおしまい! というように、団長が砂糖とミルクもお願いと言うから、相変わらずのお子様舌だなと憎まれ口をたたく。この関係が、心地いい。
 珈琲の入ったカップを二つ、トレイに乗せて、息を整えて、扉の前に立つ。ノックをしようとする前に、ドアが開かれた。穏やかな蒼穹が細められ、待っていたよと言われて招かれる。二千年経っても慣れない。気恥ずかしさに視線を彷徨わせてから、おずおずと御邪魔をする。
 ルシフェルの部屋も、他の団員の部屋と変わらないつくりだ。王族だろうと、騎士だろうと、ごろつきだろうと、乗り込んだなら全員を平等に扱うという団長の采配だ。特別扱いは一切しない。だからこそ、団の起立は守られているのだろう。それから、この程度のことで怒るような人ではないとわかっていながらも、反応をうかがった。ルシフェルは興味深そうに、備え付けのベッドに触れたり、チェストの中身を見たりとしていた。粗方を確認すると、
「サンダルフォンも同じ部屋を?」
「ああ、基本的にどの部屋も造りは変わらない」
 気に食わない、という様子は無かった。こういうものなのだろうと、納得した様子に、胸を撫で下ろした。殺風景な部屋には、唯一持ち込んだ、素朴な造りの木製の小さな机と二脚の椅子が、窓際に置かれている。立ち寄った島で、二人で選び、二人で買った。その机にトレイを置いて、向かい合って座る。ルシフェルが珈琲に口を付けるときは、緊張をする。心臓がばくばくと鳴って生きた心地がしない。ルシフェルが、まずいと言ったことは記憶にある限りは無い。いつもおいしいというのが、お世辞なのか、本心なのかは判断がつかない。珈琲を飲みながら、ぽつぽつと会話をする。
「うん……。サンダルフォンが淹れてくれた珈琲が一番おいしいよ」
「俺は、あんたが淹れてくれたものが好きだ」
「そうか。なら次は、私が淹れよう」
 弾んだ会話ではない。まだ、ぎこちなさが残る。昔は、どのように話していただろうか、どのような会話をしていただろうかと思い返すと、昔は昔で、自分のことで精いっぱいだった。その様子が、彼にとっては無垢だったのだろうか。けれど、彼が求めていた無垢だった、かつてのようには、戻れないし、戻らない。そう決めた。膝の上に置いた手が汗ばむ。
「特異点……団長たちと、旅をした」
 ルシフェルは、うん、と頷いてから、珈琲をソーサーに置いた。それから、続ける。
「おかしな事件に巻き込まれたり、起こしたりして、寄り道の多い旅だった」
 こんなことをしている時間はないと、何度も思い、その度に口にした。けれど、その度に困った顔をした団長に謝られながら、解決に奔走した。口で抗議するよりも、さっさと解決をしてしまえばいいのだろうと、我武者羅だった。それから、段々と、団員たちと触れ合うようになった。彼らもまた不思議だった。どうして、彼らのトップである団長を殺そうとした相手に優しくできるのだろうと、彼らの優しさを疑った。結局、その疑いは肩すかしだった。彼らも団長に似たお人好しだった。
「怒られるかもしれないけれど、軽蔑を、されるかもしれないけれど、今思えば、少し、楽しかったのかもしれない」
 本当に訳の分からない事件に巻き込まれて、それから、世界を知った。人は醜くて、弱くて、悲しい生き物だ。天司から見れば瞬きのような一瞬を、美しく、生きている。彼らは一瞬を輝いている。
「怒るわけがない。軽蔑なんてしたりしない。きみが、空の世界を知ることを、私は嬉しく思うよ」
 旅をした。二千年よりも短い、二千年よりも長い旅をした。旅の目的を終えて、さてと思ったときからっぽの中で見つけたのはたった一人のことだった。死に急いでいたのか、生き急いでいたのか分からない。やっと立ち止まって、これからを見たときに、たった一人を求めていたのだと気付いた。一度目の叛乱も、二度目の災厄も、何もかも、たった一人に見てほしかった。たった一人に気付いてほしかった。たった一人のためだった。その人は、目の前にいる。
「俺は貴方のことを愛しく、思っていたらしい。……うん、今も、愛しく思っている」
 ルシフェルが目を丸くさせている。それを晴れやかな気持ちで見る。
 本当は、二千年前から知っていた。だから、二千年間の孤独で、憎むことは出来ても、嫌いになんてなれなかった。ずっとずっと、この人を愛している。ああ、言ってしまった。胸にすとん、と落ちた言葉は、名前のないまま持て余していた感情に、ぴったりとあてはまる。二千年以上生きてきて、やっと気付いて、気が済んだ。ルシフェルからの答えなんて、どうでも良かった。ただ、知っていて欲しかっただけだから、これでおしまいのつもりだった。
「サンダルフォン、私は二千年前から……きみが、目覚めた瞬間から、愛しく思っているよ」
 言葉にしてみれば、なんて簡単なことを、二千年以上、気付かなかったのだろうか。
 世界はこんなにも美しい。

2018/06/10
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