ピリオド

  • since 12/06/19
 年の離れた兄は、アルジュナが幼いころには既に家を出て、他家に入っていた。
 異なる父から生まれた兄は出で立ちが何処か、自分たちと異なっていた。アルジュナは内心で苦手意識を抱いていた。それを知ってか、知らないでかは不明だが、兄と会話らしい会話をした記憶は薄い。だというのに、兄の姿を思い出すことは容易だった。瞼の裏に焼付いたように、ぞっとする青白い肌。此方を見定めるような、後ろめたさすら感じる目。アルジュナははっきりと思い描くことが出来る。
 決して仲の良いとは言えない兄の「夫」が亡くなったと聞いたのはアルジュナが中学に入る前のことだった。
 家の仕来りでの結婚。母が数多くいる兄弟の中でも何かと兄を気遣うのは、その仕来たりが一番の理由だったと、後になって知った。
 彼らの婚姻以上の関係、感情の行方をアルジュナは知る由もない。もしかしたら愛し合っていたのかもしれないし、家の仕来り故と割り切っていたのかもしれない。アルジュナ自身は家同士の繋がりの所為で、同性との婚姻を強いられる彼らを、勝手に哀れと思った。
 弔問客はいない、身内だけのひそやかな葬儀。棺にひっそりと寄り添う兄の姿が瞼に焼け付いて離れない。



 進学の折に、家から通うのが不便になることを知るとカルナはなんてことのないように、自身の家から通えばいいと提案した。それを聞いたのは母経由だった。
 アルジュナはカルナの連絡先を知らない。ただ亡夫との家に住んでいるということは知っていた。
 その提案にアルジュナは直ぐに応じることはできなかった。しかし、母や兄弟は概ね賛成どころか既にアルジュナはカルナの家に住むことになっていた。
 アルジュナは跡取り息子だ。その息子を想えばこその不安なのだろうとアルジュナは理解している。とはいえ、過保護がすぎると不満もあった。
(何もかも、勝手に決められる)
 不愉快とも、苛立ちとも異なる感情が重く積み上げられる。その感情の発露をアルジュナは知っているが、出来なかった。
 連絡をすればカルナは喜ぶこともなければ、不満に思うことも無いように「そうか」というだけで引っ越しの都合などの業務的な連絡をするだけだった。
 呆気にとられるアルジュナを余所に、カルナは淡々と物事をすすめていく。
「よくも知らない人を家に置くのは、気持ち悪くはないのか」
「……俺たちは兄弟だろう」
 そう言われてしまえば、アルジュナは黙るしかなかった。
(兄弟、か)
 カルナに言われることが不思議だった。カルナは、アルジュナのことを弟と、思っている。違和を拭えないことだ。



(思っていたよりも小さい)
 代々の地主の家としては小さな家だった。かつて二人で住んでいたらしい家は伽藍としている。寧ろ人が住んでいる気配すら感じさせない程だ。
 決しておんぼろという訳ではない。小さな庭は手入れもされているし、寂れた様子も無い。だというのに、まるで廃墟のような薄気味悪さを感じる。
 横目で荷物を運ぶカルナを見れば、その生活感の無さも納得が出来た。
「そういえば、お前は初めてだったな」
 他の兄弟も、母も(あるいは父も)この家に訪れたことがある。アルジュナは気まずくなり、口を噤んだ。
「あの家に比べれば部屋数は多くない」
 暗に迷う事は無い、というのだろう。確かに、実家は無駄に広くどこに何があるのか誰も把握していない節があった。



 目覚めて目に入った、見知らぬ天井に、アルジュナはぼんやりとしながらそういえばと思い出す。荷解きというほど持ち物は多くはない。着替えと教材ぐらいだった。それを片付けてすぐに、眠っていたようだった。
(疲れていたのか)
 鼻孔をくすぐる、トーストと卵が焼ける香りはアルジュナの空っぽの胃を刺激する。
 身支度を整えてキッチンを覗けばカルナが食事の用意をしていた。当たり前のことだ。この家にはカルナとアルジュナしかいない。なら、キッチンにいるのはカルナしかいないのだ。
「おはよう」
「……おはよう、ございます」
「もうすぐに出来上がる」
 アルジュナには不思議な光景に見えた。昨日ももちろん、夕食を用意された。しかしこうして作っている様子を見るのは初めてだった。
 生きる、ということを感じさせないカルナの日常の営みというのを見るということは、まるで動物の観察に近かった。
 暫くしてトースト、スクランブルエッグとサラダにコーヒーという喫茶店のモーニングセットのような朝食が並んだ。
「何も聞いていなかったが、良かったのか」
 あまり接したことがないからか、カルナの言葉は突然すぎた。アルジュナは戸惑う。カルナは思い出したように付け足した。
「……オレは、朝はトーストだ」
 それで、お前も良かったか。付け足された言葉に、アルジュナは頷いた。
 正直なところ。アルジュナの朝は抜いてばかりいた。コーヒーを一杯を呑み、エネルギーバーと呼ばれる携帯食を齧る程度だ。
「美味しい」
 焼いただけ。特別な過程は無かった。
「そうか」
 無意識に呟いた感想に対してのぶっきらぼうな言葉。けれどアルジュナの前に座り、同じものを食べるカルナは確かに、うっすらとほほ笑んでいた。



 数か月経つとアルジュナは下宿先だというのに、実家以上に落ち着いて暮らしていた。
 決して実家が嫌いなわけではない。過保護すぎると思うが家族のことは決して嫌いになれない。愛しているし、家を継ぐことも決して嫌なわけではなかった。ただただ、息苦しかった。
 その点では、カルナの放任的なところは、口には出さないが有難かった。
 決して仲の良い兄弟ではない。傍目からは険悪にすら映るほどだ。日常会話も滅多にない。カルナの口下手もあるし、アルジュナが必要ないと割り切っているからなのもある。
 会話らしい会話といえば、食事のリクエストくらいか。
 カルナは律儀に何が食べたいのかと聞いてくる。かといって、アルジュナは特別何が好きということもないし出されたものは食べるだけなので、なんでもいいとしか言わない。
 コミュニケーション、というにはあまりにもお粗末だ。
 アルジュナは自分が思っている以上に、カルナに対してコンプレックスのようなものを抱いているのだと初めて気づいた。
 カルナより劣っていると思ったことはない。だというのに、ふとした時にちらりとカルナの影が過る。
 ただただそれだけが、不愉快に思えた。
(かといって、今更あの家は……)
 押し切って一人暮らしをするのが最善だっただろうかと思ったところで遅い。アルジュナは初めて後悔、というものを知った。



 結婚期間は、2年弱。それから10年近く、カルナは1人で親しい人もいない、見知らぬ土地で生きてきた。
 そのことを、哀れだとは思わない。いい年をした大人のした選択なのだ。
 カルナの考えていることは分からないし理解したいとも思わない。一緒に暮らしているといえど数か月程度。お互いが、いないもののように思っていた空白の時間が多すぎる。
 学期末の考査やレポートの提出を終えてあとは結果を待つだけになった。同級生のように不安は感じていない。
 夕食を終えていつもなら自室に戻っていた。



「彼はどんな人、だった?」
 疑問に思っていたことがあった。
 義兄さん、と呼ぶことは気が引けて彼と呼ぶ。アルジュナは生前の、兄の夫との面識はない。遺影で見た精悍な顔立ちをぼんやりと覚えているだけだ。
「……優しいひとだった」
 ありきたりな言葉だ。それを口にするカルナは、幸せそうに懐古している。目元を和らげ、口角を描く。彼を、思い出しているのか。
「そんなに、好きだったのか」
 アルジュナはそう思った。好きでなければ、そんな顔をしないと思ったのだ。しかし、カルナは、
「オレは、あの人が好き、だったのか……?」
 啓示を受けたように、はっと、目が見開かれる。
 カルナははらりと涙を流した。
 その涙を見て、アルジュナはあの日を思い出す。棺の横に立つカルナ。何が起こったかわからない、迷子のような青年。
「そう、か。好きだったのか」
 カルナはずっと、泣く理由を探していた。
 零れ落ちていく涙を、美しいと思いながら、その横顔を見つめた。

title:うばら
2016/09/02
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