ピリオド

  • since 12/06/19
 殆どいつも張り付いている明彦が、なにやらニヤニヤ顔で用事があるんだと言って別行動をしていた。なぜ態々言うんだかという気持ちと、それから何やら企んでいる様子だがどうにも杜撰なものだから口にするのも億劫で詮索はしないでいた。それから、名義は父親であるものの実質は一人で暮らしている家で、届いたばかりの本を読んでいた。時間を忘れて没頭し、ふと喉の渇きを感じた。

──珈琲が飲みたい。

 そして、そう思った時に限って家の珈琲を切らしていた。珈琲を飲みたいだけなら、そこらの自動販売機でも十分だった。けれども、大黒の優秀な記憶回路が再生したのは自動販売機では味わえない、珈琲の味わいだった。
 珈琲を飲むためだけに外出をするだなんて、珈琲の値段とそれに対する移動時間だとかを考えれば非効率的に過ぎる。だというのに、大黒はアルビノという体質故に特に昼の陽射しには弱いというのに、外出の支度を終えていた。
 家を出れば太陽は高く、いやになるほどに燦燦と輝いている。青空の眩しさに大黒は舌打ちをした。
 学校は始まっている時間だった。しかし、そもそも低レベルな授業や教師に、同級生との付き合いにはうんざりとしている大黒には関係のないことだった。授業であれば、大黒の学力の理解度はとっくに義務教育の範疇を越えているのだ。今更、何を勉強するというのか大黒には意味が分からない。無駄なことに大黒は意味を見出さない。それでも、自身に酔ったような熱血教師は学校はコミュニケーションを学ぶ場だと大黒を無理矢理に登校させようとしたものの、鬱陶しいだけだった。コミュニケーションと都合の良い言葉で包んだなれ合いを大黒は鼻で笑った。そんなものは不要でしかない。そして大黒は決して孤独ではなかった。大黒自身は微塵たりとも望んでいなかったが、そのカリスマ性に惹かれて慕う──崇拝するものは決して、少なくなかった。
 郊外の田舎で、大黒の存在はとくに目立っていた。本来、学生が出歩くような時間に出歩いていても誰も態々注意をすることはなかった。それこそ学校の教師ですら大黒に対しては何も言えなくなっていた。真実か嘘か分からない噂は独り歩きしている。
 大黒は時折すれ違う住民が、はっとしたように大黒に気づくなり視線を合わせないようにだとか、強張った動きをするのを、態々突っかかる程ではないにしても、鬱陶しく感じていた。
 商店街は寂れていた。近くにチェーン展開する有名なショッピングモールが出来て久しい。その所為だ、という声はあるが遅かれ早かれ、商店街の限界は来ていただろうと大黒はさして思い入れも無い店に降ろされたシャッターの前を通り過ぎながら思った。
 ぽつぽつと営業しているのは昔ながらの店ばかりだった。仏具店だとか和菓子店、精肉店……そして、大黒の目当てである喫茶店があった。レトロでノスタルジー……ストレートに言うならば古い喫茶店だった。年季の入った木製の扉を開けるとカランと鈴が鳴る音がした。店内は狭い。L字のカウンターに6席とボックス席が2つ。店の片隅にはブックシェルフが置かれている。しかし、雑誌は月刊誌が数冊と新聞で後は町の広報誌であったり、イベント情報や申し込みの広告が場所を占めていた。
 L字カウンターの中で作業をしていた青年が作業を止めて顔をあげる。赤々とした眼が大黒を映し出す。

「いらっしゃいませ──……お好きなお席へおかけください」

 大黒と視線が交わった青年は苦笑を取り繕うような笑みで言った。大黒は返事をすることもなく、店の奥、カウンター席に座った。それからメニューを目にすることもなく、ホットのブレンドと注文をする。青年はかしこまりました、と短く答えた後に準備を始めた。
 客は大黒一人だった。
 大黒は青年の横顔を見つめる。青年は大黒の視線に気づく素振りはなかった。
 豆を挽く音とふんわりと芳ばしい香りが立ちこめる。青年の横顔は真剣でありながらも、どこか楽しげで、愛しげに大黒に映った。何が楽しいのか、大黒には分からない。珈琲を淹れる手順について、大黒は理解しているものの、その手間は幾らでも効率化できると考えてしまう。今でこそ、淹れたての珈琲の味わいを再現することは困難であるものの、技術的には、理論的には、将来的には決して不可能ではない。その時にも、青年は珈琲を淹れているのだろうか。自分はその珈琲を飲んでいるのだろうか。──そんなことを考える自分自身に対して、気味の悪さを覚える。
 青年は地元の人間ではない。都市で生まれて育ち、就職をしていたのに態々喫茶店を引き継ぐためだけに移り住んできた変わり者だった。郊外で店数が少ないなかで、若くして店主となっている変わり者の青年。
 都市から移り住んでいたという先入観なのか、青年はどこか郊外の地で浮いていた。青年も自覚をしているようで人付き合いは深くはなかった。コミュニティからはみ出ない程度の距離感。大黒はその距離感が好ましかった。
 青年が振り返るティーカップを用意する。ダークブラウンの、触れればきっと柔らかであろう、髪で隠れていた項がちらりと大黒の目に、焼き付いた。大黒はつい、視線を逸らしてしまう。

「お待たせしました」

 大黒は青年の声に少しだけ驚いてしまった。僅かに肩を跳ねさせる。些細な反応だった。それでも、普段、感情を乱すことの少ない──精々が呆れる程度の大黒にとっては大きな反応である。動揺を隠すように無言のまま、差し出された珈琲に口をつける。
 珈琲は、苦かった。
 一瞬だけ、難しい顔をする大黒を青年はひっそりと、見守りながらも、知らんぷりをする。何も見ていませんよというように、カウンターの中で作業をしていた。
 大黒は、それほど、珈琲を好んでいる訳ではない。成分や効能について興味深く、関心を持っているもののブレンドされている珈琲豆を当てられるほど、詳しいわけではない。ただ、青年の淹れる珈琲を、気に入っている。それを認めることが出来ずに、言い訳がましく、理由をつける。
 青年は喫茶店の店主という割りには若い。二十代半ばか後半である。けれども、大黒よりも年上であることは明らかだった。だから、青年は大黒がその年特有の大人への憧れじみたもので珈琲を口にするのだろうと思っている。青年にも覚えがあった。初めて飲んだときには、苦味や酸味を美味しいとは思えず、口の中で何時までも残るような、渋い、泥や炭でも溶かしたのではないかと思ったほどだ。それでも、青年は飲み続けた。今ではすっかり慣れてしまったが、最初は本当に苦労したものだ。いつから美味しいと思えるようになったのか、そのきっかけは分からない。趣味で淹れ続けていて、ぼんやりいつか喫茶店でも開けたらと思い描いていた。その思い描いていた喫茶店が実現しているのだから、人生、何があるか分からないものだ。
 譲り受けた喫茶店のメニューは変わっていない。
 馴染みの客も変化を感じないほどに、青年は前店主のレシピに対して忠実だった。
 大黒が珈琲を飲み終えた。空になったカップに青年が手を止める。それから、声を掛けた。

「もしよかったら、」

 今まで、青年から声を掛けることはなかった。大黒からも声を掛けることはなかった。必要以上の会話をしたことがなかった。だから、声を掛けられた大黒は戸惑いと、怪訝さで青年を見つめた。

「メニューに加える予定のコーヒーゼリーなんですが、試食してもらえませんか?」

 大黒は昔からある喫茶店だというのに、メニューにコーヒーゼリーが無かったことを、初めて知った。それを気付かれるのが妙に恥ずかしく感じて、大黒はぶっきらぼうにただ、首肯した。青年は微笑ましく思った。けれども、大黒の噂を知らないまでも、纏っている排他的な雰囲気から、背伸びをするように大人に憧れているような振る舞いから、気取られるのは気分が悪くなるだろうと、やはり、知らんぷりをした。

Title:エナメル
2022/10/24
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