テツナはその影の存在である一族の、一人娘として生まれた。
彼女の未来は決定づけられていた。影の存在とし、男児ならば影武者として女児ならば子をなすために嫁がせることだ。テツナの伯父も、五家の影武者として勤め、死んだ。そして母も五家の子どもを産み、それがテツナの兄弟であった。
テツナもまた、その兄弟の子を宿すことが定められている。
五家、否六家は近親交配により血を濃くすることを是としてきた。テツナがそれを奇妙なことだと、異常だと言ったところで変わることはない。何十何百ともいえるおぞましい歳月の交配で、其処にあるのだ。
テツナの住まう屋敷は鼠一匹通さぬようにという厳重な警備と監視下の中、隠れるようにあった。月のものを迎えた黒子の娘は、五家の子を産むまで本家の敷居を跨ぐことが許されていない。五家の子を産み落としてようやっと、黒子家の娘として認められる。
屋敷は、代々黒子家の娘が妊娠期間中に利用するものだった。不思議なことにその屋敷に初めてきたとき、ただいまと言いそうになった。
いま、テツナの腹には子どもが居る。その子の父のみが、現在、テツナの屋敷を自由に出入りできる権利を得ていた。他の兄弟は原則、出入り厳禁だ。
薄い腹を撫でても、其処に子どもがいるとは思えなかった。悪阻がようやっとおさまっても、テツナの腹は未だ薄い。黒子家の医師曰く「そういう家系」らしい。
「テツナ、身体を冷やしてはいけないよ」
ブランケットを持って、征十郎はテツナに呼びかける。テツナは初めて、征十郎が訪ねていたことに気付いた。
征十郎は軍議を終えたあとにそのまま出向いたのだろう、軍服に彩五家しか着ることの許されていない、コートを羽織っていた。そのコートは五家である赤司家の家紋が施され、赤を基調としたものだった。それを見て、何時もテツナは血のようだと思っていた。
この数年、兄弟が当主となってからというものの戦争から程遠くなった。それは物理的にも精神的にも。兄が近づけさせないだけなのか、それとも本当に戦争が無いのか。それを知る術をテツナは失ってしまった。
「兄さん」
「テツナ、駄目だよ」
「ごめんなさい。征十郎さん」
素直に言い改めるテツナに、征十郎はブランケットを掛けた。テツナ自身は気付いていなかったけれど、どうやら随分と長い間ぼうっとしていたようだった。すぐ傍のマグにいれていたホットミルクは冷たくなっている。征十郎は目を細め、それを見る。
怒られるのだろうかと怖々とそれを見ているとふっと征十郎が顔を和らげ、優しい笑みを作る。
「何か欲しいものはある?」
「いえ、なにも」
征十郎は、ブランケット越しにテツナの手を握る。ブランケットは羊毛の柔らかく温かい且つ軽いと優れたものだった。
木漏れ日が差し込む窓際に常にいるテツナが心の奥底で何を渇望しているのか、征十郎は感じ取っていた。妊娠が発覚してからというもののテツナはそれまでの環境からかけ離れた生活を強いられていた。だけれど征十郎はそれを可哀想とも思わないし同情するつもりもない。それよりもテツナという愛しい、妹であり妻である(これは征十郎自身の認識で公的なものではない)少女が自身の子を宿したという支配欲と独占欲が勝っていた。
抱き込むように、後ろからテツナの腹に手を伸ばす。
触れても其処に命があるとは思えない。
(食事の量を増やそう)
「征十郎さん?」
「なんでもないよ、ソファに掛けていて。ココアでもいれようか」
「・・・ありがとうございます」
手をひかれ、談話室の二人掛けのソファへと座らされる。女となり、子を宿したテツナにははっとした、儚い美しさがあった。それまでが醜いとかいうわけでもなく、ただ女になったのだ。征十郎はその姿を自身しか見ていないことに、優越感を抱いていた。あの生真面目にテツナを愛そうとしていた真太郎も、柔和に強かにテツナに恋をしていた敦も、テツナと誰よりも親しいと自負していたらしい大輝も、ひたすらにテツナを求めていた涼太も、誰も知らないテツナを俺は知っている。これほどまでに長男であったことを嬉しく思うことはない。
「はい。熱いから、気を付けて」
生来の色白さに加え此処数カ月まともに日の光を浴びていないテツナの肌は青白い。その青白さとマグの赤色の対比が毒々しい。
ふうと息を吹きかけると湯気がゆらめいた。