ピリオド

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 世界が止まったような、たった一人きりで残されたような夜。
 アルバイトの帰り道。サンダルフォンは通りなれた裏路地を歩いていた。治安が良いとは言い難いが、近道として利用している。幸いなことに未だに事件に巻き込まれたり、ガラの悪い連中に絡まれたりした事は無い。
 街灯がぽつぽつと点在し、僅かな先を照らす程度の明かりしかない。
 ガサガサと、持たされた賄いの入った袋が音を立てる。それからこつんこつんとサンダルフォンのショートブーツのヒールが音を立てた。
 それだけしか、音はしない。
 夜も更けてあと数時間もすれば始発が走り出す。サンダルフォンは欠伸をかみ殺しながら時間割を思い出していた。
(明日は三限からか……。レポートを確認しておかないとな)
 ヒステリックで有名な教授だ。生徒の評判はあまりよくない。サンダルフォンも、必修科目でなければと何度思ったか分からない。
 憂鬱な気分を笑うかのように風が舞い上がる。
 騒ぎたてるような突風に、サンダルフォンは思わず立ち止まり目を瞑った。暫く風が吹いて、止んだのを見計らって眼をパチパチとさせる。
 何処から飛んできたのか分からないものが撒き散らかっていた。
 ごろりと転がっているものは風に飛ばされてきたのだろう。ごみ袋かと思ったが、それにしては質量がある。サンダルフォンはゴミ拾いを毎度するような善人ではないとはいえ、道の真ん中に転がっているものを無視できるほど器用ではない。それに深夜帯ということもあり人目は無かった。
 しゃがみ込み、苦い記憶が蘇るもそれを無視して、手を伸ばした。
「……っあ、ァあ……」
 手を伸ばさなければよかった。
 賄いの入った袋は落としてしまい、ぐしゃりと潰れてしまった。
「……ルシ、フェル…… さま……」
 何千年経っても見間違えることはない。何もかも変わっていない。何故。これは夢なのか。何時から夢だったのか。俺は何も成し遂げられなかったのか。夢ならいつさめるというのだ。
 絶望が蘇る。
 かつての自分とは別離したはずだった。天司長としての代替を務め、彼の人の最期の通りにルシファーの遺産を破壊し、空の世界へ役割を返上した。そしてサンダルフォンは長い時を経て死を迎えた。輪廻というものがあるのなら、次は平凡なものが良いと願った。
 前世の記憶があるというイレギュラーはあれども、概ね、平凡だった。
 両手で抱き上げる重みを忘れられない。
 かつての記憶と寸分変わらない。
 心が掻き乱される。
 豊かなまつ毛がふるふると震え蒼天の眼が開かれた。
 その目は確かにサンダルフォンを見ていて、サンダルフォンは言葉を失う。
「すまないが、私の肉体を探してはくれないだろうか」

    ○

 卒業すれば出ていく規定になっている学生用に貸し出されたアパートには、最低限のものしか置かれていない。生活するための必需品と、学業のために必要に駆られたものだけだ。どれも家を出ていくときには処分する予定のため安価品だった。
 その安価品を台座にして、首は瞬きをした。
「あなたは生きているの、だろうか」
 その顔を、頭を前にして平静ではなかった。会って間もない首はその様子に気付かず質問に答える。
「難しいところだ。生きている、といえば…… 私は呼吸をして君と会話をしている。自立した思考を持っているし、肉体がみつかれば行動もおこせる。けれど、君たち人間に合わせると明確に生きているとは言い難いだろう。生きるとは、死へ向かうことだ。私たちのようなものは死から逸れている。明確な死、というものを迎えられない存在だ」
 首は区切ると、今度はサンダルフォンに質問を投げかけた。
「ところで、きみはどうして私の名を知っていたのだろうか」
「え?」
「ルシフェル、と呼んだだろう? 君と会った記憶は生憎と無いのだが」
「……あなたとよく似ている人を知っているだけだ」
 納得した首──ルシフェル──にサンダルフォンは物淋しさを覚える。
 首だけで生きている、首だけの怪物。彼はそういうものとして生まれたのだろう。あの最期の所為なのかは分からない。彼自身にもその記憶が無いようだった。
 思い出してほしいとは思わない。
「あなたの肉体が何処にあるかは分かっているのか」
「ああ。回路は繋がっているから、ある程度の位置までは把握している。ただこの通りの首だけでは動くこともままならない」
「……それなら、見つかるまでは俺があなたの手足になろう」
「何もそこまで世話になるつもりはないのだが……」
「俺が、したいだけだ」
 サンダルフォンが強く言うと、ルシフェルはそうかと言って承諾した。安堵に、体から力が抜けた。それまで、知らず強張っていたようだった。
「悪いが明日、いや…… 今日の昼からは少し用事がある。探すのはそれから後でも良いだろうか」
「勿論だ。きみの予定を優先してくれ……。そういえば、名前を伺っていなかったな」
 名前を呼ぼうとしていたらしく、少し間が開いた。
「サンダルフォンだ」
 あなたが、つけてくださった名前だ。
 ルシフェルは微かに、柔らかな笑みを浮かべた。
「そうか、サンダルフォン。きみの協力に感謝を」
 その言葉を、かつて聞きたかった。
 カーテンから朝の陽ざしが零れている。ルシフェルが眩しそうに目を細めていることに気付き、カーテンの隙間を閉じた。

2018/05/18
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