ピリオド

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 朝は快晴だったというのに、昼間を過ぎるころには薄暗くなっていた。六限が始まった頃に降り出した雨は土砂降りになり、ガラス窓越しにも、その打ち付ける音の激しさが分かる。湿気の気持ち悪さと、汗が首筋を伝うのが鬱陶しい。折り畳み傘を持ってきて良かったと思いながら、窓ガラスに映った、斜め前の横顔に見惚れる。赤み掛かった黒髪は、教室の明かりを受けて、茶色く見えた。ふわりとした肩までの癖毛は、ポニーテールにされている。いつもは隠されている項が、彼女がノートと黒板に視線を行き来させるたびにちらりと覗く。高い鼻筋と吊り上った眦は彼女の気の強さをよく表している。辛辣な言葉を吐きながら、人の良い彼女は、良くも悪くも注目を集める。際立って仲の良い友人はいないけれど、何処のグループからも邪険に扱われることはない物静かなクラスメイト。
「──ここは、次の試験に出すからな」
 教師の言葉に、ノートと黒板を見比べる。何処までかいていたのかと、慌ててペンを取ろうとして、ころころと転がっていく。ペンは斜め前の彼女の足元で止まった。折りも、裾を切りもされていない、誰もが破っているような、校則通りのプリーツスカートからのびる、細くしなやかな脚は年中黒いタイツに包まれている。その足を守る、小さな上履きの横に転がったペンを、白い指が拾い上げた。誰のだろうかと、あたりを見渡していた、吸い込まれそうな、赤い瞳と目が合う。
「ごめん、ありがと」
 雨で重苦しかった心が嘘のように、春の訪れのように浮き上がっている。なんて単純なんだろうかと自分でも呆れてしまう。けれど、仕方ない。憧れの人と僅かに触れ合えたことで、すっかりと舞い上がってしまう。授業が終わり、担任からの連絡事項が終わると同級生たちは飛び出すように教室を後にする。つい、目で追いかけてしまうサンダルフォンは最新機種のスマートホンを手にしたまま、座っていた。いつもはすーっと教室を出て行ってしまう。珍しい光景に、舞い上がった調子のまま、声を掛けようとして、部活動の、準備当番が回ってきていたことを思い出して、急いで鞄をまとめる。雨の日は、校内で筋力トレーニングとなっている。久しぶりの雨だから、手間取るかもしれない。横目でみたサンダルフォンは頬杖をついて、窓を眺めていた。
(あれ……あれ!?)
 部活が終わり、さて帰ろうか、と鞄を探るも、目当ての折り畳み傘は出てこない。家に出るときはしっかりと入っていたし、学校についてきたときも見たはずだ。それから、弁当を取り出す時に
「あ、机の中か」
 そうだそうだと、自身の記憶力にふんふんと鼻歌交じりに、教室にいく。どうせ誰もいないだろうと思っていた人の気配の無い廊下。その先の教室には、明かりがついていた。誰か残っているのか、消し忘れかと、今更になってロケーションを思い出して、鞄を握る手に汗がにじむ。外は土砂降りで、生徒も、教師もほとんど帰っていて、部活動もほとんどが終わっている。ごくりと、息を呑み閉じていたドアを開ける。
「サンダルフォン、まだ帰ってなかったんだ」
「傘を忘れてしまってな。……いつもなら、折り畳みを持ち歩いているんだが」
「そっか」
 女性にしては低いアルトは、耳によく馴染む。
 自分の机の中を漁る。傘は、自分の記憶通りにあった。安堵して、それから、サンダルフォンを見る。サンダルフォンは文庫本を手にしていた、未だ帰るつもりはないらしい。雨脚が弱まるのを待っているのだろうかと、思いながら、緊張に、喉が渇く。この雨脚は当分、止む気配はない。朝方まで、この調子だろうから、
「小さいけど、折り畳み傘あるから、送ろうか?」
 心臓が、ばくばくと破裂しそうな勢いで拍動する。もしかしたら、サンダルフォンにも聞こえているのではないかと思ってしまう激しさだった。
「いや、連絡はしているから、迎えが来るんだ。ありがとう」
 申しわけなさそうに言うサンダルフォンに、気にしないでと明るく振る舞うが、内心ではショックだった。サンダルフォンのスマートホンが震える。視線をうつしたサンダルフォンの表情から、常に張り詰めていた糸が緩んだ。その表情は一瞬のものであったが、脳に焼き付けるには、十分なものだった。彼女は、こんな表情も出来るのか。
「すまない、迎えが来たようだ」
「あ、そうなんだ。一緒に降りようよ」
 この誘いまで断られたらショックすぎる。嫌われているのではないかと、本気で考えてしまう。そんな心配をよそに、サンダルフォンは頷いてくれた。憐れみではなく、先ほどの代わりでもなく、ただ、断る理由もないからだろうけれど、安堵した。靴を履きかえたサンダルフォンに、校門まで入ってきなよと誘えば、心底に申し訳なさそうな顔をしながらも、肩を並べられた。小さな傘だから、肩が触れ合う。細い肩だった。それから、良い匂いがする。大人っぽい落ち着いた、サンダルフォンらしい香りで、香水でもつけているのだろうかと、校則違反をしない彼女の新発見に、小さな喜びを得る。校門の近くに高級車が寄せられていた。車に詳しくなくても、わかるようなメーカーのエンブレムだから、すぐに分かった。その車から、出てきた男は傘を開くとつかつかとこちらへ向かってくる。身構えるよりも早くに、ルシフェル、と小さくサンダルフォンが呟いたから、迎えの人なのだとわかった。それにしても、ちょっと言葉に言い表せられないくらいの顔面偏差値に、尻込みをしてしまう。
「遅くなってすまない、サンダルフォン……きみは?」
「クラスメイトだ。さっきまで、付き合ってくれていた」
「そうか、サンダルフォンが世話になっているようだね。よければ送っていこうか」
 サンダルフォンの肩を当然のように抱き寄せたルシフェルという男の人。サンダルフォンしか視界に入っていないように、後付けのように向けられた視線。ふわりと、鼻をかすめた香りは、隣にいたサンダルフォンと同じ香りだった。家族ではない、それでいて、親しい間柄ということは、サンダルフォンの反応を見ればわかる。家族相手に、そんな反応は見せないだろうから。肩を抱き寄せられたサンダルフォンの頬に朱が走っている。厭世感を漂わせる年上のような、今まで見てきたクールな素振りが嘘のような、少女らしい反応。ははは、と愛想笑いを浮かべながら「いや、すぐ近くなので! じゃあバイバイ」と捨て台詞を吐いて、スカートを翻した。

2018/06/03
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